説明

Stock number:KA-110323Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon TokenCountry(Kuni)・Era(Jidai): Musashi(Tokyo)・Middle Edo period 1666Blade length(Cutting edge): 72.1cmCurve(SORI): 1.2cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.15cmThickness at the Moto-Kasane: 0.71cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.55cmThickness at the Saki-Kasane: 0.60cmHabaki: One parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Unaltered,Kattesagari file patternRivet Holes(Mekugiana): 2Length of Koshirae : about 104cmShape(Taihai): Shinogizukuri, Iorimune, Chu-kissakiJigane(Hada): ItameTemper patterns(Hamon): Gunome- midareTemper patterns in the point(Bohshi): Notare then komaru round tipRegistration Card: Wakayama【Additional Information】初代康継は近江国を出身とし、はじめ「肥後大掾下坂」などと銘を切る。越前国へ移住後、同国城主である結城秀康のもとで抱工となる。その後、城主秀康の推挙によって将軍家御用鍛冶となり、徳川家康より「康」の字と「葵御紋」を賜って、康継と改銘、以後越前と江戸との間で、隔年勤務を命じられ両国にて鍛刀し、同家は江戸と越前の地にて江戸後期まで名跡を継いで繁栄する。二代目である市之丞が正徳三年に没した際、二代嫡男の右馬助が幼少であったことから三代目康継の継承にあたって相続争いが起こる。騒動の結果、両国で康継家が二つに分かれ、江戸康継家は、右馬助が三代康継となり、越前三代目は、初代三男の四郎右衛門が相続することで決着した。康継をはじめとする同一派の作風は、地鉄板目が流れ心に地沸つき、肌立ち、総体黒ずんだ鉄を交えて、地色が黒くなる。地色については、越前刀工が南蛮鉄を用いて作刀した事によるものされ、茎に「以南蛮鉄」と添えれている点からも要因の一つと考えられる。刃文は直調子に浅い湾れ、互の目が入り、小沸出来、金筋、砂流し頻りにかかり、叢沸がつく。また皆焼なども散見され作域の広さが伺える。彫物でも才覚優れた刀工多く、素剣、護摩箸、倶利伽羅、不動明王、毘沙門天など巧みに彫刻された刀剣が現存する。本作江戸三代康継の作風は、初代・二代に類似し、地鉄細かな杢目、刃文は直刃調子、湾れを交えたもの、小湾れに互の目を交えた乱刃など、総じて匂深く、沸良くつくよく冴えた出来口を示す。本刀体配は、刃長が二尺三寸八分、身幅広く、重ね尋常、反り浅めで、フクラ豊かな切っ先となる堂々たる刀姿である。地鉄は板目肌が良く練られて、地沸微塵に付き、地景鍛え目に沿って入り、鉄良く冴えた精良な鍛を呈す。焼刃は互の目を主として、尖り刃、一部小互の目が連れて箱がかり、沸出来で匂口やや締まり心に、小沸よく付いて明るく冴え、高低を付けながら穏やかに乱れ、物打ちにかけて焼を高めて複雑な変化に富む刃文となる。刃中には足と葉が入り、処々金筋がかかり盛んな働きをみせる。帽子はそのまま湾れて先尖り心に小丸に返る。また本刀には截断銘が添えられ、「山野加右衛門尉永久」による「二ツ胴截断」つまり、二体の死体を切り落としたとの記録がなされる。永久は山田浅右衛門の名で知られる山田家の御様御用(おためしごよう)の先達であり、新刀期の上位刀工である本作含め、長曾祢興里、肥前国忠吉、大和守安定、法城寺正弘などの作品に截断銘を施し、それら諸刀工の力量を広く知らしめた著名な試刀家である。現在の東京台東区三ノ輪にある「永久寺」は、永久が生涯で試斬した六千人余りの罪人供養のため、再建を担ったと伝えられる。本作頑強な体躯に、地肌潤いをもって華麗な焼刃と合わさり、山野加右衛門永久による貴重な裁断銘が施された誠に希少な逸品である。白鞘、金一重はばき、茶溜塗刻鞘打刀拵、特別保存刀剣鑑定書。

Katana [Yasutsugu(Edo 3rd generation) Saidanmei 2 Tsu Dou(Gold Inlay Body Cutting Test)(Wazamono)] [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token
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Tokuho売切れ

