1800年前後、水心子正秀は著述をもって、鍛刀は古作の法に立ち返るべしと説いた。復古刀の運動である。最大の後継者直胤は、数百年絶えていた備前伝と相州伝を確信をもって再現した。
日本刀 脇差 銘 播州手柄山藤原氏繁(天明七年) 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣 【解説】 本作は天明七年(1787年)、江戸時代後期に播州手柄山藤原氏繁によって制作された一振りです。「播州」とは現在の兵庫県にあたる播磨国の別称であり、「手柄山」は氏繁が属した一派の名称です。氏繁の名は数代にわたり受け継がれていますが、制作年より本作は三代目氏繁の手によるものと推測されます。 手柄山家は当初「氏重」と銘じていました。初代から三代まではこの「氏重」の字を用い、その優れた技量から朝廷より「大和大掾」の受領名を授かっています。しかし、四代目氏繁の代に至り、播磨藩の命により「氏繁」へと改銘しました。四代氏繁は天明八年(1788年)、白河藩主・松平定信公のお抱え鍛冶となり、江戸でも作刀を行いました。享和三年(1803年)には、定信公の推挙により「甲斐守」を受領しています。 また、新選組の永倉新八が四代氏繁の刀を愛用していたという逸話も残されています。 「手柄山」の派名は、播磨国の手柄山の麓で作刀していたことに由来します。「手柄」という言葉が武功を意味する瑞祥名であることから、手柄山一派の刀剣は当時、高位の武士の間で非常に人気がありました。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に認定されています。これは保存状態が極めて良く、かつ美術的価値が高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 【刀身】 刃長:54.5 cm(1尺8寸強) 反り:0.90 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造の文様 地鉄(肌):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様 茎(なご):刀身の柄に収まる部分。 日本刀の茎には、赤錆を防ぐために意図的に「黒錆」が残されます。この茎の錆色(経年変化)は、専門家が制作年代を特定する際の重要な指標となります。 【外装:拵】 拵(こしらえ)とは、鞘、柄、鍔などを含めた日本刀の外装一式を指します。 縁頭(ふちかしら): 柄の両端を保護し装飾する金具です。本作の縁頭は銅製で、表面には「魚子地(ななこじ)」が施されています。魚子地とは、専用の鏨(たがね)を用いて金属表面に微細な粒を均一に打ち出す技法で、刀装具に多用される伝統的な装飾です。 意匠は、木の枝で羽を休める鳥の図です。経年により色調は落ち着いていますが、鳥や枝の一部には当初施された金の色絵が残っています。その姿から、これらは「烏(からす)」を描いたものと推察されます。古来、烏は太陽信仰と深く結びついており、太陽には三本足の烏が住むと信じられてきました。神の使いとしての八咫烏(やたがらす)は「天・地・人」を表し、神と自然と人間は同じ太陽から生まれた兄弟であるという精神性を象徴しています。 柄・目貫: 柄は刀を握る部位であり、目貫(めぬき)は……





















新々刀 · 播磨
現在6点販売中
手柄山は播磨国姫路を本拠とする新々刀期の一門で、説示によれば手柄山の麓に住したことから代々その地名を姓としたという。一門の中心となる正繁は、通称を朝七といい丹霞斎と号した工で、三代目手柄山氏繁の弟にあたり、初め四代目氏繁を襲名したのち正繁と改めている。初代大和大掾氏重の末葉であると記され、播州姫路に系譜を引く家系であることがうかがえる。天明八年、奥州白川(白河)の藩主松平定信の抱え鍛冶となって江戸に移り住み、神田駿台を作刀の地とした。享和三年四月には甲斐守を受領し、文政の初年頃には一時大坂でも鍛刀したのち再び江戸に戻っている。晩年には楽翁すなわち松平定信から「神妙」の二字を賜り、会心の作にこれをきったと伝える。