美濃伝は、伝えによれば移住者が開いた。大和手掻系の出と伝えられる兼氏が志津に住し、新しい相州風で鍛えて、後世の鑑定家にその最上作は誰よりも正宗に近いと言わしめている。
重要刀剣 刀 直江志津 状態:販売中 鑑定書:第四十四回重要刀剣指定(平成十年十一月十二日指定) 無銘:直江志津 伝来:鹿児島・小島正治家旧蔵 【寸法】 長さ:69.5 cm(二尺二寸九分) 反り:1.7 cm 元幅:3.0 cm 先幅:2.4 cm 切先長:4.6 cm 茎長:17.5 cm 茎反り:0.1 cm 【形状】 鎬造、庵棟。身幅広く、元先に幅差少なく、大磨上ながら反り加減やや深く、大切先となる。 【鍛え】 板目肌に流れごころ交じり、地沸厚くつき、地景入る。 【刃文】 小のたれ調に互の目交じり、匂口深く、沸よくつき、砂流し・金筋かかり、湯走り現れる。匂口明るく冴える。 【帽子】 緩やかにのたれ、小丸に返る。 【彫物】 表裏に棒樋を掻き通す。 【茎】 大磨上、先切。鑢目筋違。目釘孔二(内一つ埋め)。無銘。 【時代】 南北朝時代 【解説】 美濃国志津の地には、正宗十哲の一人に数えられる兼氏が移住して一派が繁栄しましたが、その後、門人の兼友・兼次・兼信・兼重らが同国の直江に移住して作刀したことから、これら一門の作は総じて「直江志津」と呼称されています。 本作は大磨上無銘ながら、地刃ともに沸が豊富につき、流れごころを帯びた板目に地景の入る鍛えを見せています。刃文は小のたれに互の目を交えた穏やかな趣で、砂流し、金筋、湯走りなどの働きが盛んです。帽子はゆったりとのたれて小丸へ返ります。 全体として落ち着きのある風格を湛えた直江志津の典型作であり、地刃ともに冴え渡り、保存状態も極めて健全な優品です。
美濃国志津の地に、正宗十哲の一人に数えられる兼氏が来住して一派は栄えたが、のちに門人である兼友・兼次・兼 重・兼信らは、同国直江に移住して作刀したため、これら一門の刀工達を直江志津と汎称している。 この刀は大磨上無銘であるが、地刃がよく沸づき、地景の入る流れごころの板目鍛えに、小のたれ調に互の目を交えた おっとりとした刃取りをあらわし、砂流し・金筋・湯走り等の働きを見せ、帽子はのたれて小丸に返るなどの作柄を示し ている。総じて泰然たる風情を表出した直江志津の一典型であり、地刃よく冴えて健全である。








































美濃国志津の地に、正宗十哲の一人に数えられる兼氏が来住して一派は栄えたが、のちに門人である兼友・兼次・兼 重・兼信らは、同国直江に移住して作刀したため、これら一門の刀工達を直江志津と汎称している。 この刀は大磨上無銘であるが、地刃がよく沸づき、地景の入る流れごころの板目鍛えに、小のたれ調に互の目を交えた おっとりとした刃取りをあらわし、砂流し・金筋・湯走り等の働きを見せ、帽子はのたれて小丸に返るなどの作柄を示し ている。総じて泰然たる風情を表出した直江志津の一典型であり、地刃よく冴えて健全である。
美濃伝 · 美濃
現在20点販売中
美濃国直江の地に興った一門で、その名は移住に由来する。元来、志津は美濃の地名であり、ここに大和より正宗の門人たる兼氏が来住して鍛えたことから、地名をとって志津三郎兼氏と呼ばれた。正宗十哲の一に数えられる兼氏は、相州伝を基調としつつ大和手掻の血を負い、尖りごころの互の目に走る乱調をもって美濃伝のいま一つの根をなした工である。その門人たち、兼友・兼信・兼次らは、はじめ志津に作り、後に同国直江に移って鍛えたため、この一門を直江志津と総称する。年代は南北朝の延文・貞治より応安頃に及び、本流は兼氏に発する志津の血を一代を隔てて承けた工の群である。同時代に越中呉服郷の江則重の流れを北陸道より美濃に運んだ為継のごとき手も加わって、相州伝が内陸へ運ばれ美濃の地鉄に根を下ろした姿を、この一門は最もよく伝える。 直江志津を貫くのは、工の差を越えて繰り返される共通の語法である。地鉄は板目に杢を交え、処々流れて柾がかり、肌立ちごころとなって地沸厚くつき、地景がよく入って鉄を縫い、北国の趣濃く黒みをおびる。その地に立つ刃文は、相州伝の影響を負った浅いのたれ・小のたれに、美濃の尖り刃を交えた互の目を連ね、沸は強く深く、砂流しが頻りにかかって長く金筋を伴う。