応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
相州住政俊 銘 特別保存刀剣鑑定書付 【作品解説】 概要 本作は、相模国小田原(現在の神奈川県)に居住した相州住政俊(まさとし)の手による一振りです。政俊は室町時代後期、永正年間(1504-1528年)頃に活躍した名工です。本作の複雑かつ華やかな刃文、そして堂々たる姿(すがた)からは、当時の相州伝の極めて高い技術水準がうかがえます。 特筆すべきは、刀身の両面に施された彫物です。一方には「殺人刀(せつにんとう)」、もう一方には「活人刀(かつにんとう)」と刻まれています。これは、人を傷つけ殺める武器としての刀も、その用い方次第では人を活かし、救うものとなるという深い精神性を表した言葉です。 相州伝について 相州伝は、鎌倉時代中期に相模国(現在の神奈川県)で確立された作刀伝法です。 当時、大和伝や山城伝といった伝統的な伝法は既に高い完成度を誇っていましたが、関東の地における作刀技術は未だ発展途上にありました。1185年に鎌倉幕府を開いた源頼朝は、当初、政治的基盤の安定を優先したため、お抱えの鍛冶を育成する余裕がなく、武器の調達は大和や山城といった他国の鍛冶に依存していました。 しかし、幕府の体制が整うにつれ、鎌倉武士たちの間で刀剣の需要が飛躍的に高まりました。そこで五代執権・北条時頼は、山城国から粟田口国綱、備前国から備前三郎国宗という二人の名工を招聘しました。さらに七代将軍・惟康親王の代には、備前より福岡一文字助真が招かれました。 これら名工たちの交流と技術の融合が、相州伝の礎を築いたと言われています。その後、粟田口国綱の養子とされる新藤五国光が現れ、その技術は行光へと継承されました。そして、日本刀史上最も著名な名工の一人である正宗が、行光の門下から現れます。正宗によって相州伝は完成され、その名は天下に轟きました。正宗が確立した様式は後世の模範となり、古刀期から新刀期に至るまで、大坂の井上真改や江戸の水心子正秀など、多くの名工たちに多大な影響を与え続けました。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されています。これは、保存状態が極めて良好であり、かつ美術的価値が高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 【刀身詳細】 長さ(長狭):74.4 cm 反り:2.9 cm 刃文(はもん):焼入れによって刃先に現れる結晶構造の文様。 地肌(じはだ):鍛錬の過程で折り返し重ねられた鋼が描き出す表面の模様。 茎(なかご):柄に収まる刀身の持ち手部分。 日本刀の茎には、あえて黒錆を残す伝統があります。これは柄の内部で赤錆が発生するのを防ぐ役割があり、その錆色(ち色)の変化は、専門家が製作年代を特定する際の重要な指標となります。 【拵(こしらえ)】 拵とは、鞘、柄、鍔などを含めた日本刀の外装一式を指します。 縁頭(ふちがしら):柄の上下両端を保護し、装飾する一対の金具。





















相模 · 1504-1521頃
刀剣大鑑 上位60%
応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
相州住政俊 銘 特別保存刀剣鑑定書付 【作品解説】 概要 本作は、相模国小田原(現在の神奈川県)に居住した相州住政俊(まさとし)の手による一振りです。政俊は室町時代後期、永正年間(1504-1528年)頃に活躍した名工です。本作の複雑かつ華やかな刃文、そして堂々たる姿(すがた)からは、当時の相州伝の極めて高い技術水準がうかがえます。 特筆すべきは、刀身の両面に施された彫物です。一方には「殺人刀(せつにんとう)」、もう一方には「活人刀(かつにんとう)」と刻まれています。これは、人を傷つけ殺める武器としての刀も、その用い方次第では人を活かし、救うものとなるという深い精神性を表した言葉です。 相州伝について 相州伝は、鎌倉時代中期に相模国(現在の神奈川県)で確立された作刀伝法です。 当時、大和伝や山城伝といった伝統的な伝法は既に高い完成度を誇っていましたが、関東の地における作刀技術は未だ発展途上にありました。1185年に鎌倉幕府を開いた源頼朝は、当初、政治的基盤の安定を優先したため、お抱えの鍛冶を育成する余裕がなく、武器の調達は大和や山城といった他国の鍛冶に依存していました。 しかし、幕府の体制が整うにつれ、鎌倉武士たちの間で刀剣の需要が飛躍的に高まりました。そこで五代執権・北条時頼は、山城国から粟田口国綱、備前国から備前三郎国宗という二人の名工を招聘しました。さらに七代将軍・惟康親王の代には、備前より福岡一文字助真が招かれました。 これら名工たちの交流と技術の融合が、相州伝の礎を築いたと言われています。その後、粟田口国綱の養子とされる新藤五国光が現れ、その技術は行光へと継承されました。そして、日本刀史上最も著名な名工の一人である正宗が、行光の門下から現れます。正宗によって相州伝は完成され、その名は天下に轟きました。正宗が確立した様式は後世の模範となり、古刀期から新刀期に至るまで、大坂の井上真改や江戸の水心子正秀など、多くの名工たちに多大な影響を与え続けました。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されています。これは、保存状態が極めて良好であり、かつ美術的価値が高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 【刀身詳細】 長さ(長狭):74.4 cm 反り:2.9 cm 刃文(はもん):焼入れによって刃先に現れる結晶構造の文様。 地肌(じはだ):鍛錬の過程で折り返し重ねられた鋼が描き出す表面の模様。 茎(なかご):柄に収まる刀身の持ち手部分。 日本刀の茎には、あえて黒錆を残す伝統があります。これは柄の内部で赤錆が発生するのを防ぐ役割があり、その錆色(ち色)の変化は、専門家が製作年代を特定する際の重要な指標となります。 【拵(こしらえ)】 拵とは、鞘、柄、鍔などを含めた日本刀の外装一式を指します。 縁頭(ふちがしら):柄の上下両端を保護し、装飾する一対の金具。





















相模 · 1504-1521頃
刀剣大鑑 上位60%
応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.