新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
保存刀剣鑑定書付 刀:越前大掾国次(極め) 【解説】 概要 本作は、江戸時代初期の寛永頃(1624–1644年)に活躍した「越前大掾国次」と極められた一振りです。 国次は、江戸初期の山城国(現在の京都府)を代表する名工、出羽大掾国路の息子、あるいは門人と伝えられています。越前国(現在の福井県)に生まれ、後に山城へ移り国路に師事しました。師弟ともに名工・堀川国広を祖とする名門「堀川派」に属しています。 師である国路と国次の間には「合作」の遺例もあり、また国次は国路の「代作」を頻繁に行っていたと言われています。代作とは、師匠の許しを得て弟子や子が師の銘を切り、あるいは師に代わって鍛錬を行うことであり、これは国次の技量が師から絶大な信頼を寄せられていた証左に他なりません。国次が師の助手に徹した期間が長かったため、彼自身の銘が切られた現存作は希少となっています。 共に槌を振るい、代作を任されるほどの間柄であったことから、両者の信頼関係は極めて深かったことが推察されます。 国次は寛永11年(1634年)に「越前大掾」を受領し、同14年(1637年)には「越前守」へと昇進しました。これらの受領銘は、その優れた技量に対し朝廷より授けられた名誉ある称号です。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」として鑑定されています。これは、美術品として価値が高く、保存状態の優れた本物の日本刀であることを証明するものです。 ※刀身に僅かな鍛え傷がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):66.8 cm 反り(Sori):2.1 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃縁に現れる結晶構造。 地鉄(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本刀の茎に残された黒錆は、柄内部での赤錆の発生を防ぐ役割があります。また、経年による錆色は、専門家が制作年代を推定する上での重要な指標となります。 【外装】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた刀装一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護する一対の金具。 本作の縁頭には「網桜図」が施されています。これは伝統的な「網」と「桜」を組み合わせた意匠で、優雅さと季節の美しさを象徴する吉祥文様として、古来より工芸品に好んで用いられてきました。 日本人にとって桜は、人生の儚さや無常の美、そして季節の移ろいを象徴する深い文化的意味を持ちます。一斉に咲き誇り、潔く散るその姿は、武士の生き様とも重ね合わされ、刀装具や甲冑の意匠として広く愛されてきました。 柄・目貫(Tsuka / Menuki): 目貫の図案は「龍」です。
Certificate reading — 無銘(越前大掾国次)


























新刀 · 越前 · 1615-1624頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在4点販売中
國次の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 山城
現在73点販売中
堀川派は、山城国京都の一条堀川を本拠として、十六世紀末から十七世紀初頭にかけて成立した新刀期の一門である。祖の堀川国広はもと日向飫肥の城主伊東家に仕えた武士で、主家没落の後は諸国を遍歴して鍛刀の技を磨き、足利学校打や美濃大道との合作などにその足跡を銘文へ残した。慶長四年(一五九九)以後は京一条堀川に定住し、多くの俊秀を糾合してこれを育てた。その門からは出羽大掾国路、和泉守国貞(親国貞)、河内守国助、越後守国儔、大隅掾正弘、堀川国安らが輩出する。国広以前の関や末相州の作風を経て、定住後の一門は相州伝、就中、志津や貞宗、左文字の復興を共通の理想に掲げた。慶長新刀の姿に南北朝期の大太刀を磨上げた趣を写し、明寿と並んで新刀の創始を称えられる祖を戴いて、この派は京の鍛冶を改めた起点に立つ。 一門の作風は、地鉄にまず標識を持つ。板目に杢や大板目を交えて肌立つ、いわゆる「ザングリとした」枯れた肌合を呈し、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに頻りに入る。