1853年のペリー来航は徳川の泰平をほどき、二世紀ぶりに実用刀の大量需要を生んだ。四谷正宗と呼ばれた清麿はその前夜に世を去り、宗次や行秀が最後の好況を担った。
宮川宗継は源清麿の兄真雄の門人。慶応年間に筑前守を受領(注)。兵学者で思想家の佐久間象山が仕えたことで知られる信濃松代藩真田家の抱工として激動の時代を生きたが、他の多くの刀工と同様に廃刀令により鎚を措くこととなった。それが故に遺されている作品は極めて少ない。 この短刀は、幕末から明治にかけての志士や活動家が自らの護りを目的に懐に潜ませたものであろう、小振りに引き締まった造り込み。反りを控えて重ねは尋常、研ぎ減りなく生ぶ刃が残された健全体。小板目鍛えの地鉄は地底に板目がうっすらと浮かぶも、刃肌を出さずに均質で、細かな地沸が全面を覆い、所々に淡い湯走りが働いて淡く光る。明るい小沸出来の刃文は、区下穏やかな焼込みから始まる湾れを交えた互の目乱刃で、淡い足が入り、浅く乱れ込んだ帽子はわずかに倒れて先小丸に返る山浦流。筋違鑢に真雄同様の流暢な草書銘が刻されている。 付されている拵は、鞘尻が張って武骨な印象があるものの、刻みの間隔に小から大へと変化をつけた、品の良い呑口様式。二ツ巴紋の目貫を据え、加賀金工の赤銅地に金銀素銅の平象嵌が活かされた繊細な意匠の小柄が備えられ、縁頭、鯉口、緒通し、裏瓦、鐺はいずれも角製磨地無文で彫口正確な、巧みな技術が窺える出来。 注...「於洛五条辺松代臣宗継造之慶應二年八月日」の年紀作がある。『銀座情報』二八〇号。








新々刀 · 信濃
幕末 最後の需要
1853年のペリー来航は徳川の泰平をほどき、二世紀ぶりに実用刀の大量需要を生んだ。四谷正宗と呼ばれた清麿はその前夜に世を去り、宗次や行秀が最後の好況を担った。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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