説明

日本刀 短刀 銘 備前国住長船清光(天文四年) 日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作は、室町時代後期の天文四年(1535年)に「備前国住長船清光」によって打たれた一振りです。清光の名は数代にわたって受け継がれておりますが、本作の年紀から、後代の清光による作と推測されます。 銘にある「備前国住」とは、作者が備前国(現在の岡山県)に居住していたことを示しており、当時の刀工が銘の冠に居住地を刻むのは一般的な習わしでした。清光は名門・備前長船派に属する刀工です。 室町時代末期(1492年〜1569年頃)に備前国で活躍した刀工群は「末備前」と称されます。清光はその中でも最も著名な名跡の一つであり、長船派において代々その名が継承されました。 室町時代は戦国時代の真っ只中であり、有力な戦国大名たちによる需要の高まりから、備前では数多くの刀剣が制作されました。群雄割拠の時代に打たれた歴史の重みを感じさせる一振りであり、当時の上層武士による注文品であった可能性も十分に考えられます。 【備前長船派の歴史】 長船派は鎌倉時代中期の光忠を始祖と伝えます。備前国における最大の流派であり、時の権力者や名だたる武将から多くの注文を受けました。その作品は「長船物」として武士の間で深く愛好されました。 同派には、長船三作と称される長光・真長・景光や、長船四天王と謳われる長光・兼光・長義・元重など、日本刀の歴史に名を刻む名工が輩出しています。 備前国は中国山地に近く、原料となる良質な砂鉄が豊富に採れました。さらに吉井川の流域に位置したことで、作刀に不可欠な水や炭の確保にも恵まれていました。こうした地政学的な利点が、高品質な刀剣の量産を可能にしたのです。備前の地では平安時代末期から古備前と呼ばれる刀工集団が活動しており、その卓越した技術を継承することで、鎌倉中期以降、長船派は空前の繁栄を極めました。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」に指定されています。これは、美術品として価値が高く、保存状態が良好な真作の日本刀であることを証明するものです。 ※刀身には僅かな刃こぼれと鍛え傷が見受けられます。詳細なコンディションにつきましては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身データ】 長さ(Nagasa):18.8 cm 反り(Sori):内反り 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地肌(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(Kissaki):刀身の先端部分 茎(Nakago):柄に収まる茎の部分。 日本の刀工は、柄内での赤錆を防ぐために茎に黒錆を残します。この茎の錆色は時の経過とともに形成され、専門家が制作年代を推定する際の重要な指標となります。 拵(Koshirae):鞘などを含む外装一式

Antique Japanese Sword Tanto Signed by Osafune Kiyomitsu NBTHK Hozon Certificate

Antique Japanese Sword Tanto Signed by Osafune Kiyomitsu NBTHK Hozon Certificate

短刀

$4,869

世界76社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

18.8 cm

流派について

Kiyomitsu School清光派

清光は、室町時代後期の備前長船の地に興った一群の刀工である。説示が繰り返し述べるとおり、室町時代末期の備前長船鍛冶およびその作刀を汎称して末備前と呼び、清光はその中にあって祐定と並んで作品の多い名跡として位置づけられる。清光を名乗る刀工は数多く、五郎左衛門尉、孫右衛門尉、与三左衛門尉、彦兵衛尉、孫兵衛尉などの俗名を有する工の存在が認められ、早見出では十人を挙げるとも記す。中でも五郎左衛門尉と孫右衛門尉清光の両名が上工、筆頭格として知られ、銘鑑に所載されぬ治衛門尉清光のような例も遺存して、その欠を補う資料として貴重とされる。作刀地は備前長船を本拠とするが、播州龍野の城下で打った一口や、備前の守護代浦上宗景のために天神山で製作した作も伝わり、戦国期における一派の動向を伝えている。 作風について、説示が記す共通の語法はおおむね一定している。鍛えは小板目肌がつみ、小杢目あるいは杢目を交え、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、淡く映りが立つ。ただし清光は他工に比して板目に杢が交じってやや肌立つ傾向のものが多く、それが一派の見どころともされる。刃文は二様に分かれ、一つは清光家の看板とも称される広直刃で、これに小互の目・小足・葉を交え、匂口締まりごころに小沸がつき、金筋・砂流しが細かにかかって明るく冴える。直刃の名手としては末備前中で忠光・祐定にも見られる作風だが、清光はとりわけ広直刃に葉の入った作を代表作とする。いま一つは腰の開いた互の目乱れで、小丁子・蟹の爪風の刃・角張る刃・尖りごころの刃などを交え、足・葉がさかんに入り、処々に湯走りや小さな飛焼を交える。さらに棟焼がさかんにかかって皆焼となる作もあり、その場合は重ねが薄くなるのが見どころとされる。姿は身幅広く、元先の幅差さまで目立たず、重ね厚く踏張りがあり、先反りの目立つ中鋒延びごころの打刀姿で、室町時代末期特有の体配を示す。同じ末備前でも数打物が多い中、俗名を銘した上工の作には肌目のつんだ精良な鍛えと匂口の冴えが備わる点で見分けられる。 伝承と鑑定の要点としては、俗名のない作でも銘振りから五郎左衛門尉と鑑せられる例が説示に明記され、銘の位置や鏨の太細、年紀の所在が手がかりとなる。評は、地刃ともに覇気を感じ取れること、匂口が明るく冴えること、肉置きが豊かで手持ちのずっしりと重い頑健な刀姿が豪壮である点に集まる。代表作としては、五郎左衛門尉の広直刃に葉のさかんに入った天文・弘治・永禄紀の打刀、互の目乱れの典型作、皆焼を焼いた龍野城下作、孫右衛門尉の広直刃および腰の開いた互の目乱れの代表作などが挙げられる。伝来の知られる一口に忍の松平家伝来の作があり、浦上宗景の注文銘を持つ作も複数伝わる。総じて清光は、直刃を本領としつつ互の目乱れや皆焼にまで及ぶ広い作域をもち、祐定と並んで末備前を代表する名跡として位置づけられる。

刀剣商

サムライミュージアム

samuraimuseum.jp