舟頭干網図鐔 無銘(会津正阿弥) -Mumei (Aizu Shoami)- 縦84.5ミリ 横79.0ミリ 切羽台厚3.3ミリ 重量163.0グラム 江戸中期 The middle Edo period 附属 保存刀装具鑑定書、桐箱 会津正阿弥は、江戸時代に陸奥国会津を中心として活動した正阿弥系の刀装金工です。正阿弥派は各地に系統を広げ、会津においても多くの鐔工が活躍して独自の発展を遂げ、同地を代表する刀装金工の一派となりました。作風は一様ではなく、鉄地を主体として地透、肉彫、鋤出彫、毛彫、金銀や素銅による象嵌色絵など多彩な技法を用い、家紋、植物、動物、人物、故事、山水風景まで幅広い題材を表しています。堅牢な鉄の骨格に装飾性と絵画性を調和させた作品を数多く残しており、深みある鉄味と変化に富んだ意匠を楽しめるところに会津正阿弥の魅力があります。 舟頭干網図は、舟を操る船頭と漁の道具を水辺の景観に取り合わせ、人々の営みと自然の広がりを一つの画面に描く風俗画題で、舟を進める身体の動き、岸辺を渡る風、波音の余韻まで想像させるところに趣があり、限られた鐔面の中で舟、人物、岩山、波、霞、干網を表裏に配して一続きの物語を成立させるには、彫技のみならず優れた構成力が求められます。 本品は堂々とした撫角形の鉄地を広大な水辺に見立て、表の右側へ切り立つ岸壁を鋤出高彫で力強く起こし、その岩肌に生える笹を金で浮かび上がらせ、下方には細長い舟と長い棹を手にした船頭を置いて、静かな水面を今まさに進んでいく一瞬を捉えています。舟の下には幾重にも波を彫り込み、ところどころへ金色の飛沫を散らすことで、黒褐色の鉄地の中に水の動きと光のきらめきを生み、人物の小さな姿と大きな岸壁を対照させた構図が、限られた鐔面を雄大な山水へと広げています。 上方は画面を一段浅く鋤き下げ、輪郭を明瞭に描き切らず霞が水辺を包むような地景として扱っており、近景の岩山と舟を力強く見せながら、その背後へ空気を含んだ遠景を導く巧みな遠近表現となっています。裏面は左下へ張り渡して干された網を簡潔に表し、表の舟行きの後に漁の営みを静かに残すことで、華やかな表と余韻ある裏が呼応し、鐔を返すたび同じ水辺を異なる時の流れから眺めるような奥行きを味わわせます。 両櫃孔には鉛様の銀灰色金属を嵌め込み、その表面へ細かな鏨目を重ねており、左右に置かれた柔らかな灰色が黒褐色の鉄地、岸壁の深い陰影、笹と波飛沫の金色をつなぐ静かな色調として働いています。古様な茎孔、槌味を残した地肌、薄手ながら大振りで張りのある地鉄、丸耳の穏やかな輪郭、鋤き下げによって霞を表す大胆な構成で、遠目には深山を行く一艘の舟、手元では船頭の所作、笹、波飛沫、干網へと発見が続く、会津金工の鉄味と絵画性を存分に楽しめる見応えある一枚です。








正阿弥派
室町(c. 1500)
陸奥
無銘
保存 (NBTHK)
鐔工 · Kyoto
現在185点販売中
正阿弥派は室町時代中期頃に興った鐔工の一派である。室町中期から末期にかけて専門の鐔工が登場するが、京の正阿弥もその主たるものであり、この時期の作を古正阿弥の名で言いならわしている。そもそも京都には同朋衆として阿弥衆が存在し、その中に正阿弥一派があった。有名の作はないものの、刀装金具師から鐔工となったというのが今日の通説である。桃山時代には京都に栄え、慶長八年の年紀を有する彦十郎の太刀鐔・大切羽一組はその隆盛の一端を伝えている。同派は江戸期に入ると各地に移住分派し栄えた。秋田正阿弥もその一類で、伝兵衛重吉を事実上の祖としている。傳兵衛は慶安四年に出羽国庄内に生まれ、寛文八年十八歳の時に江戸へ出て正阿弥吉長の弟子となり、延宝元年に秋田へ移り、同三年に藩主佐竹義処の抱え工となり、同四年に正阿弥の流名を許された。以後嫡流は伝内重高、伝七重常、嘉吉重央と続いている。また岡山正阿弥は池田藩に仕え、幕末には藤四郎家九代を継いだ勝義が出た。 古正阿弥と呼ばれるものの作風を見ると、鉄に透彫をして、それに金・銀などの布目象嵌を施したものが通例である。鍛えの良いやや薄手の鉄磨地に左右大透など大胆な地透を切り、日足鑢に赤銅象嵌を加え、耳に縄目文の銀象嵌や雷文繫の金布目象嵌を施すなど、斬新で力強い意匠に見どころがある。