一説に江戸に出て水心子正秀に学んだとも記され、姫路に発した手柄山の鍛冶が藩公の抱え工として江戸へ展開していった経緯が説示の各所に共通して語られる。 作風は、説示が一様に記すとおり、津田越前守助広に私淑した濤瀾風の大互の目乱れを本領とする。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が厚くつき、地景が細かに入って地鉄の冴える点が共通して挙げられる。刃文は元を直ぐに焼き出し、その上にのたれや大互の目を交えて濤瀾状の乱れを焼き、足・葉が入り、匂深く小沸がむらなく厚くつくものが多い。処々で強く沸づき、飛焼・湯走り・棟焼・島刃を見せ、砂流しがかかり金筋が頻りに入って、匂口が明るく冴えるのを特色とする。帽子はおおむね直ぐに小丸へ結び、掃きかけのかかるものもある。乱れの間に尖りごころの刃を交えるのは同工の特色と説示が指摘しており、また矢筈風の刃を交える作も認められる。濤瀾乱を主調としながら、説示にいう浅いのたれや直刃の作域も併せ持つ。茎は生ぶで先を浅い入山形とし、鑢目を大筋違に化粧をかけ、指表棟寄りに太鏨大振りの長銘を、裏に年紀や作刀地・注文者銘をきる構成が、見分けの手がかりとして繰り返し記されている。 鑑定の要点は、整然と崩れず焼かれた大互の目を主調とする濤瀾乱、むらなく厚くつく小沸、明るく冴える地刃の働き、そして尖りごころの刃という同工の癖にある。説示には、珠追龍や梵字・三鈷柄剣、昇龍といった刀身彫刻を正繁自身が手がけた作が挙げられ、茎にその旨を記すものもあって資料的価値が高いとされる。年紀のあるものは寛政から享和に及び、東武駿台・武陽駿岱と記す江戸作のほか、石州出羽の鉄を用いたと銘するものや、古河藩士小杉為長、渡辺崎右衛門美政らの注文に応じた作が伝わる。松平定信の抱え工として江戸に出て助広風の濤瀾乱を得意とした上手の工として、説示は手柄山正繁を新々刀の一典型に位置づけている。[[c:1]] 詳しく見る →
1800年前後、水心子正秀は著述をもって、鍛刀は古作の法に立ち返るべしと説いた。復古刀の運動である。最大の後継者直胤は、数百年絶えていた備前伝と相州伝を確信をもって再現した。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 脇差 銘 播州手柄山藤原氏繁(天明七年) 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣 【解説】 本作は天明七年(1787年)、江戸時代後期に播州手柄山藤原氏繁によって制作された一振りです。「播州」とは現在の兵庫県にあたる播磨国の別称であり、「手柄山」は氏繁が属した一派の名称です。氏繁の名は数代にわたり受け継がれていますが、制作年より本作は三代目氏繁の手によるものと推測されます。 手柄山家は当初「氏重」と銘じていました。初代から三代まではこの「氏重」の字を用い、その優れた技量から朝廷より「大和大掾」の受領名を授かっています。しかし、四代目氏繁の代に至り、播磨藩の命により「氏繁」へと改銘しました。四代氏繁は天明八年(1788年)、白河藩主・松平定信公のお抱え鍛冶となり、江戸でも作刀を行いました。享和三年(1803年)には、定信公の推挙により「甲斐守」を受領しています。 また、新選組の永倉新八が四代氏繁の刀を愛用していたという逸話も残されています。 「手柄山」の派名は、播磨国の手柄山の麓で作刀していたことに由来します。「手柄」という言葉が武功を意味する瑞祥名であることから、手柄山一派の刀剣は当時、高位の武士の間で非常に人気がありました。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に認定されています。これは保存状態が極めて良く、かつ美術的価値が高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 【刀身】 刃長:54.5 cm(1尺8寸強) 反り:0.90 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造の文様 地鉄(肌):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様 茎(なご):刀身の柄に収まる部分。 