匂口は深く、優品では明るく冴え、激しめの作では迫力を、穏やかな作では穏雅な作位を示す。帽子は乱れ込んで掃きかけ、小丸に返るか焼詰め風となる。同じ型のうちに各工の手が読み分けられ、為継は則重風の湿ったのたれに美濃の鋭い尖りを与えて黒く沸豊かな地に焼き、兼友は頭の丸い互の目を連れて小沸出来に穏やかに焼き、兼次は逆がかった小のたれ調の互の目を匂深く焼く。大和・相州・美濃を融合したこの地刃が一門の背骨であり、師たる兼氏その人と比べれば、より穏やかで実直に、また地肌の冴えにおいて控えめに収まる点が、門流の手を分かつ。 鑑定にあっては、まず黒ずむ板目に地沸厚く沸出来で匂口の沈む地刃をもって直江志津と読み、本流に直刃がないことを否定の見どころとする。次に、より大きく揺れるのたれ乱れと頭の丸い互の目の連れる態をもって、これを志津・金重の手から、また下る末関の同名工から分かつ。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、為継は江則重に直結する黒い沸の手として藤代の上工に列し、兼友は鍛えの質によって上々作に位置づけられて、いずれも国宝・重要文化財を持たぬ南北朝の名である。現存の大半は作風から極められた大磨上無銘の刀であり、在銘・年紀作は極めて稀で、説明書はこれを頗る貴重とし、無銘極めにこそよい出来が多いと率直に評する。為継には応安年紀の作、兼友・兼次には在銘の短刀が伝承の拠り所として立つ。所伝は乏しいながら確かで、熱田神宮に伝わる作や、戦前の蒐集を経て今に伝わる短刀が記録される。極められた無銘の一刀が市に現れるのは折にふれ、忍耐をもってのことであって、在銘・年紀の作はそれとは別格の、名を定める証として遇される。 詳しく見る →
南北朝時代の美濃
美濃伝は、伝えによれば移住者が開いた。大和手掻系の出と伝えられる兼氏が志津に住し、新しい相州風で鍛えて、後世の鑑定家にその最上作は誰よりも正宗に近いと言わしめている。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト価格はお問い合わせ
重要刀剣 刀 直江志津 状態:販売中 鑑定書:第四十四回重要刀剣指定(平成十年十一月十二日指定) 無銘:直江志津 伝来:鹿児島・小島正治家旧蔵 【寸法】 長さ:69.5 cm(二尺二寸九分) 反り:1.7 cm 元幅:3.0 cm 先幅:2.4 cm 切先長:4.6 cm 茎長:17.5 cm 茎反り:0.1 cm 【形状】 鎬造、庵棟。身幅広く、元先に幅差少なく、大磨上ながら反り加減やや深く、大切先となる。 【鍛え】 板目肌に流れごころ交じり、地沸厚くつき、地景入る。 【刃文】 小のたれ調に互の目交じり、匂口深く、沸よくつき、砂流し・金筋かかり、湯走り現れる。匂口明るく冴える。 【帽子】 緩やかにのたれ、小丸に返る。 【彫物】 表裏に棒樋を掻き通す。 【茎】 大磨上、先切。鑢目筋違。目釘孔二(内一つ埋め)。無銘。 【時代】 南北朝時代 【解説】 美濃国志津の地には、正宗十哲の一人に数えられる兼氏が移住して一派が繁栄しましたが、その後、門人の兼友・兼次・兼信・兼重らが同国の直江に移住して作刀したことから、これら一門の作は総じて「直江志津」と呼称されています。 本作は大磨上無銘ながら、地刃ともに沸が豊富につき、流れごころを帯びた板目に地景の入る鍛えを見せています。刃文は小のたれに互の目を交えた穏やかな趣で、砂流し、金筋、湯走りなどの働きが盛んです。帽子はゆったりとのたれて小丸へ返ります。 全体として落ち着きのある風格を湛えた直江志津の典型作であり、地刃ともに冴え渡り、保存状態も極めて健全な優品です。
美濃国志津の地に、正宗十哲の一人に数えられる兼氏が来住して一派は栄えたが、のちに門人である兼友・兼次・兼 重・兼信らは、同国直江に移住して作刀したため、これら一門の刀工達を直江志津と汎称している。 この刀は大磨上無銘であるが、地刃がよく沸づき、地景の入る流れごころの板目鍛えに、小のたれ調に互の目を交えた おっとりとした刃取りをあらわし、砂流し・金筋・湯走り等の働きを見せ、帽子はのたれて小丸に返るなどの作柄を示し ている。総じて泰然たる風情を表出した直江志津の一典型であり、地刃よく冴えて健全である。








































