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概要·鑑定·指定·伝来·刀姿·銘·系譜
概要鑑定指定伝来刀姿銘系譜
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  3. 繁慶

Hankei

繁慶

特重
巻 17, 番 62 · 刀

Hankei

繁慶

評価作品51点

国武蔵時代Keicho (1596–1615)時代区分江戸流派Hankei伝法Shinto藤代最上作刀工大鑑1,000(上位8%)種別刀工コードHAN5
3重要文化財
6重要美術品
1御物
6特別重要刀剣35重要刀剣

概要

繁慶は三河の生まれで野田善四郎清堯といい、元、徳川家に抱えられた鉄砲鍛冶であったが、元和二年の家康歿後、江戸に出て刀鍛冶に転じた。初代康継とほぼ時代を同じくし、説明書はこれを「江戸鍛冶の先駆者」と位置づけ、「初期新刀中相州伝を摸して成功している一人である」とする。師伝は明らかでなく、一説に康継、又は綱広というが定かでない。しかも「彼の作刀には年紀のあるものが皆無」であるため、慶長十七年紀の前銘清堯銘の鉄砲(奉納刀を蔵する出雲の神社に併せ所蔵される)と、寛永十年の高野山金剛峰寺奉納の文書とが編年の拠り所となる。

説明書はほぼ全口にわたって一文を繰り返す。「彼が理想としたところは相州正宗にあったとされる」が、「作刀の上からはむしろ則重」である。鍛えは板目に大板目・杢・流れ肌を交えて強く肌立ち、地沸厚く、黒く太い地景が絶え間なく入って、「ひじき肌」と称せられる独特な肌合となり、かねは黒みをおびる。説明書は「ひじきは海藻の一種である」と語義まで説き、「繁慶肌ともひじき肌ともいわれる」とも記す。さらに「混ぜがね鍛は彼の得意とするところで、世にひじき肌、松皮肌などと称せられ」とあるように、硬軟の鋼をまぜたこの鍛えは鉄砲鍛冶の前身に発する。指定書全体でこの語は彼自身と門人繁昌の説明にしか現れない。

刃文は浅いのたれに互の目・小互の目を交え、匂深く、沸が厚く強くつき、荒めの沸がむらに交じり、ほつれ・湯走りを交え、総体に砂流しがかかって金筋・沸筋が長く入り、「匂口が沈んで地刃の境が判然としない」のが常である。肌立ち・荒沸・沈む匂口のいずれにおいても本歌の則重より一段と強く、則重が松皮肌に明るい刃を保つのと分かれる。則重同様の三ツ棟で棟のおろしが急な造込みにもその狙いが窺われ、帽子はさかんに掃きかけて火焰風となる。姿は身幅広めか尋常で重ね厚く、反り浅く、慶長の工ながら中鋒のさほど延びないものが多い。

この常型に対して説明書は二つの作域を繰り返し指摘する。「総じて静穏な作柄」に纏まり上品さと古色を感じさせる一類と、「大きく華やかに且つ複雑に乱れ」て覇気に充ちる一類である。匂口の明るく穏やかな作は「清堯銘の作域に相通じるものがある」と初期に引きつけて読まれる。平造の脇指・短刀の遺例は僅少で、平造脇指は経眼三口のみ、形態は幅広寸延び・庖丁風・細身寸延びの三様に大別され、袋薙刀一口は同工には珍しい穏やかな中直刃を焼き、欄間透の倶利迦羅を彫った特別重要の脇指は同作中この一口のみと特筆される。

銘そのものが見どころである。一般の刀工の切り銘に対して太鏨で彫り出す大振りの二字の彫銘を、先薬研形、表大筋違・裏逆大筋違、深い両区という独創の茎に施す。「その茎仕立は彼の独創であり、銘も彫鏨を用いて特殊のものである」。深い両区と彫銘は「後世に磨上げ無銘にされない用心の為とも伝えている」。「又」は壮年銘、「ル又」は晩年銘とされ、草体の太鏨銘も晩年と読まれる。姓は野田・小野の両様に記され、出雲国日御碕神社の奉納刀は「奉納出雲国日御崎霊神」の銘の下に小野繁慶と銘する。「神仏に対して信心の強い刀工らしく、当社のみならず諸国の神社仏閣に自作の刀あるいは鉄砲を寄進している」。特別重要の短刀は「理想とした則重の域に迫る」と評される一方、彼の短刀は浅く反りがつき「則重特有の筍反りにはなっていない」。門流には和泉守兼重・繁昌が数えられ、繁昌の指定書には「ひじき肌」の語まで借りられる。