Katana [Yasutsugu(Edo 3rd generation) Saidanmei 2 Tsu Dou(Gold Inlay Body Cutting Test)(Wazamono)] [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token

売却済

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仕様

長さ

72.1 cm

反り

1.2 cm

元幅

3.15 cm

先幅

2.55 cm

作者について

Shimosaka Yasutsugu康繼

8 重要刀剣

康継の江戸三代の現存する刀は、いずれも徳川の葵紋の下に同じ長銘を切る。茎の鍔元に葵紋をきり、その下に「康継以南蛮鉄於武州江戸作之」と、南蛮鉄を以て武州江戸に作るむねを刻む。説明書によれば、彼は二代康継の嫡子として生まれ、右馬助と称したという。父二代の歿した時わずか十七歳で、初代の三男四郎右衛門を三代に立てようとする一派があり、家督相続の争いがおこったが、結局右馬助が三代を継ぎ、叔父四郎右衛門は越前家を相続し、ここに下坂家は江戸と越前の両系に分れた。彼は寛文頃に作刀し、歿年は不明である。下坂の名は、家康より葵紋と康の一字を賜った初代に発する。 その手は、まず初・二代との対比に定まる。覇気に富んでやや荒々しい初・二代の出来に比べ、説明書は三代をおとなしくまとまったものとよみ、その刃を二様に整理する。前者は直刃を主調に浅くのたれをおびたもの、後者は小のたれに互の目を交え、時に頭の丸い互の目が連れて交じる乱れである。いずれの様にも小足が入り、匂深く、沸がよくつく。元に直ぐの焼出しを置くことが多く、これを説明書は初・二代に見られぬ同工の特色とし、当時の江戸物に近い作風とよむ。 鍛えは板目、しばしばよくつんだ小板目に杢・流れ肌を交え、時に肌立ちごころとなる。地沸は微塵に厚くつき、地景入り、かねは総じて黒みをおびる。帽子は直ぐに小丸、深く返り、時に先掃きかける。その深い返りを、説明書は祖父・父にあたる初・二代の手癖に直に結ぶ。第三十九回の一口には帽子に三品風の面影があるとし、黒みのある地鉄、沈みごころの匂口とあわせて、「三品風の面影があるところなどには、伝統的な越前物の特色」が表されるとよむ。 三代の持味は、二様を初・二代に照らすところに現れる。第三十六回の刀に、説明書は、初・二代に比して「鍛えがつまって綺麗であり」、刃は「匂口はむしろ明るいなど」と評し、三代を見分ける見どころを名ざす。第六十二回の刀はこの読みをさらに進め、匂口深く沸むらなくつくところを法城寺一派や馬徹等の江戸物に近いとし、当時の流行を取り入れた江戸三代の「持味があらわれた」一口とする。署名にも一貫した手癖があり、長銘の字が茎先にかけて次第に小さくなるさまを、説明書は「字体の大きさが茎先にかけて次第に小さくなるのが銘字の手癖」と記す。 彼は他流ではなく、終始その家系に照らして読まれる。最も早い第十七回の刀に、説明書は「あたかも法城寺一派の作を見るような感がある」と評し、同じ法城寺・馬徹との通いは第六十二回にも戻る。三代についての正直な評もまた同じ説明にある。現存作は比較的少なく、父祖に遠く及ばず、初・二代に頻りな刀身彫刻もまた殆んど稀となる。ゆえに彼の位置は革新者ではなく、下坂派の江戸の継承者にあり、家の直刃と小のたれの作風を保ちつつ、江戸物の綺麗な鍛えと明るい匂を作中に容れた工である。 作はいずれも重要刀剣の位にあり、現在八口を数え、それより上の指定はなく、藤代の評は上々作である。うち第二十三回の刀一口は、寛文七年十二月二十一日の年紀をもち、裏に山野勘十郎久英による金象嵌の截断銘を負う、江戸初期の試刀の風を伝えるものである。この八口に大名の伝来や所蔵機関の記載はなく、その来歴を明らかに辿る手がかりは乏しい。蒐集家が実際に出会いうるのは、述べた直刃あるいは小のたれの一口で、生ぶの茎に葵紋と、先へ細る南蛮鉄の長銘を切るものである。それが市に現れるのは折にふれてであって頻繁ではなく、家康の葵紋の下賜に発する下坂派の、より綺麗で明るい江戸の顔として、一手の出来以上に下坂の名の重みを帯びる。

刀剣商

銀座誠友堂

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