区際より斜めに立つ水影は国広自身の手癖で、正弘や国安、国正にも伝わる。刃は浅いのたれを基調に互の目や尖り刃を交えて沸厚く、金筋や砂流しがかかり、処々に湯走りや飛焼を見せ、匂口が沈みごころとなるのが一派に通じる癖である。刃区を深く焼き込む態も国広に始まり門弟へ及ぶ。この共通の地刃の上に、各工は己の差を置く。国路は肌立ちザングリと枯れた地に厚く荒い沸の志津写しを焼き、浅くのたれ込んで先の尖る三品帽子を見せて、一門中随一の器用人と称された。国安は受領銘を用いず必ず二字に切り、左利きゆえに逆筋違の鑢目を切る唯一の工で、その手は最も祖に近い。正弘は大乱れを焼かず、焼を低く刃取りを抑えて目立つ杢を交え、作風も銘字の藤原の二字に至るまで祖に酷似する。国儔はかえって末関に向かい、頭の丸い互の目と締った匂口に兼之を思わせる美濃の一脈を担った。弘幸は一門ただ一人切り鑢を用い、黒みをおびた鉄に古作大和を想わせる直刃を本領とした。 蒐集家が堀川派を求める理由は、鑑定の勘所と、祖と高弟の格にある。在銘作を主体とし、慶長打は太鏨肩落の大振り二字銘や、日州古屋住から洛陽一条堀川住に至る受領銘を交えるため、銘そのものが工と時を定める手懸りとなる。国広の刀は、ザングリの地、斜めの水影、沈む匂口という手癖を写し物の中にすら宿し、相州伝復興の理想を最も高く体現する。高弟もまた、それぞれの極めの言うところで分かたれる。国路の三品帽子と長い金筋、国安の二字銘と逆鑢、正弘の抑えた焼と目立つ杢、国儔の頭の丸い互の目、弘幸の切り鑢と黒い鉄は、いずれも対手から借りた特徴ではなく己の地刃から引かれた標識である。代表作には伝後水尾天皇御寄進の拵を具して幡枝八幡宮に伝わる奉納太刀があり、伝来は日向伊東家、岡山藩家老伊木家、土佐山内家、大島津家、豊臣秀頼、皇室に及ぶ。最晩年の国広作は弟子の代作代銘と読まれるが、師の監督は厳重で偽物とは全く異なる。そして親国貞と河内守国助は国儔に学んで大坂へ下り、大坂新刀の草創に立った。国貞の嗣は井上真改として、その名を一層名高い世代へと継ぐ。京の堀川に始まった相州伝復興の手は、かくして後世の新刀へと流れていった。 詳しく見る →
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
保存刀剣鑑定書付 刀:越前大掾国次(極め) 【解説】 概要 本作は、江戸時代初期の寛永頃(1624–1644年)に活躍した「越前大掾国次」と極められた一振りです。 国次は、江戸初期の山城国(現在の京都府)を代表する名工、出羽大掾国路の息子、あるいは門人と伝えられています。越前国(現在の福井県)に生まれ、後に山城へ移り国路に師事しました。師弟ともに名工・堀川国広を祖とする名門「堀川派」に属しています。 師である国路と国次の間には「合作」の遺例もあり、また国次は国路の「代作」を頻繁に行っていたと言われています。代作とは、師匠の許しを得て弟子や子が師の銘を切り、あるいは師に代わって鍛錬を行うことであり、これは国次の技量が師から絶大な信頼を寄せられていた証左に他なりません。国次が師の助手に徹した期間が長かったため、彼自身の銘が切られた現存作は希少となっています。 共に槌を振るい、代作を任されるほどの間柄であったことから、両者の信頼関係は極めて深かったことが推察されます。 国次は寛永11年(1634年)に「越前大掾」を受領し、同14年(1637年)には「越前守」へと昇進しました。これらの受領銘は、その優れた技量に対し朝廷より授けられた名誉ある称号です。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」として鑑定されています。これは、美術品として価値が高く、保存状態の優れた本物の日本刀であることを証明するものです。 ※刀身に僅かな鍛え傷がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):66.8 cm 反り(Sori):2.1 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃縁に現れる結晶構造。 地鉄(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本刀の茎に残された黒錆は、柄内部での赤錆の発生を防ぐ役割があります。また、経年による錆色は、専門家が制作年代を推定する上での重要な指標となります。 【外装】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた刀装一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護する一対の金具。 本作の縁頭には「網桜図」が施されています。これは伝統的な「網」と「桜」を組み合わせた意匠で、優雅さと季節の美しさを象徴する吉祥文様として、古来より工芸品に好んで用いられてきました。 日本人にとって桜は、人生の儚さや無常の美、そして季節の移ろいを象徴する深い文化的意味を持ちます。一斉に咲き誇り、潔く散るその姿は、武士の生き様とも重ね合わされ、刀装具や甲冑の意匠として広く愛されてきました。 柄・目貫(Tsuka / Menuki): 目貫の図案は「龍」です。