藤代の極めは最上作。指定を受けた作は五一口、うち在銘五〇口、無銘は一口もない。重要文化財三口・重要美術品六口を戴き、特別重要刀剣六口・重要刀剣三五口、計四一口がその下に連なる。伝来には有馬家(同作中の白眉と評される特別重要の刀を伝えた)・島津家・西条松平家・皇室が挙がり、日御碕神社の奉納刀は今も同社に伝わる。重要の一口には永井信濃守の手前での山野加右衛門による三ッ胴截断の記録、別の一口には前橋藩老宮部茂席の金象嵌所持銘が併う。重要文化財と奉納刀は文化財として永く守られ、収集家が現実に出会いうるのは特別重要・重要の層であるが、それとて市に現れることは稀で、現れた一口にはひじき肌、沈む匂口、独創の茎の彫銘と、繁慶のすべてが備わる。

鑑定

年紀による編年ではなく、一つの本領で立つ型。「繁慶銘の作刀には年紀のあるものが皆無」とされるため、説明は銘で順序を立てる。鉄砲鍛冶時代からの前銘清堯がまずあり、彫銘の繁慶銘では「又」を壮年銘、「ル又」を晩年銘と読む。則重に範をとった単一の本領の内に、常々に比して静穏な作域と、大きく華やかに乱れる作域とが繰り返し指摘され、稀少な平造の作が形態別の一群として別に立つ

繁慶は三河の生まれで野田善四郎清堯といい、元、徳川家に抱えられた鉄砲鍛冶であったが、元和二年の家康歿後、江戸に出て刀鍛冶に転じた。初代康継とほぼ時代を同じくし、説明はこれを「江戸鍛冶の先駆者」と呼ぶ。彼が理想としたところは相州正宗にあったとされるが、作刀の上からはむしろ則重であり、大板目の強く肌立った鍛えに黒く太い地景が頻りに入る、説明が「ひじき肌」と称する独特の肌合、のたれに互の目を交えた焼刃、荒い沸、絶えずかかる砂流し・金筋、そして沈んで地刃の境が判然としなくなる匂口にそれがよく示される。三ツ棟で棟のおろしの急な造込みも則重に倣う。銘そのものが見どころで、太鏨で彫り出した大振りの「繁慶」二字の彫銘を、薬研形の茎先、表大筋違・裏逆大筋違の鑢、深い刃区・棟区という彼独創の茎に施す。

鑑定の決め手

作品の68%

作品の38%

作品の42% ・ 範をとった本歌・越中則重比 6.0倍

作品の89%

作風の変遷

本領、則重に範をとった作域(繁慶の常型)

彫り出された二字銘。彼独創の茎(先薬研形、鑢目表大筋違・裏逆大筋違、深い刃区・棟区)の目釘孔の下に太鏨で大振りに「繁慶」と彫る。「又」は壮年銘、「ル又」は晩年銘と読まれ、孔の上に銘した数口は稀な例として特記される

繁慶の常の刀は鎬造に三ツ棟、棟のおろしが急で、説明はこの造込みを則重に倣った狙いと読む。身幅は広めか尋常で元先の幅差が目立たず、重ね厚く、反り浅く、中鋒で、慶長期の工でありながら鋒のさほど延びないものが多い。鍛えは板目に大板目・杢・流れ肌を交え、強く肌立ち、地沸が厚く時に荒めにつき、黒く太い地景が絶え間なく入って、彼の名を負う「ひじき肌」となり、かねは黒みをおびる。説明はこの地鉄を鉄砲鍛冶の経歴に結び、硬軟の鋼をまぜた鍛えを彼の得意とする。刃文は浅いのたれに互の目・小互の目を交え、匂深く、沸が厚く強くつき、荒めの沸がむらに交じり、ほつれ・湯走りを交え、総体に砂流しがかかって金筋・沸筋が長く入り、匂口が沈んで地刃の境が判然としなくなるのが彼の常である。帽子はさかんに掃きかけて火焰風となり、乱れ込み、または小丸。この常型に対して説明は二つの作域を繰り返し指摘する。鍛えがつまり焼刃の纏った静穏で上品な作域と、大互の目が大きく華やかに複雑に乱れて働きの一段と顕著な作域である。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi
静穏の作域(常々に比して纏まる一類)— 常々の同作に比して鍛えが荒びず、焼を低く取り、あるいは直刃調に穏やかで、上品さと古色を感じさせる一類。最も明るく冴えるものは初期の清堯銘の作域に通じると説かれる
華やかの作域(大きく華やかに乱れる一類)— 大互の目乱れが大きく華やかに且つ複雑に乱れ、沸と働きが一段と顕著となる一類。常々の同作に比して迫力が感ぜられ覇気に充ちると評される