日本刀の茎には、赤錆を防ぐために意図的に「黒錆」が残されます。この茎の錆色(経年変化)は、専門家が制作年代を特定する際の重要な指標となります。 【外装:拵】 拵(こしらえ)とは、鞘、柄、鍔などを含めた日本刀の外装一式を指します。 縁頭(ふちかしら): 柄の両端を保護し装飾する金具です。本作の縁頭は銅製で、表面には「魚子地(ななこじ)」が施されています。魚子地とは、専用の鏨(たがね)を用いて金属表面に微細な粒を均一に打ち出す技法で、刀装具に多用される伝統的な装飾です。 意匠は、木の枝で羽を休める鳥の図です。経年により色調は落ち着いていますが、鳥や枝の一部には当初施された金の色絵が残っています。その姿から、これらは「烏(からす)」を描いたものと推察されます。古来、烏は太陽信仰と深く結びついており、太陽には三本足の烏が住むと信じられてきました。神の使いとしての八咫烏(やたがらす)は「天・地・人」を表し、神と自然と人間は同じ太陽から生まれた兄弟であるという精神性を象徴しています。 柄・目貫: 柄は刀を握る部位であり、目貫(めぬき)は……





















新々刀 · 播磨
現在6点販売中
手柄山は播磨国姫路を本拠とする新々刀期の一門で、説示によれば手柄山の麓に住したことから代々その地名を姓としたという。一門の中心となる正繁は、通称を朝七といい丹霞斎と号した工で、三代目手柄山氏繁の弟にあたり、初め四代目氏繁を襲名したのち正繁と改めている。初代大和大掾氏重の末葉であると記され、播州姫路に系譜を引く家系であることがうかがえる。天明八年、奥州白川(白河)の藩主松平定信の抱え鍛冶となって江戸に移り住み、神田駿台を作刀の地とした。享和三年四月には甲斐守を受領し、文政の初年頃には一時大坂でも鍛刀したのち再び江戸に戻っている。晩年には楽翁すなわち松平定信から「神妙」の二字を賜り、会心の作にこれをきったと伝える。一説に江戸に出て水心子正秀に学んだとも記され、姫路に発した手柄山の鍛冶が藩公の抱え工として江戸へ展開していった経緯が説示の各所に共通して語られる。 作風は、説示が一様に記すとおり、津田越前守助広に私淑した濤瀾風の大互の目乱れを本領とする。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が厚くつき、地景が細かに入って地鉄の冴える点が共通して挙げられる。刃文は元を直ぐに焼き出し、その上にのたれや大互の目を交えて濤瀾状の乱れを焼き、足・葉が入り、匂深く小沸がむらなく厚くつくものが多い。処々で強く沸づき、飛焼・湯走り・棟焼・島刃を見せ、砂流しがかかり金筋が頻りに入って、匂口が明るく冴えるのを特色とする。帽子はおおむね直ぐに小丸へ結び、掃きかけのかかるものもある。乱れの間に尖りごころの刃を交えるのは同工の特色と説示が指摘しており、また矢筈風の刃を交える作も認められる。濤瀾乱を主調としながら、説示にいう浅いのたれや直刃の作域も併せ持つ。茎は生ぶで先を浅い入山形とし、鑢目を大筋違に化粧をかけ、指表棟寄りに太鏨大振りの長銘を、裏に年紀や作刀地・注文者銘をきる構成が、見分けの手がかりとして繰り返し記されている。 鑑定の要点は、整然と崩れず焼かれた大互の目を主調とする濤瀾乱、むらなく厚くつく小沸、明るく冴える地刃の働き、そして尖りごころの刃という同工の癖にある。説示には、珠追龍や梵字・三鈷柄剣、昇龍といった刀身彫刻を正繁自身が手がけた作が挙げられ、茎にその旨を記すものもあって資料的価値が高いとされる。年紀のあるものは寛政から享和に及び、東武駿台・武陽駿岱と記す江戸作のほか、石州出羽の鉄を用いたと銘するものや、古河藩士小杉為長、渡辺崎右衛門美政らの注文に応じた作が伝わる。松平定信の抱え工として江戸に出て助広風の濤瀾乱を得意とした上手の工として、説示は手柄山正繁を新々刀の一典型に位置づけている。[[c:1]] 詳しく見る →
1800年前後、水心子正秀は著述をもって、鍛刀は古作の法に立ち返るべしと説いた。復古刀の運動である。最大の後継者直胤は、数百年絶えていた備前伝と相州伝を確信をもって再現した。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.