ITEM# UJKA443 – カタログ 41 – 売約済 肥前国佐賀住正重 (土井佐久左衛門) 正重は、肥前平戸の刀工・土井真憲の子として生まれました。本名は土井佐久左衛門。肥前国佐賀に居住していた初期の頃は「正重」と銘を切っています。延宝八年(1680年)、彼はさらなる研鑽を積むため、七百キロを超える道のりを経て摂津(大阪)へと向かい、巨匠・井上真改の門を叩きました。「大阪正宗」と称えられた真改でしたが、そのわずか二年後、天和二年(1682年)に五十三歳の若さで急逝します。正重は師への敬意を込め、その名を「真了」と改め、平戸へと帰郷。真改の作風を継承しました。その後、肥前の地で六代にわたりその系譜は受け継がれることとなります。 本作は、その名高い修行時代以前に打たれた一振りです。刃文に「大阪焼出し」が見られないことから、大阪へ発つ前の独立した初期作であることを裏付けており、資料的にも極めて貴重な遺例といえます。地鉄は小板目に柾目が交じり、地景が盛んに入る働きに満ちた肌合いを見せます。光を当てれば、高低差のある華やかな互の目乱れの刃文が浮かび上がり、砂流しが厚く掃き掛けられ、特に物打付近の様相は圧巻です。さらに細かな金筋が随所に走り、後に真改の作風を吸収するに足る卓越した技量が、この時点で既に完成されていたことを物語っています。 外装は、江戸時代後期の格調高い黒漆塗打刀拵に収められています。透鐔は鉄磨地に優美な菊文を配した京正阿弥派(山城国)の作と鑑定され、江戸中期の趣を伝えます。縁頭は吉岡重次の作とされ、土佐山内家や長岡牧野家などの大名家に愛好された「三つ柏紋」が施されています。目貫は赤銅地に「貝に蛇」という珍しい図案で、平戸の刀工に相応しい海辺の情景を彷彿とさせる名品です。
在銘 · Hizen School (shinryô Lineage) · 延宝 · 長さ 70.5cm · 反り 1.2cm

新刀 · 肥前 · 1673-1681頃
刀剣大鑑 上位37%
現在1点販売中
真了の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 摂津
現在75点販売中
大坂新刀は、商都大坂を本拠として江戸前期から中期にかけて興隆した摂津の一門である。その草創は京の堀川一門にあり、堀川国広の門に学んだ和泉守国貞、親国貞こと国貞と河内守国助とが、慶長十九年に師の没した後そろって大坂へ下り、この地に鍛刀の家を興した。国助は伝に伊勢国の出にして石堂の流れを汲み、堀川より受け継いだ枯れた肌合とともに、古備前を慕う石堂の丁子をこの地にもたらした。そこへ大和文殊系の包保・包道に承けた越後守包貞が摂州に居を構え、肥後菊池より出て井上真改の門を叩いた貞則のごとき遊歴の工も加わって、堀川と石堂と文殊の脈が大坂の地で一つの作域に結ばれていった。やがて親国貞の子真改、津田越前守助広、一竿子忠綱らがあらわれ、寛文・延宝・元禄の頃にこの一門は最も華やぐ。 一門の作風は、まず明るく冴える大坂鍛えに標識を持つ。鍛えはよくつんだ無地風の小板目で、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かにさかんに入り、鉄色は明るく潤う。その地の上に、刃区を直ぐに焼き出し、その上から己の刃文を起こすのが一門に通じる約束で、収集家のいう大坂焼出しである。匂口は終始深く明るく冴え、刃縁は締まる。この共通の文法の上に、各工はおのおのの差を置く。井上真改は華やかな乱れを焼かず、よくつんだ精美な地に浅いのたれを帯びた沸深き直刃を本領とし、相州の郷義弘への意図的な写しにその沸の妙味を尽くして、大坂正宗と称された。津田助広は波濤のごとくうねる濤瀾刃を創始し、真改の小沸の直刃と並んで両大関と仰がれる。一竿子忠綱は揃った長足の丁子に簾刃の濤瀾を交え、何にもまして真の倶利迦羅や鯉の滝上りを刻んだ一竿子彫をもって分かたれる。河内守国助の家は丁子の旗頭で、二代中河内は握り拳の頭を戴く拳形丁子を創始して新刀一文字と賞され、その弟肥後守国康や四男国輝もこの石堂の丁子と津田風の濤瀾を担った。越後守包貞は助広に倣う濤瀾に片山乱れと文珠の砂流しを通わせ、貞則は師真改の沸深き直刃をよく継いだ。