
A YOSHIMICHI KATANA (丹波守吉道)
売却済
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Shintô – Early Edo Period (circa keichô era: 1596-1615)
仕様
77.5 cm
1.9 cm
3.2 cm
作者について
Mishina Yoshimichi吉道
初代丹波守吉道は、後代の三品派の代名詞となり、新刀の中でも最も見分けやすい刃文の一つとなった簾刃の創案者である。説明書は、簾刃が「彼が創案したもの」であると明記する。本工は美濃関の兼道の三男で、父および伊賀守金道・来金道・越中守正俊の兄弟と共に美濃から京に移り、十六世紀末の数十年に京に住して三品派の名を大いに高めた。説明書は彼をその時代の上手に列し、ある重要刀剣では「初期新刀中でも屈指の名工」と数える。その作は頑健な初期江戸の体配で、身幅広く重ね厚く、反り浅く、中鋒は延びごころとなり、最も豪壮なものは大鋒に及ぶ。 その典型は一つの見どころに収斂する。棟寄りに流れて柾がかり肌立つ板目に、説明書は地沸を厚く時に荒くつけ地景を入れ、長く直ぐの焼出しをもって焼き始め、その上を大小の互の目を交えたのたれ調の乱れに展開する。その刃に湯走り・飛焼・島刃が二重三重に連なり、頻りに縞がかった砂流しが凝って総体に簾刃の様を呈し、沸が強く荒めにむらとなり、金筋長く入り、匂口は沈みごころとなる。帽子は先尖って突き上げ、深く返って掃きかけさかんで、説明書がいう三品帽子となる。 地鉄はそのすべての下に終始変わらぬところである。棟寄りに流れて柾がかり肌立つ板目に、地沸荒くつき地景の入る地は、美濃関の継承を京の作に伝え、その上の簾刃を支える。備前刀よりはるかに豊富な砂流しは、湯走り・飛焼と凝って簾刃をなす素地そのものであり、最上手の在銘の刀では、説明書はその著しい砂流しに「後代に見る簾刃の源を思わせるもの」を読む。後に一派の見どころとして固まる働きである。 その鑑賞の核心は、簾刃の未完成にこそある。後代がこれを技巧的で、ほとんど誇張された模様に整えたのに対し、初代のそれはなお行草に乱れる自由なものである。極めはこの点に繰り返し立ち返り、ある重要刀剣では「未だきちんと簾刃の確立までゆかぬところが初代の見どころ」であり、「そこに力強さと味」があるとする。『新刀弁疑』を引いては、その作には後代のような定まった格子ではなく「刃文の模様取りの中に簾刃の心有り」と記す。初代の作は比較的多く現存するが年紀作は稀少で、慶長年紀を有するものは未見、僅かに元和七年紀の脇指を一口経眼するのみである。銘字の「丹」が帆かけ舟の形になす作は、名高い「帆かけ丹波」である。 三品一門の他から本工を分かつのは、まさにこの作域である。多岐な作風を見せた兄金道・弟正俊に対し、吉道は個性の人で、簾刃とそれを築く明るい縞がかる砂流しに結ばれた一手である。その作の他に直刃を焼くことは極めて稀で、極めはこれを「兼道一門、即ち三品一類には極めて稀れな例」と呼び、そこに美濃伝の下に潜む大和伝を読む。刃はややほつれて、小沸がよくつく。本工はみずからの名の祖に立ち、京丹波吉道の名は京・大坂に数代続くが、説明書はそのいずれも初代に比肩させない。 収集の観点では、本工は在銘の、よく知れた名である。記録上の作はすべて銘を有する。その作のうち二口が特別重要刀剣に、さらに三十三口が重要刀剣に及び、戦前の重要美術品にも見え、その重要美術品の一口の刀を本間は「経眼した初代丹波守吉道中の筆頭の出来」と称える。記録に残る来歴は大きな博物館よりも武家・収集家の手を通る。子孫代々に伝えるべく内藤九郎右衛門のために打たれた刀、大阪の柏原仁兵衛に認定された刀、佐竹家の一口があり、一刀は今京都国立博物館に蔵される。国宝・重要文化財は記録になく、その名の格にしては珍しく、私蔵の一口を収集家が現実に望み得る工である。在銘の初代丹波守吉道が世に出るのは時折、その上位にあってのことだが、確かに世に出る。新刀随一の名高い刃文がまさに練り上げられつつあった、その刀を手に取り得る稀な機会である。





