説明

重要刀剣(葵紋)康継以南蛮鉄於武州江戸作之(江戸三代) 5月 1, 2019 商品名 重要刀剣(葵紋)康継以南蛮鉄於武州江戸作之(江戸三代) 銘 (葵紋)康継以南蛮鉄於武州江戸作之 作者 江戸三代康継 時代 江戸時代中期 伝来 指定 平成2年5月25日 鑑定書 重要刀剣 価格 刃長 71.4cm 反り 1.4cm 元幅 3.05cm 元重 先幅 2.0cm 鋒長 3.2cm 茎長 22.65cm 茎反り 殆どなし 形状 鎬造、庵棟、身幅広く 、元先の幅差つき、ソリューション浅く、中鋒つまる。 鍛 小板目肌よくつみ、処々杢交じり、地沸微塵に厚くつき、細かに地景入り、総じて黒味がある。 刃文 直に焼きだして、その上は小のたれに頭の丸い互の目連れて交じり、足よく入り、匂深く、沸よくつき、細かに砂流しかかる。 帽子 直ぐに小丸に深く返り、先掃きかける。 彫物 茎 生ぶ、先入山形、鑢目勝手下がり、目釘穴一、指表鎺下やや棟寄りに葵紋をきり、その下同じくやや棟寄りに目釘穴から一字上げて、細鏨大振りの長銘がある。 説明 江戸三代康継は、二代康継の嫡子として生まれ、右馬助と称したと云う。父二代康継が没した時、彼は僅か17歳の若さであった。その為に、初代康継の三男四郎右衛門を以て、三代を相続させようという一派があって、家督相続の問題がおこったが、二代の実子右馬助を三代目とし、叔父四郎右衛門は越前家を相続することで決着し、ここに江戸と越前との両下坂家が分かれ、以後それぞれ定住奉公するに至った。江戸三代康継の作刀には寛文年紀のものがあるが、その没年は不明である。彼の作風は、初・二代康継の覇気に富んでやや荒々しい出来に比べ、おとなしく、通常は直刃を主調に浅くのたれをおびたものが、小のたれに互の目を交えたものとなり、いずれも小足が入り、匂深く、沸がよくつくものである。この刀は、小のたれに頭の丸い互の目を連れて交えた乱れ刃で、右の作風の後者の好例である。殊に、初・二代の康継に比して、鍛えがつまって綺麗であり、沸もむらなくよくつき、匂口はむしろ明るいなど、江戸三代康継の持ち味がよく示されている。また、本作は元を直ぐに焼出しているが、彼のこの手の作にはまま経眼するもので、これも初・二代の康継には見られない同工の特色といえよう。上品で穏やかな作域をあらわした同作中の優品である。 このフィールドは空白のままにしてください 江州屋刀剣店 更新情報メール登録 受信ボックスか迷惑メールフォルダを確認して購読手続きを完了してください。 Please check the Inbox or Junk Email and complete the subscription process. Prev Previous 重要刀剣 無銘 雲次 Next 重要刀剣 兼國 Next お問い合わせ ご購入・鑑定・買い取り・売買については、以下の番号もしくはメールまでお問い合わせください。 0749-42-2736 090-3162-7641 お問い合わせフォーム 読み物と知識 刀剣を鑑定する方法について 刀剣鑑定書の種類とランク 日本刀の取り扱い方法 日本刀の所持について 日本刀の種類 プライバシーポリシー カテゴリー 刀剣 鐔 太刀 刀 脇差 縁頭 重要美術品 特別重要刀剣 重要刀剣 保存刀装具 特別貴重小道具 最近の投稿 特別保存刀剣 刀銘 水心子正次(花押) 天保十二年仲春 特別保存刀剣 脇差銘 江州住人佐々木入道源一峯 特別保存刀剣 刀銘 (金粉銘)包友 光遜花押 甲種特別貴重刀剣 脇差銘 井上和泉守国貞 (菊紋)寛文七年三月日 井上和泉守国貞 (菊紋)寛文十一年八月日

重要刀剣(葵紋)康継以南蛮鉄於武州江戸作之(江戸三代)

重要刀剣(葵紋)康継以南蛮鉄於武州江戸作之(江戸三代)