Certificate reading — 無銘(越前大掾国次)


























新刀 · 越前 · 1615-1624頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在4点販売中
國次の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 山城
現在73点販売中
堀川派は、山城国京都の一条堀川を本拠として、十六世紀末から十七世紀初頭にかけて成立した新刀期の一門である。祖の堀川国広はもと日向飫肥の城主伊東家に仕えた武士で、主家没落の後は諸国を遍歴して鍛刀の技を磨き、足利学校打や美濃大道との合作などにその足跡を銘文へ残した。慶長四年(一五九九)以後は京一条堀川に定住し、多くの俊秀を糾合してこれを育てた。その門からは出羽大掾国路、和泉守国貞(親国貞)、河内守国助、越後守国儔、大隅掾正弘、堀川国安らが輩出する。国広以前の関や末相州の作風を経て、定住後の一門は相州伝、就中、志津や貞宗、左文字の復興を共通の理想に掲げた。慶長新刀の姿に南北朝期の大太刀を磨上げた趣を写し、明寿と並んで新刀の創始を称えられる祖を戴いて、この派は京の鍛冶を改めた起点に立つ。 一門の作風は、地鉄にまず標識を持つ。板目に杢や大板目を交えて肌立つ、いわゆる「ザングリとした」枯れた肌合を呈し、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに頻りに入る。区際より斜めに立つ水影は国広自身の手癖で、正弘や国安、国正にも伝わる。刃は浅いのたれを基調に互の目や尖り刃を交えて沸厚く、金筋や砂流しがかかり、処々に湯走りや飛焼を見せ、匂口が沈みごころとなるのが一派に通じる癖である。刃区を深く焼き込む態も国広に始まり門弟へ及ぶ。この共通の地刃の上に、各工は己の差を置く。国路は肌立ちザングリと枯れた地に厚く荒い沸の志津写しを焼き、浅くのたれ込んで先の尖る三品帽子を見せて、一門中随一の器用人と称された。国安は受領銘を用いず必ず二字に切り、左利きゆえに逆筋違の鑢目を切る唯一の工で、その手は最も祖に近い。正弘は大乱れを焼かず、焼を低く刃取りを抑えて目立つ杢を交え、作風も銘字の藤原の二字に至るまで祖に酷似する。国儔はかえって末関に向かい、頭の丸い互の目と締った匂口に兼之を思わせる美濃の一脈を担った。弘幸は一門ただ一人切り鑢を用い、黒みをおびた鉄に古作大和を想わせる直刃を本領とした。 蒐集家が堀川派を求める理由は、鑑定の勘所と、祖と高弟の格にある。在銘作を主体とし、慶長打は太鏨肩落の大振り二字銘や、日州古屋住から洛陽一条堀川住に至る受領銘を交えるため、銘そのものが工と時を定める手懸りとなる。国広の刀は、ザングリの地、斜めの水影、沈む匂口という手癖を写し物の中にすら宿し、相州伝復興の理想を最も高く体現する。高弟もまた、それぞれの極めの言うところで分かたれる。国路の三品帽子と長い金筋、国安の二字銘と逆鑢、正弘の抑えた焼と目立つ杢、国儔の頭の丸い互の目、弘幸の切り鑢と黒い鉄は、いずれも対手から借りた特徴ではなく己の地刃から引かれた標識である。代表作には伝後水尾天皇御寄進の拵を具して幡枝八幡宮に伝わる奉納太刀があり、伝来は日向伊東家、岡山藩家老伊木家、土佐山内家、大島津家、豊臣秀頼、皇室に及ぶ。最晩年の国広作は弟子の代作代銘と読まれるが、師の監督は厳重で偽物とは全く異なる。そして親国貞と河内守国助は国儔に学んで大坂へ下り、大坂新刀の草創に立った。国貞の嗣は井上真改として、その名を一層名高い世代へと継ぐ。京の堀川に始まった相州伝復興の手は、かくして後世の新刀へと流れていった。 詳しく見る →
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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