一方、赤銅魚子地に高彫・金色絵で家紋を散らす糸巻太刀拵の総金具など格式の高い太刀金具も手掛けており、長右衛門の針書銘や秋田の六弥の年紀銘を有する作が知られる。秋田正阿弥随一の金工傳兵衛の作域は広く、秋田名物の蕗図や雲龍図を肉彫地透象嵌で表したものや、漆芸の堆朱のような効果を発揮したぐり彫などをはじめ多岐に亘っているが、いずれも構図が斬新であり、線象嵌や布目象嵌など高度な象嵌技術には目を見張るものがある。平地に施された金七宝象嵌は平田本家における七宝手法と全く同一のものであり、両家の交流の証として貴重である。岡山の勝義は堂々とした造込みに堅実な鏨使いで重厚感のある高彫を施し、金・銀・赤銅・素銅・四分一の入念精緻な象嵌を存分に用いており、実兄勝実を通じて後藤一乗の作風も学んでいる。 古正阿弥の鐔は、肥後細川家や大徳川家に伝来した打刀拵、信長拵を手本に制作された肥後打刀拵、宮本武蔵の高弟寺尾信行の指料と伝える拵などに用いられており、武家の実用と雅味の双方に応えた同派への評価を物語っている。慶長八年や天明二年などの年紀作は資料性が極めて高く、正阿弥研究の進展に大きく寄与するものである。秋田では傳兵衛が秋田随一の金工として活躍し、三代傳七も初・二代同様に藩主佐竹家の藩工として腕を振るい、江戸の佐野直照に学んだ重照ら門流も確かな構図・彫技を示した。幕末明治の勝義は明治九年に廃刀令にあって刀装具の制作を断ったが、持国天図鐔や七十三翁銘の難波潟歌絵図鐔など、風流のなかにも覇気を感じさせる傑作を遺している。先祖正阿弥から受け継いだ伝統に用即美の華を添えたその系譜は、室町の京に発して諸国に広がり、近世金工の掉尾を飾るまで連綿と続いた一大流派として、刀装具史に確固たる位置を占めている。 詳しく見る →
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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¥220,000
舟頭干網図鐔 無銘(会津正阿弥) -Mumei (Aizu Shoami)- 縦84.5ミリ 横79.0ミリ 切羽台厚3.3ミリ 重量163.0グラム 江戸中期 The middle Edo period 附属 保存刀装具鑑定書、桐箱 会津正阿弥は、江戸時代に陸奥国会津を中心として活動した正阿弥系の刀装金工です。正阿弥派は各地に系統を広げ、会津においても多くの鐔工が活躍して独自の発展を遂げ、同地を代表する刀装金工の一派となりました。作風は一様ではなく、鉄地を主体として地透、肉彫、鋤出彫、毛彫、金銀や素銅による象嵌色絵など多彩な技法を用い、家紋、植物、動物、人物、故事、山水風景まで幅広い題材を表しています。堅牢な鉄の骨格に装飾性と絵画性を調和させた作品を数多く残しており、深みある鉄味と変化に富んだ意匠を楽しめるところに会津正阿弥の魅力があります。 舟頭干網図は、舟を操る船頭と漁の道具を水辺の景観に取り合わせ、人々の営みと自然の広がりを一つの画面に描く風俗画題で、舟を進める身体の動き、岸辺を渡る風、波音の余韻まで想像させるところに趣があり、限られた鐔面の中で舟、人物、岩山、波、霞、干網を表裏に配して一続きの物語を成立させるには、彫技のみならず優れた構成力が求められます。 本品は堂々とした撫角形の鉄地を広大な水辺に見立て、表の右側へ切り立つ岸壁を鋤出高彫で力強く起こし、その岩肌に生える笹を金で浮かび上がらせ、下方には細長い舟と長い棹を手にした船頭を置いて、静かな水面を今まさに進んでいく一瞬を捉えています。舟の下には幾重にも波を彫り込み、ところどころへ金色の飛沫を散らすことで、黒褐色の鉄地の中に水の動きと光のきらめきを生み、人物の小さな姿と大きな岸壁を対照させた構図が、限られた鐔面を雄大な山水へと広げています。 上方は画面を一段浅く鋤き下げ、輪郭を明瞭に描き切らず霞が水辺を包むような地景として扱っており、近景の岩山と舟を力強く見せながら、その背後へ空気を含んだ遠景を導く巧みな遠近表現となっています。