共通するのは明るい匂口と直ぐの焼出し、異なるのは真改の沈める沸、助広の濤瀾、国助一門の丁子という、地の上に置かれた手の差である。 収集家が大坂新刀を求める理由は、鑑定の勘所が明快で、主要工の格が高いことにある。明るく冴える大坂鍛えと、刃を起こす直ぐの焼出しという二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、真改の沸深き郷写し、忠綱の一竿子彫、中河内の拳形丁子といった各工独自の標識が、そこに重なって名を分かつ。一門の作はおおむね在銘年紀で、銘そのものが時の標識となるため、由緒の確かさをもって賞翫される。真改や助広や忠綱の最上手は市に現れることが稀で、現れれば一頭地を抜く出来事となるが、包貞・国助・国康・国輝のごとき名手の在銘作は、辛抱をもって相応に相見え、大坂新刀へ分け入る手近な入口を提供する。来歴の知られる作は谷干城や山内家、皇室の蔵を経て近代に伝わり、美術刀剣としての魅力は、真改の沸と助広の濤瀾が後世の刀鍛冶に及ぼした影響とともに、商都大坂が新刀期に成し遂げた一個の到達を今に伝える。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトAll swords come with a three-day inspection period beginning from the date of delivery. If not satisfied, the sword may be returned within this period for a full refund of the purchase price. Outside of this period, all sales are final. Swords purchased on a layaway payment plan are not eligible for the three-day inspection period.
ITEM# UJKA443 – カタログ 41 – 売約済 肥前国佐賀住正重 (土井佐久左衛門) 正重は、肥前平戸の刀工・土井真憲の子として生まれました。本名は土井佐久左衛門。肥前国佐賀に居住していた初期の頃は「正重」と銘を切っています。延宝八年(1680年)、彼はさらなる研鑽を積むため、七百キロを超える道のりを経て摂津(大阪)へと向かい、巨匠・井上真改の門を叩きました。「大阪正宗」と称えられた真改でしたが、そのわずか二年後、天和二年(1682年)に五十三歳の若さで急逝します。正重は師への敬意を込め、その名を「真了」と改め、平戸へと帰郷。真改の作風を継承しました。その後、肥前の地で六代にわたりその系譜は受け継がれることとなります。 本作は、その名高い修行時代以前に打たれた一振りです。刃文に「大阪焼出し」が見られないことから、大阪へ発つ前の独立した初期作であることを裏付けており、資料的にも極めて貴重な遺例といえます。地鉄は小板目に柾目が交じり、地景が盛んに入る働きに満ちた肌合いを見せます。光を当てれば、高低差のある華やかな互の目乱れの刃文が浮かび上がり、砂流しが厚く掃き掛けられ、特に物打付近の様相は圧巻です。さらに細かな金筋が随所に走り、後に真改の作風を吸収するに足る卓越した技量が、この時点で既に完成されていたことを物語っています。 外装は、江戸時代後期の格調高い黒漆塗打刀拵に収められています。透鐔は鉄磨地に優美な菊文を配した京正阿弥派(山城国)の作と鑑定され、江戸中期の趣を伝えます。縁頭は吉岡重次の作とされ、土佐山内家や長岡牧野家などの大名家に愛好された「三つ柏紋」が施されています。目貫は赤銅地に「貝に蛇」という珍しい図案で、平戸の刀工に相応しい海辺の情景を彷彿とさせる名品です。
在銘 · Hizen School (shinryô Lineage) · 延宝 · 長さ 70.5cm · 反り 1.2cm

新刀 · 肥前 · 1673-1681頃
刀剣大鑑 上位37%
現在1点販売中
