武鑑透鐔 無銘(与四郎) -Mumei(Yoshiro)- 縦58.5ミリ 横56.1ミリ 切羽台厚4.15ミリ 重量65グラム 桃山~江戸前期 The Momoyama to early Edo period 附属 桐箱 平安城象嵌は鉄地に真鍮を嵌め込んで文様を表す鐔の一群で、室町後期から桃山、江戸初期にかけて盛行し、唐草、草花、家紋などを真鍮平象嵌によって装飾することを特色としています。与四郎鐔はこの平安城象嵌の流れを受けて発展したものとされ、鉄地と真鍮の鮮明な色彩対比を生かした作品が数多く伝わっています。複数の家紋を丸内に透かして配する意匠は刀装具において武鑑透と呼ばれ、武家を象徴する紋章を装飾として取り入れた格調ある構成となっています。 本作は小振りな丸形の鉄地に二種の家紋を丸枠の中へ透かして配し、その紋と外周を真鍮で仕立てた武鑑透鐔です。上方には八方へ鋭く広がる星形を思わせる紋、下方には六弁の花形紋を置き、異なる二種の紋を縦に並べることで簡潔ながら変化のある構成を見せています。鉄地の大部分を無地のまま残し、二つの紋だけを鮮やかな真鍮色で浮かび上がらせているため、全面を唐草や草花で埋める平安城象嵌とは異なる、余白を生かした端正な趣があり、小柄櫃にも真鍮の縁取りを施すことで全体の調子を整えています。 地鉄には長い年月を経た黒褐色の古色があり、表面に細かな擦れや時代相応の荒れを残しながらも、真鍮の色合いとの対比によって落ち着いた中にも確かな存在感を見せています。耳には赤銅覆輪を巡らせ、黒味の強い鉄地、黄味を帯びた真鍮、深い色合いの赤銅という三種の金属を抑制の利いた配色でまとめており、華美に傾かず武家の装具らしい品格を感じさせる仕立ての作品です。







鐔工
現在25点販売中
平安城象嵌鐔は、山城国の都・京都を中心に展開した技法的地域伝統である。NBTHK説示において本派は一貫して「応仁鐔の流れを汲む流派」[[c:1]]と位置付けられているが、その古いところは時代的にも応仁鐔にほぼ近く、両者はおおむね同時期に栄えたものと理解される。また鎌倉鐔などとの関連性も考えられている。本派は室町時代末期から桃山期にかけて盛行し、江戸初期に至るまで繁栄を見た。この門からは小池与四郎が出て一派をおこした。与四郎は小池氏で和泉守を受領し名を直正といい、出身は京都であるが後に加賀国に移住し、金工加賀象嵌の先駆をなしたと伝えられる。銘を記すものが多く、作者銘の前に「平安城住」「山城国住」と製作地を冠するのが通例で、政重・長吉・吉久・吉家などの銘が多く見られる。 作風はおおむね二様に大別される。一つは据紋象嵌、他は平象嵌であり、いずれも真鍮を多用しているところに顕著な特色がある。意匠については、前者は紋唐草を施して文様風に展開させ、後者には唐草文・桔梗文のように草花をあらわしたものを多く見る。時代が下るにつれて真鍮以外の金・銀・素銅・赤銅・山金などを併用するようになり、意匠も絵風のものが加わり、据文と平象嵌を混用したり鋤出高彫を施した作例もある。小池与四郎の一派はさらに独自の造込みを示し、薄手の鉄板鐔の耳際に家紋を連ねて透し、地に唐草の平象嵌を一面に施して毛彫を加えたものをその典型とする。平象嵌がわずかに地よりも盛り上った感じとなるところ、また耳際にわずかに肉を落とした肉置の処理は与四郎鐔の造込みの特色とされる。 説示を通じて本派の作品は繰り返し京都的な美意識をもって評価されている。「意匠が雅びでいかにも京風」[[c:2]]「構図・彫法共に洗練味があり」[[c:3]]「画面からは京風の雅びやかさが看て取れる」[[c:4]]「文様にも雅致があり」[[c:5]]といった審査語が重ねられ、都の工房文化に根ざした洗練が一貫して認められる。長吉のように鋤出高彫と真鍮・赤銅象嵌を駆使して山水図のごとき絵風鐔の世界を展開し得た作者の存在は、本派が単なる象嵌装飾にとどまらず、絵画的表現にまで到達した技術的幅の広さを物語る。鉄地に真鍮象嵌という素材と技法の組み合わせを基軸としながら、独自の意匠感覚と都風の雅趣をもって鐔の一大系譜を確立した点に、平安城象嵌鐔の伝統としての意義がある。 詳しく見る →
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
お求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
¥55,000