価格はお問い合わせ

世界76社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

71.4 cm

反り

1.4 cm

元幅

3.05 cm

先幅

2 cm

作者について

Shimosaka Yasutsugu康繼

8 重要刀剣

康継の江戸三代の現存する刀は、いずれも徳川の葵紋の下に同じ長銘を切る。茎の鍔元に葵紋をきり、その下に「康継以南蛮鉄於武州江戸作之」と、南蛮鉄を以て武州江戸に作るむねを刻む。説明書によれば、彼は二代康継の嫡子として生まれ、右馬助と称したという。父二代の歿した時わずか十七歳で、初代の三男四郎右衛門を三代に立てようとする一派があり、家督相続の争いがおこったが、結局右馬助が三代を継ぎ、叔父四郎右衛門は越前家を相続し、ここに下坂家は江戸と越前の両系に分れた。彼は寛文頃に作刀し、歿年は不明である。下坂の名は、家康より葵紋と康の一字を賜った初代に発する。 その手は、まず初・二代との対比に定まる。覇気に富んでやや荒々しい初・二代の出来に比べ、説明書は三代をおとなしくまとまったものとよみ、その刃を二様に整理する。前者は直刃を主調に浅くのたれをおびたもの、後者は小のたれに互の目を交え、時に頭の丸い互の目が連れて交じる乱れである。いずれの様にも小足が入り、匂深く、沸がよくつく。元に直ぐの焼出しを置くことが多く、これを説明書は初・二代に見られぬ同工の特色とし、当時の江戸物に近い作風とよむ。 鍛えは板目、しばしばよくつんだ小板目に杢・流れ肌を交え、時に肌立ちごころとなる。地沸は微塵に厚くつき、地景入り、かねは総じて黒みをおびる。帽子は直ぐに小丸、深く返り、時に先掃きかける。その深い返りを、説明書は祖父・父にあたる初・二代の手癖に直に結ぶ。第三十九回の一口には帽子に三品風の面影があるとし、黒みのある地鉄、沈みごころの匂口とあわせて、「三品風の面影があるところなどには、伝統的な越前物の特色」が表されるとよむ。 三代の持味は、二様を初・二代に照らすところに現れる。第三十六回の刀に、説明書は、初・二代に比して「鍛えがつまって綺麗であり」、刃は「匂口はむしろ明るいなど」と評し、三代を見分ける見どころを名ざす。第六十二回の刀はこの読みをさらに進め、匂口深く沸むらなくつくところを法城寺一派や馬徹等の江戸物に近いとし、当時の流行を取り入れた江戸三代の「持味があらわれた」一口とする。署名にも一貫した手癖があり、長銘の字が茎先にかけて次第に小さくなるさまを、説明書は「字体の大きさが茎先にかけて次第に小さくなるのが銘字の手癖」と記す。 彼は他流ではなく、終始その家系に照らして読まれる。最も早い第十七回の刀に、説明書は「あたかも法城寺一派の作を見るような感がある」と評し、同じ法城寺・馬徹との通いは第六十二回にも戻る。三代についての正直な評もまた同じ説明にある。現存作は比較的少なく、父祖に遠く及ばず、初・二代に頻りな刀身彫刻もまた殆んど稀となる。ゆえに彼の位置は革新者ではなく、下坂派の江戸の継承者にあり、家の直刃と小のたれの作風を保ちつつ、江戸物の綺麗な鍛えと明るい匂を作中に容れた工である。 作はいずれも重要刀剣の位にあり、現在八口を数え、それより上の指定はなく、藤代の評は上々作である。うち第二十三回の刀一口は、寛文七年十二月二十一日の年紀をもち、裏に山野勘十郎久英による金象嵌の截断銘を負う、江戸初期の試刀の風を伝えるものである。この八口に大名の伝来や所蔵機関の記載はなく、その来歴を明らかに辿る手がかりは乏しい。蒐集家が実際に出会いうるのは、述べた直刃あるいは小のたれの一口で、生ぶの茎に葵紋と、先へ細る南蛮鉄の長銘を切るものである。それが市に現れるのは折にふれてであって頻繁ではなく、家康の葵紋の下賜に発する下坂派の、より綺麗で明るい江戸の顔として、一手の出来以上に下坂の名の重みを帯びる。

刀剣商

江州屋刀剣店

goushuya-nihontou.com

価格はお問い合わせ

江州屋刀剣店で見る