裏面は左下へ張り渡して干された網を簡潔に表し、表の舟行きの後に漁の営みを静かに残すことで、華やかな表と余韻ある裏が呼応し、鐔を返すたび同じ水辺を異なる時の流れから眺めるような奥行きを味わわせます。 両櫃孔には鉛様の銀灰色金属を嵌め込み、その表面へ細かな鏨目を重ねており、左右に置かれた柔らかな灰色が黒褐色の鉄地、岸壁の深い陰影、笹と波飛沫の金色をつなぐ静かな色調として働いています。古様な茎孔、槌味を残した地肌、薄手ながら大振りで張りのある地鉄、丸耳の穏やかな輪郭、鋤き下げによって霞を表す大胆な構成で、遠目には深山を行く一艘の舟、手元では船頭の所作、笹、波飛沫、干網へと発見が続く、会津金工の鉄味と絵画性を存分に楽しめる見応えある一枚です。








正阿弥派
室町(c. 1500)
陸奥
無銘
保存 (NBTHK)
鐔工 · Kyoto
現在185点販売中
正阿弥派は室町時代中期頃に興った鐔工の一派である。室町中期から末期にかけて専門の鐔工が登場するが、京の正阿弥もその主たるものであり、この時期の作を古正阿弥の名で言いならわしている。そもそも京都には同朋衆として阿弥衆が存在し、その中に正阿弥一派があった。有名の作はないものの、刀装金具師から鐔工となったというのが今日の通説である。桃山時代には京都に栄え、慶長八年の年紀を有する彦十郎の太刀鐔・大切羽一組はその隆盛の一端を伝えている。同派は江戸期に入ると各地に移住分派し栄えた。秋田正阿弥もその一類で、伝兵衛重吉を事実上の祖としている。傳兵衛は慶安四年に出羽国庄内に生まれ、寛文八年十八歳の時に江戸へ出て正阿弥吉長の弟子となり、延宝元年に秋田へ移り、同三年に藩主佐竹義処の抱え工となり、同四年に正阿弥の流名を許された。以後嫡流は伝内重高、伝七重常、嘉吉重央と続いている。また岡山正阿弥は池田藩に仕え、幕末には藤四郎家九代を継いだ勝義が出た。 古正阿弥と呼ばれるものの作風を見ると、鉄に透彫をして、それに金・銀などの布目象嵌を施したものが通例である。鍛えの良いやや薄手の鉄磨地に左右大透など大胆な地透を切り、日足鑢に赤銅象嵌を加え、耳に縄目文の銀象嵌や雷文繫の金布目象嵌を施すなど、斬新で力強い意匠に見どころがある。一方、赤銅魚子地に高彫・金色絵で家紋を散らす糸巻太刀拵の総金具など格式の高い太刀金具も手掛けており、長右衛門の針書銘や秋田の六弥の年紀銘を有する作が知られる。秋田正阿弥随一の金工傳兵衛の作域は広く、秋田名物の蕗図や雲龍図を肉彫地透象嵌で表したものや、漆芸の堆朱のような効果を発揮したぐり彫などをはじめ多岐に亘っているが、いずれも構図が斬新であり、線象嵌や布目象嵌など高度な象嵌技術には目を見張るものがある。平地に施された金七宝象嵌は平田本家における七宝手法と全く同一のものであり、両家の交流の証として貴重である。岡山の勝義は堂々とした造込みに堅実な鏨使いで重厚感のある高彫を施し、金・銀・赤銅・素銅・四分一の入念精緻な象嵌を存分に用いており、実兄勝実を通じて後藤一乗の作風も学んでいる。 古正阿弥の鐔は、肥後細川家や大徳川家に伝来した打刀拵、信長拵を手本に制作された肥後打刀拵、宮本武蔵の高弟寺尾信行の指料と伝える拵などに用いられており、武家の実用と雅味の双方に応えた同派への評価を物語っている。慶長八年や天明二年などの年紀作は資料性が極めて高く、正阿弥研究の進展に大きく寄与するものである。秋田では傳兵衛が秋田随一の金工として活躍し、三代傳七も初・二代同様に藩主佐竹家の藩工として腕を振るい、江戸の佐野直照に学んだ重照ら門流も確かな構図・彫技を示した。幕末明治の勝義は明治九年に廃刀令にあって刀装具の制作を断ったが、持国天図鐔や七十三翁銘の難波潟歌絵図鐔など、風流のなかにも覇気を感じさせる傑作を遺している。先祖正阿弥から受け継いだ伝統に用即美の華を添えたその系譜は、室町の京に発して諸国に広がり、近世金工の掉尾を飾るまで連綿と続いた一大流派として、刀装具史に確固たる位置を占めている。 詳しく見る →
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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