武鑑透鐔 無銘(与四郎) -Mumei(Yoshiro)- 縦58.5ミリ 横56.1ミリ 切羽台厚4.15ミリ 重量65グラム 桃山~江戸前期 The Momoyama to early Edo period 附属 桐箱 平安城象嵌は鉄地に真鍮を嵌め込んで文様を表す鐔の一群で、室町後期から桃山、江戸初期にかけて盛行し、唐草、草花、家紋などを真鍮平象嵌によって装飾することを特色としています。与四郎鐔はこの平安城象嵌の流れを受けて発展したものとされ、鉄地と真鍮の鮮明な色彩対比を生かした作品が数多く伝わっています。複数の家紋を丸内に透かして配する意匠は刀装具において武鑑透と呼ばれ、武家を象徴する紋章を装飾として取り入れた格調ある構成となっています。 本作は小振りな丸形の鉄地に二種の家紋を丸枠の中へ透かして配し、その紋と外周を真鍮で仕立てた武鑑透鐔です。上方には八方へ鋭く広がる星形を思わせる紋、下方には六弁の花形紋を置き、異なる二種の紋を縦に並べることで簡潔ながら変化のある構成を見せています。鉄地の大部分を無地のまま残し、二つの紋だけを鮮やかな真鍮色で浮かび上がらせているため、全面を唐草や草花で埋める平安城象嵌とは異なる、余白を生かした端正な趣があり、小柄櫃にも真鍮の縁取りを施すことで全体の調子を整えています。 地鉄には長い年月を経た黒褐色の古色があり、表面に細かな擦れや時代相応の荒れを残しながらも、真鍮の色合いとの対比によって落ち着いた中にも確かな存在感を見せています。耳には赤銅覆輪を巡らせ、黒味の強い鉄地、黄味を帯びた真鍮、深い色合いの赤銅という三種の金属を抑制の利いた配色でまとめており、華美に傾かず武家の装具らしい品格を感じさせる仕立ての作品です。







鐔工
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平安城象嵌鐔は、山城国の都・京都を中心に展開した技法的地域伝統である。NBTHK説示において本派は一貫して「応仁鐔の流れを汲む流派」[[c:1]]と位置付けられているが、その古いところは時代的にも応仁鐔にほぼ近く、両者はおおむね同時期に栄えたものと理解される。また鎌倉鐔などとの関連性も考えられている。本派は室町時代末期から桃山期にかけて盛行し、江戸初期に至るまで繁栄を見た。この門からは小池与四郎が出て一派をおこした。与四郎は小池氏で和泉守を受領し名を直正といい、出身は京都であるが後に加賀国に移住し、金工加賀象嵌の先駆をなしたと伝えられる。銘を記すものが多く、作者銘の前に「平安城住」「山城国住」と製作地を冠するのが通例で、政重・長吉・吉久・吉家などの銘が多く見られる。 作風はおおむね二様に大別される。一つは据紋象嵌、他は平象嵌であり、いずれも真鍮を多用しているところに顕著な特色がある。意匠については、前者は紋唐草を施して文様風に展開させ、後者には唐草文・桔梗文のように草花をあらわしたものを多く見る。時代が下るにつれて真鍮以外の金・銀・素銅・赤銅・山金などを併用するようになり、意匠も絵風のものが加わり、据文と平象嵌を混用したり鋤出高彫を施した作例もある。小池与四郎の一派はさらに独自の造込みを示し、薄手の鉄板鐔の耳際に家紋を連ねて透し、地に唐草の平象嵌を一面に施して毛彫を加えたものをその典型とする。平象嵌がわずかに地よりも盛り上った感じとなるところ、また耳際にわずかに肉を落とした肉置の処理は与四郎鐔の造込みの特色とされる。 説示を通じて本派の作品は繰り返し京都的な美意識をもって評価されている。「意匠が雅びでいかにも京風」[[c:2]]「構図・彫法共に洗練味があり」[[c:3]]「画面からは京風の雅びやかさが看て取れる」[[c:4]]「文様にも雅致があり」[[c:5]]といった審査語が重ねられ、都の工房文化に根ざした洗練が一貫して認められる。長吉のように鋤出高彫と真鍮・赤銅象嵌を駆使して山水図のごとき絵風鐔の世界を展開し得た作者の存在は、本派が単なる象嵌装飾にとどまらず、絵画的表現にまで到達した技術的幅の広さを物語る。鉄地に真鍮象嵌という素材と技法の組み合わせを基軸としながら、独自の意匠感覚と都風の雅趣をもって鐔の一大系譜を確立した点に、平安城象嵌鐔の伝統としての意義がある。 詳しく見る →
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
お求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
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