説明

Stock number:WA-030124Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Hozon ToukenCountry(Kuni)・Era(Jidai): Musashi (Tokyo)・Middle Edo period about 1661~Blade length(Cutting edge): 51.8cmCurve(SORI): 0.7cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.15cmThickness at the Moto-Kasane: 0.62cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.50cmThickness at the Saki-Kasane: 0.50cmHabaki: One part, Silver foil HabakiSword tang(Nakago): Sujikai file patternRivet Holes(Mekugiana): 3Length of Koshirae: about 77.5cmShape(Taihai): Shinogizukuri,Iorimune,Chu-kissakiJigane(Hada):Temper patterns(Hamon):Temper patterns in the point(Bohshi):Registration Card: Hyogo【Additional Information】長曽祢虎徹は、生国を近江国長曽根とし、本名を興里、通称は三之丞と云う。生国については、「本国越前住人」と銘する現存作がある事から、越前とする説、近江で生まれ、越前で育ったとみる説がある。越前国で甲冑製作を生業していた本工は、明暦二年頃、五十歳前後で江戸に上がり、刀工に転向した。太平の世にあっては、甲冑や鉄砲など戦道具の需要が減少し、職人が廃業に追い込まれる事も少なくなかった。同工が鍛えた刀は、鍛の良さはさることながら、斬味が特に優れ、頑強で質実剛健、機能美を追求した出来栄えを示し、後世に最上大業物と評されるに至る。刻銘は初期に「古鉄」、「虎徹」、寛文四年頃から「乕鉄」と変わっている。当時から名工と呼び声高い同工は、生前から贋作が多くあった事がその理由として挙げられる。作風は刀、脇差、少ないながら短刀もあり、冠落造、片切刃造などの造込がある。地鉄は板目肌がよく詰み、地沸付き、地景が入った強靭な鍛で鉄よく冴える。刃文は初期に美濃風の小湾れに互の目を交えたもの、瓢箪刃、後期には頭が丸い互の目が連れた数珠刃などを焼く。同工の刀工としての活動期間、二十三年間に甲冑師などで培われた鍛錬技術、優れた感性が遺憾なく発揮され、結果、新刀第一の名工、新刀東の横綱などと称される事となった。勝海舟や新選組局長 近藤勇をはじめとする偉人たちが同工の刀を佩刀していた事もまた、「虎徹」が最高位の刀工として知られる要因の一つである。本刀体配は、刃長が一尺七寸一分。身幅元先やや幅差つき、重ね尋常、反りは浅めで中っ先が詰まり心となる寛文新刀姿の一振。良く練られた地鉄は、板目肌がよく詰んで地沸微塵に付き、地景が強く入るなど、精良で力感に溢れた肌合いを示す。刃文は沸出来の互の目乱れで、尖り刃、瓢箪風の刃が交じり、沸よく付き、匂口極めて明るい。刃中には足が入り、処々砂流しがかかって盛んに働く。帽子は直ぐで先小丸へ返る。本作、長曽祢虎徹興里の出色の一口。地鉄は精緻に鍛えられて破綻なく、焼刃は同工の特色がよく表れた刃となるなど覇気に富んだ同工の名品である。白鞘、銀無垢一重はばき、脇差拵、保存刀剣鑑定書、乕徹大鑑所載品。

Wakizashi [Nagasone Kotetsu(Okisato)(Saijo-O-wazamono)] [N.B.T.H.K] Hozon Token
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Hozon売切れ

Wakizashi [Nagasone Kotetsu(Okisato)(Saijo-O-wazamono)] [N.B.T.H.K] Hozon Token

脇差

売却済

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仕様

長さ

51.8 cm

反り

0.7 cm

元幅

3.15 cm

先幅

2.5 cm

流派について

Kotetsu School虎徹派

長曽祢虎徹興里は元々越前の甲冑師であり、明暦二年頃、五十歳ばかりの頃に江戸へ出て刀鍛冶へ転じたと伝える。通称を三之丞と称し、興里と名乗ったが、入道して「こてつ入道」といい、初めは「古鉄」の字を用い、後に「虎徹」、さらに寛文四年八月からは「乕徹」「馬徹」の字を使用している。年紀のある作では明暦二年が最初期、延宝五年がその下限とされ、武蔵国江戸の東叡山忍岡辺に住したことが住居地銘にうかがえる。その系では、通説に虎徹の門に学んで後に養子となり二代目を継承したと伝える長曽祢興正があり、経眼される年紀は寛文十三年から元禄三年に及ぶ。興正の技倆は師に次いで巧みで、虎徹晩年の作のうちには興正の代作が含まれていると考えられている。江戸中期、寛文を中心とする新刀の只中に立ち、甲冑師の出という異色の経歴から鍛刀の名門が興った。 作風は地鉄が強く、地刃の匂口が明るく冴えるのを特色とし、作刀の多くに焼出しを伴う。鍛えは小板目肌がよくつんで杢を交え、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、腰元には梃子鉄と称する大肌や地斑状の肌合を交えることがあり、かねが冴える。刃文は前期には瓢箪刃と称される大小の互の目が繋がって出入りのある乱れを焼き、後期には焼の出入りに変化の少ない、頭の丸い互の目の連れた、いわゆる数珠刃と呼ばれる独特の互の目乱れを焼く。これに伴い銘も前期の「はね虎」から寛文四年に「はこ虎」へ改まり、作域の推移と対応する。足が太く頻りに入り、匂深く小沸が厚くつき、金筋・砂流しのかかるものが多い。帽子は直ぐに小丸とし、横手を互の目で跨ぐいわゆる乕徹帽子を見せるのが見分けの要となる。姿は元先の幅差がつき反り浅く中鋒のつまる寛文新刀の体配で、手持ちの重い頑健なものが多く、梵字・三鈷剣・倶利迦羅などの彫物を自身彫として添えた作も知られる。興正は師ゆずりの数珠刃を継ぎつつ、匂深く沸の覇気ある刃を焼き、互の目丁子を交えるなど独自を追った持ち味を示す。 虎徹が収集家に重んじられるのは、地刃の冴えと数珠刃の見どころに加え、記録された截断の評による。寛文五年三月の貳ツ胴切落、同年十一月の両車切落、寛文元年の三ツ胴截断など、山野勘十郎久英・山野加右衛門永久らによる金象嵌截断銘が遺り、その切れ味の高さを今に伝える。截断は必ずしも直ちに象嵌されたものではなく、後日まとめて施された例もこれらの銘から知られる。伝来の確かな作も尊ばれ、肥前国鍋島家に伝わって佐藤寒山博士の鞘書に鍋島虎徹の異名を記すものがある。鑑定の要点は、明るく冴える地刃、前期の瓢箪刃と後期の数珠刃という時期による作域の違い、乕徹帽子の所作、銘振りの推移にあり、年紀を欠く作でも銘と作域から制作期を推し量ることができる。短刀は作例が極めて少なく、相州伝の趣を強く感じさせるものが知られる。甲冑師から転じて一代で名を成し、後継の興正へと技を伝えたこの系は、江戸新刀を代表する一門として確固たる位置を占めている。

刀剣商

銀座誠友堂

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