説明

骨董日本刀 銘:兼房(日本美術刀剣保存協会 貴重刀剣認定書付) 【解説】 本作は「兼房」の銘が切られた一振りです。兼房の名は室町時代を通じて数代にわたり継承されました。本作はその作域および協会による鑑定結果から、室町時代後期(16世紀初頭〜中葉)の末関兼房によるものと推測されます。 初代兼房は永享年間(1429-1441年:室町中期)に活動し、関の善定派に属する兼茂の子として知られています。美濃国関は当時最も活気ある作刀地の一つであり、初代兼房は「兼房乱れ」と呼ばれる独特の丁子乱れの刃文を考案したことでその名を馳せました。 美濃の地で活動した刀工たちは「美濃伝」と呼ばれる独自の伝法を築き上げました。その特徴は、直刃調あるいは乱れ刃の中に混じる「尖り刃」や、白く現れる「映り」にあります。美濃伝は鎌倉時代末期(1280-1330年)の大和伝を源流とし、室町時代(1333-1573年)に全盛を迎え、江戸時代までその伝統を繋ぎました。 特に戦国時代、美濃伝は武器としての高い需要により大きく繁栄しました。美濃は地理的にも、明智光秀が治めた美濃、織田信長の尾張、徳川家康の駿河といった有力大名の領地に隣接しており、これら戦国大名やその家臣団からの注文が絶えませんでした。また、関東と京の中間に位置する要所であったことも、美濃伝の刀が重宝された要因です。実用性に富み、切れ味に優れるという評価は、多くの武将たちを魅了しました。 ※刀身には一部、鍛え傷や黒錆が見受けられます。詳細な状態につきましては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):33.0 cm 反り(Sori):0.3 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地肌(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる持ち手部分。 茎に現れる黒錆は、内部の赤錆を防ぐ役割を果たします。経年による茎の変色は、専門家が製作年代を特定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae)は、鞘、柄、鍔などの外装一式を指します。 縁頭(Fuchi-Kashira): 柄の両端を保護し装飾する金具です。 本作の縁頭の図案は「竹」です。 竹は天に向かって真っ直ぐに伸びる生命力の強さから、高潔さと強靭さの象徴とされてきました。また、割れば真っ直ぐでありながら中が空洞であることから、裏表のない清廉な心を象徴するとも言われます。中国の伝説では、霊鳥である鳳凰が竹の実を食すと伝えられ、神聖な植物と見なされてきました。冬でも青々とした葉を保つことから、不変や長寿の願いも込められており、古来より日本人に親しまれてきた吉祥文様の一つです。 柄・目貫(Tsuka / Menuki): 柄は刀の持ち手、目貫はその装飾金具です。 目貫の意匠は「笹」です。竹と同様、空に向かって伸びゆく姿は力強さと高潔さを表しています。また、その清々しい佇まいは、古くから武士に好まれる意匠として愛されてきました。

Antique Japanese Sword Wakizashi Signed by Kanefusa with NBTHK Kicho Certificate

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脇差

$2,971

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

刀工

Kanefusa

流派

Mino-den

時代

Muromachi

仕様

長さ

33 cm

反り

0.3 cm

流派について

Seki School関派

美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。

刀剣商

サムライミュージアム

samuraimuseum.jp