天下統一は大量の市場を閉じ、関の鍛冶は新しい富の在り処へ移った。三品の一門は受領名を得て京に、大道系は諸国の城下町に。美濃は新刀時代の最大の祖先となった。
古美術刀剣 伝・濃州大道 短刀 NTHK(日本刀剣保存会)鑑定書付 【解説】 本作は、室町時代末期に美濃国(現在の岐阜県)で活躍した名工、大道(だいどう)の作と伝わる一振りです。NTHK(日本刀剣保存会)の鑑定によれば、その製作年代は文禄年間(1592–1596年)頃と推定されます。室町末期から江戸時代にかけて「大道」を名乗る刀工は数名存在しますが、中でも最も高名なのが、本作の極め先である陸奥守大道です。彼は当初「兼道」と銘じ美濃国で鍛刀していましたが、永禄12年(1569年)に京都へ移住しました。 その卓越した技量により、正親町天皇より「大」の字を賜る栄誉に浴し、以来「大兼道」と称されました。これは朝廷からの極めて高い評価を象徴するものです。彼はまた、江戸時代初期の京都において屈指の名門となる「三品派」の祖としても知られています。 美濃国について 美濃国は、日本刀の歴史において最も重要な作刀地の一つです。武士の時代、この地では多くの流派が競い合い、「美濃伝」と呼ばれる独自の伝法を確立しました。その特徴は、尖り刃を交えた変化に富む乱れ刃や、白く現れる「映り」にあります。美濃伝は鎌倉時代末期(1280-1330年頃)の大和伝を源流とし、室町時代(1333-1573年)に最盛期を迎え、江戸時代までその伝統を繋ぎました。 特に戦国時代、美濃伝は武器としての需要の高まりから大いに繁栄しました。美濃の地は、明智光秀が治めた美濃、織田信長の尾張、徳川家康の駿河といった有力大名の領地に隣接する要衝であり、これら戦国大名やその家臣団から絶大な支持を得ていました。また、関東と京を結ぶ中心地に位置したため、各地の諸大名にとっても注文がしやすく、実戦における機能美と切れ味の鋭さは「美濃物」として全国にその名を轟かせました。 ※刀身には一部、経年による僅かな黒錆が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):36.3 cm 反り(Sori):0.6 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地肌(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる持ち手にあたる部分。 鎺(Habaki):刀身が鞘に直接触れるのを防ぎ、錆や欠けを防止するとともに、刀身を鞘に固定する金具。 鑑定書:NTHK(日本刀剣保存会)鑑定書(第13741号) NTHK(特定非営利活動法人 日本刀剣保存会)は、明治22年(1889年)に設立された、近代日本における最も歴史ある刀剣鑑定機関です。本作は令和8年(2026年)4月19日に鑑定済みです。ご購入者様にはこの鑑定書原本をお渡しいたします。ご希望があれば、鑑定内容の英訳PDFも作成可能です。 登録証:神奈川県 第8794号 神奈川県教育委員会発行の「銃砲刀剣類登録証」が付属します。文化庁により、美術品としての価値が認められた日本刀です。この登録証は、玉鋼を用い伝統的な手作業で鍛造された刀剣であることの証であり、日本国内で合法的に所有・譲渡が可能です。


















美濃伝 · 美濃 · 1573-1592頃
刀剣大鑑 上位31%
現在2点販売中
大道の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
美濃伝 · 美濃
現在165点販売中
美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。 詳しく見る →
桃山時代の美濃
天下統一は大量の市場を閉じ、関の鍛冶は新しい富の在り処へ移った。三品の一門は受領名を得て京に、大道系は諸国の城下町に。美濃は新刀時代の最大の祖先となった。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
古美術刀剣 伝・濃州大道 短刀 NTHK(日本刀剣保存会)鑑定書付 【解説】 本作は、室町時代末期に美濃国(現在の岐阜県)で活躍した名工、大道(だいどう)の作と伝わる一振りです。NTHK(日本刀剣保存会)の鑑定によれば、その製作年代は文禄年間(1592–1596年)頃と推定されます。室町末期から江戸時代にかけて「大道」を名乗る刀工は数名存在しますが、中でも最も高名なのが、本作の極め先である陸奥守大道です。彼は当初「兼道」と銘じ美濃国で鍛刀していましたが、永禄12年(1569年)に京都へ移住しました。 その卓越した技量により、正親町天皇より「大」の字を賜る栄誉に浴し、以来「大兼道」と称されました。これは朝廷からの極めて高い評価を象徴するものです。彼はまた、江戸時代初期の京都において屈指の名門となる「三品派」の祖としても知られています。 美濃国について 美濃国は、日本刀の歴史において最も重要な作刀地の一つです。武士の時代、この地では多くの流派が競い合い、「美濃伝」と呼ばれる独自の伝法を確立しました。その特徴は、尖り刃を交えた変化に富む乱れ刃や、白く現れる「映り」にあります。美濃伝は鎌倉時代末期(1280-1330年頃)の大和伝を源流とし、室町時代(1333-1573年)に最盛期を迎え、江戸時代までその伝統を繋ぎました。 特に戦国時代、美濃伝は武器としての需要の高まりから大いに繁栄しました。美濃の地は、明智光秀が治めた美濃、織田信長の尾張、徳川家康の駿河といった有力大名の領地に隣接する要衝であり、これら戦国大名やその家臣団から絶大な支持を得ていました。また、関東と京を結ぶ中心地に位置したため、各地の諸大名にとっても注文がしやすく、実戦における機能美と切れ味の鋭さは「美濃物」として全国にその名を轟かせました。 ※刀身には一部、経年による僅かな黒錆が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):36.3 cm 反り(Sori):0.6 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地肌(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる持ち手にあたる部分。 鎺(Habaki):刀身が鞘に直接触れるのを防ぎ、錆や欠けを防止するとともに、刀身を鞘に固定する金具。 鑑定書:NTHK(日本刀剣保存会)鑑定書(第13741号) NTHK(特定非営利活動法人 日本刀剣保存会)は、明治22年(1889年)に設立された、近代日本における最も歴史ある刀剣鑑定機関です。本作は令和8年(2026年)4月19日に鑑定済みです。ご購入者様にはこの鑑定書原本をお渡しいたします。ご希望があれば、鑑定内容の英訳PDFも作成可能です。 登録証:神奈川県 第8794号 神奈川県教育委員会発行の「銃砲刀剣類登録証」が付属します。文化庁により、美術品としての価値が認められた日本刀です。この登録証は、玉鋼を用い伝統的な手作業で鍛造された刀剣であることの証であり、日本国内で合法的に所有・譲渡が可能です。


















美濃伝 · 美濃 · 1573-1592頃
刀剣大鑑 上位31%
現在2点販売中
大道の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
美濃伝 · 美濃
現在165点販売中
美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。 詳しく見る →
桃山時代の美濃
天下統一は大量の市場を閉じ、関の鍛冶は新しい富の在り処へ移った。三品の一門は受領名を得て京に、大道系は諸国の城下町に。美濃は新刀時代の最大の祖先となった。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.