美濃国志津の地に、正宗十哲の一人に数えられる兼氏が来住して一派は栄えたが、のちに門人である兼友・兼次・兼 重・兼信らは、同国直江に移住して作刀したため、これら一門の刀工達を直江志津と汎称している。 この刀は大磨上無銘であるが、地刃がよく沸づき、地景の入る流れごころの板目鍛えに、小のたれ調に互の目を交えた おっとりとした刃取りをあらわし、砂流し・金筋・湯走り等の働きを見せ、帽子はのたれて小丸に返るなどの作柄を示し ている。総じて泰然たる風情を表出した直江志津の一典型であり、地刃よく冴えて健全である。
美濃伝 · 美濃
現在20点販売中
美濃国直江の地に興った一門で、その名は移住に由来する。元来、志津は美濃の地名であり、ここに大和より正宗の門人たる兼氏が来住して鍛えたことから、地名をとって志津三郎兼氏と呼ばれた。正宗十哲の一に数えられる兼氏は、相州伝を基調としつつ大和手掻の血を負い、尖りごころの互の目に走る乱調をもって美濃伝のいま一つの根をなした工である。その門人たち、兼友・兼信・兼次らは、はじめ志津に作り、後に同国直江に移って鍛えたため、この一門を直江志津と総称する。年代は南北朝の延文・貞治より応安頃に及び、本流は兼氏に発する志津の血を一代を隔てて承けた工の群である。同時代に越中呉服郷の江則重の流れを北陸道より美濃に運んだ為継のごとき手も加わって、相州伝が内陸へ運ばれ美濃の地鉄に根を下ろした姿を、この一門は最もよく伝える。 直江志津を貫くのは、工の差を越えて繰り返される共通の語法である。地鉄は板目に杢を交え、処々流れて柾がかり、肌立ちごころとなって地沸厚くつき、地景がよく入って鉄を縫い、北国の趣濃く黒みをおびる。その地に立つ刃文は、相州伝の影響を負った浅いのたれ・小のたれに、美濃の尖り刃を交えた互の目を連ね、沸は強く深く、砂流しが頻りにかかって長く金筋を伴う。匂口は深く、優品では明るく冴え、激しめの作では迫力を、穏やかな作では穏雅な作位を示す。帽子は乱れ込んで掃きかけ、小丸に返るか焼詰め風となる。同じ型のうちに各工の手が読み分けられ、為継は則重風の湿ったのたれに美濃の鋭い尖りを与えて黒く沸豊かな地に焼き、兼友は頭の丸い互の目を連れて小沸出来に穏やかに焼き、兼次は逆がかった小のたれ調の互の目を匂深く焼く。大和・相州・美濃を融合したこの地刃が一門の背骨であり、師たる兼氏その人と比べれば、より穏やかで実直に、また地肌の冴えにおいて控えめに収まる点が、門流の手を分かつ。 鑑定にあっては、まず黒ずむ板目に地沸厚く沸出来で匂口の沈む地刃をもって直江志津と読み、本流に直刃がないことを否定の見どころとする。次に、より大きく揺れるのたれ乱れと頭の丸い互の目の連れる態をもって、これを志津・金重の手から、また下る末関の同名工から分かつ。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、為継は江則重に直結する黒い沸の手として藤代の上工に列し、兼友は鍛えの質によって上々作に位置づけられて、いずれも国宝・重要文化財を持たぬ南北朝の名である。現存の大半は作風から極められた大磨上無銘の刀であり、在銘・年紀作は極めて稀で、説明書はこれを頗る貴重とし、無銘極めにこそよい出来が多いと率直に評する。為継には応安年紀の作、兼友・兼次には在銘の短刀が伝承の拠り所として立つ。所伝は乏しいながら確かで、熱田神宮に伝わる作や、戦前の蒐集を経て今に伝わる短刀が記録される。極められた無銘の一刀が市に現れるのは折にふれ、忍耐をもってのことであって、在銘・年紀の作はそれとは別格の、名を定める証として遇される。 詳しく見る →
南北朝時代の美濃
美濃伝は、伝えによれば移住者が開いた。大和手掻系の出と伝えられる兼氏が志津に住し、新しい相州風で鍛えて、後世の鑑定家にその最上作は誰よりも正宗に近いと言わしめている。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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