真了の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 摂津
現在75点販売中
大坂新刀は、商都大坂を本拠として江戸前期から中期にかけて興隆した摂津の一門である。その草創は京の堀川一門にあり、堀川国広の門に学んだ和泉守国貞、親国貞こと国貞と河内守国助とが、慶長十九年に師の没した後そろって大坂へ下り、この地に鍛刀の家を興した。国助は伝に伊勢国の出にして石堂の流れを汲み、堀川より受け継いだ枯れた肌合とともに、古備前を慕う石堂の丁子をこの地にもたらした。そこへ大和文殊系の包保・包道に承けた越後守包貞が摂州に居を構え、肥後菊池より出て井上真改の門を叩いた貞則のごとき遊歴の工も加わって、堀川と石堂と文殊の脈が大坂の地で一つの作域に結ばれていった。やがて親国貞の子真改、津田越前守助広、一竿子忠綱らがあらわれ、寛文・延宝・元禄の頃にこの一門は最も華やぐ。 一門の作風は、まず明るく冴える大坂鍛えに標識を持つ。鍛えはよくつんだ無地風の小板目で、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かにさかんに入り、鉄色は明るく潤う。その地の上に、刃区を直ぐに焼き出し、その上から己の刃文を起こすのが一門に通じる約束で、収集家のいう大坂焼出しである。匂口は終始深く明るく冴え、刃縁は締まる。この共通の文法の上に、各工はおのおのの差を置く。井上真改は華やかな乱れを焼かず、よくつんだ精美な地に浅いのたれを帯びた沸深き直刃を本領とし、相州の郷義弘への意図的な写しにその沸の妙味を尽くして、大坂正宗と称された。津田助広は波濤のごとくうねる濤瀾刃を創始し、真改の小沸の直刃と並んで両大関と仰がれる。一竿子忠綱は揃った長足の丁子に簾刃の濤瀾を交え、何にもまして真の倶利迦羅や鯉の滝上りを刻んだ一竿子彫をもって分かたれる。河内守国助の家は丁子の旗頭で、二代中河内は握り拳の頭を戴く拳形丁子を創始して新刀一文字と賞され、その弟肥後守国康や四男国輝もこの石堂の丁子と津田風の濤瀾を担った。越後守包貞は助広に倣う濤瀾に片山乱れと文珠の砂流しを通わせ、貞則は師真改の沸深き直刃をよく継いだ。共通するのは明るい匂口と直ぐの焼出し、異なるのは真改の沈める沸、助広の濤瀾、国助一門の丁子という、地の上に置かれた手の差である。 収集家が大坂新刀を求める理由は、鑑定の勘所が明快で、主要工の格が高いことにある。明るく冴える大坂鍛えと、刃を起こす直ぐの焼出しという二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、真改の沸深き郷写し、忠綱の一竿子彫、中河内の拳形丁子といった各工独自の標識が、そこに重なって名を分かつ。一門の作はおおむね在銘年紀で、銘そのものが時の標識となるため、由緒の確かさをもって賞翫される。真改や助広や忠綱の最上手は市に現れることが稀で、現れれば一頭地を抜く出来事となるが、包貞・国助・国康・国輝のごとき名手の在銘作は、辛抱をもって相応に相見え、大坂新刀へ分け入る手近な入口を提供する。来歴の知られる作は谷干城や山内家、皇室の蔵を経て近代に伝わり、美術刀剣としての魅力は、真改の沸と助広の濤瀾が後世の刀鍛冶に及ぼした影響とともに、商都大坂が新刀期に成し遂げた一個の到達を今に伝える。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトAll swords come with a three-day inspection period beginning from the date of delivery. If not satisfied, the sword may be returned within this period for a full refund of the purchase price. Outside of this period, all sales are final. Swords purchased on a layaway payment plan are not eligible for the three-day inspection period.