清堯期とその余韻(初期の明るい作域)

確証はやや弱い前銘清堯。鉄砲銘をそのまま携えた初期で、「刀にも僅かに清堯銘のものがある」とされ、奉納刀を蔵する神社には慶長十七年紀の前銘清堯銘の鉄砲が併せ所蔵される。穏やかで匂口の明るい繁慶銘の作に、この清堯銘の作域に相通じるものがあると説かれる

最初の刀銘は鉄砲鍛冶時代の清堯であり、その遺例は僅かである。繁慶への改銘は江戸移住の後と置かれるが、説明はその時期が明確でないと認める。初期の作域は年紀の群としてではなく作風として残る。すなわちある種の作では鍛えが荒びずにつみ、刃文は浅いのたれ・直刃調に穏やかで、匂口が常の沈む匂口に対して明るく冴え、説明はまさにこれらを初期作である清堯銘の作域に相通じると読む。前銘清堯を銘した重要刀剣の一口がその作域を示し、肌立つ板目に地景が目立ち、かねは黒みをおびながら、寸短めの品位ある体配に匂口の沈む出来を見せ、既に繁慶の手が成っている。

地鉄 Jigane
刃文 Hamon

平造の稀品、脇指・短刀と袋薙刀

形態そのもの。平造の脇指及び短刀の遺例は僅少で、平造脇指は経眼三口のみとされ、その形態は三様に大別される。幅広・寸延びのもの、幅広で寸のつまったズングリとした庖丁風のもの、身幅の割に寸法の延びたものである

稀少な平造の作は刀と同じ地刃を備える。大模様に肌立つ鍛えに太い地景、のたれに互の目、沈む匂口、掃きかける帽子であり、体配に著しい個性がある。一段と幅広く重ね厚く反りは殆どなく、あるものは幅広で寸がつまって庖丁風と呼ばれ、いずれも刃区・棟区が深い。短刀には穏やかな作域のものもあり、重要刀剣の一口は地鉄が比較的つみ、直刃を基調とした温和な刃取りを見せる。特別重要の短刀は理想とした則重の域に迫ると評されるが、一方で説明は写しの止まる所も記す。彼の短刀は浅く反りがつき、則重特有の筍反りにはなっていない。袋薙刀が一口遺り、極めて珍しく、同工としてはおだやかな中直刃を焼く。欄間透の倶利迦羅を彫った特別重要の脇指は同作中この一口のみと特筆される。

姿 Sugata
刃文 Hamon
研究

経歴は説明の定型句として殆ど同文で繰り返される。三河の生まれで野田善四郎清堯といい、徳川家抱えの鉄砲鍛冶、元和二年家康歿後に江戸で刀鍛冶に転じ、初代康継とほぼ時代を同じくする「江戸鍛冶の先駆者」である。

理想と実作は一文で区別され続ける。「彼が理想としたところは相州正宗にあったとされるが、作刀の上からはむしろ則重であり」。

「彼の作刀には年紀のあるものが皆無で従ってその研究は正確を期し難い」とされ、清堯からの改銘は元和五年以後、あるいは寛永の始め頃かと諸説に置かれる。

姓は野田・小野の両様に記される。「繁慶は野田姓、小野繁慶とも銘したものがあり」とされ、出雲国日御碕神社の奉納刀は小野繁慶と銘される。

銘の編年が年紀の代わりとなる。「「又」は壮年銘、「ル又」は晩年銘といわれている」とされ、草体の太鏨銘も晩年と読まれ、重美の一口は「又」銘に比して円熟の感があって所伝が首肯されると記す。

本間順治は彫銘と深い両区の伝えを記す。「この作に限らず繁慶作の刀は両区が深く、彫銘であるのは、後世に磨上げ無銘にされない用心の為とも伝えている」。

指定

国宝—
重要文化財3
重要美術品6
御物1
特別重要刀剣6
重要刀剣35

名工ランク

0.58 (指定作品51点)

刀工の上位5%

伝来

伝来記録10件 の鑑定作品における Hankei

伝来ランク

名家所蔵2点、伝来記録10件

刀工の上位22%

素点:2.06 / 10

刀姿

評価作品51点の分布

銘

評価作品51点の銘の種類

販売中

系譜

Hankei
弟子
  1. 1.繁昌Hanjo4指定