説明

無銘(末関) -Mumei(Sue Seki)- 刃長75.15センチ 反り2.1センチ 元幅30.9ミリ 元重ね6.6ミリ 物打幅22.25ミリ 横手位置幅18.7ミリ 物打重ね4.6ミリ 松葉先重ね3.7ミリ 目釘穴1個 裸身重量671グラム 拵に納めて鞘を払った重量1,131グラム 室町後期 The latter period of Muromachi era 昭和34年1月26日 山口県登録 附属 保存刀剣鑑定書、黒石目変塗鞘糸巻陣太刀拵、白鞘、継木、真鍮はばき 末関とは、一般的には室町後期から室町末期にかけて美濃国関で活躍した刀工群を指します。実戦を重視した堅牢な造込みに特色があり、尖りごころの互の目乱れや三本杉風の刃文を焼くものが多く、地鉄は板目肌流れ、総じて鋭利で実用性に富み、戦国武将に広く求められました。兼定・兼元をはじめ、「兼」の字を冠する名工を多数輩出し、日本刀史上最大級の刀工集団として知られます。 本刀は、室町時代中期後半から室町後期にかけて鍛えられた一振です。元先の幅差が開いて腰元より上から反る『先反り』の堂々たる体配を誇り、中切先がやや延びごころとなるなど、まさに室町期の気骨をそのまま体現したかのような覇気に満ちた姿を見せています。 地鉄は小板目杢交じりで柾流れ、粕立ち、淡く映りごころがあって、刃文は匂口明るく、小湾れ調子に互ノ目を焼き、互ノ目丁字交じり、総体に砂流が顕著に現れ、金筋入り、鋩子は直ぐ調に先丸く返っています。 附属の拵は昭和か平成の作であろう。総銀無垢金具の糸巻陣太刀拵で、頑強なる石目塗が鞘に施されています。一見単なる黒石目に見えるも、仔細に見ると朱が点在した変り塗りであることが判ります。迫力ある糸巻陣太刀は床の間飾りとしても威風堂々たる存在感を放ちます。 ※継木は拵には納まりません。

無銘(末関) -Mumei(Sue Seki)- 1-116

無銘(末関) -Mumei(Sue Seki)- 1-116

¥990,000

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流派

Seki

時代

Muromachi

仕様

長さ

75.15 cm

反り

2.1 cm

元幅

3.09 cm

先幅

2.23 cm

流派について

Seki School関派

美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。

刀剣商

刀心

shop.nihontou.jp

¥990,000

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