説明

無銘(伝 手掻) -Mumei (Den Tegai)- 刃長69.8センチ 反り1.43センチ 元幅30.1ミリ 元重ね6.8ミリ 物打幅24.0ミリ 横手位置幅20.4ミリ 物打重ね5.1ミリ 松葉先重ね3.8ミリ 目釘穴2個 裸身重量659グラム 鎌倉後期 The latter period of Kamakura era 昭和37年9月25日 鳥取県登録 附属 特別保存刀剣鑑定書、素銅地金鍍金はばき、白鞘 手掻派は東大寺に所属した刀工集団で、東大寺西の正門である転害門周辺に居住していたことからその名で呼ばれています。大和五派の中でも最も規模が大きく、技量の安定した一派として知られ、手貝町や包永町などの地名を現在に伝えています。 手掻派の祖とされる包永は鎌倉時代中期の正応頃(1288年頃)に活躍した刀工で、名物「児手柏」や岩崎家伝来の国宝をはじめ、多くの名刀を残しました。現存する指定文化財の多くは大磨上無銘となっていますが、その作風によって高く評価されています。包吉、包清、包友、包利らの名工を輩出し、また正宗十哲の一人として知られる兼氏も、初銘を包氏と称して手掻派に属したと伝えられています。南北朝時代までの作品を「手掻」、応永以降の作品を「末手掻」と呼び、大和物の中でも地鉄が冴え、沸の働きが豊かな作風を特徴としています。 本刀は大きく磨り上げられているものの、なお二尺三寸余の刃長を保ち、元先の幅差が頃好く開き、やや延びごころの切先を備えた優雅な姿を見せています。地鉄は小板目肌に流れ肌と柾目が交じり、よく練れて詰み、やや肌立った鍛えに淡い映りが現れ、刃文は匂口が明るく冴えた直刃を基調とし、指表の物打付近には短い打除が見られます。総体に大和伝らしい端正な作域を示しており、地刃の健全さも良好であり、伝手掻の極めに加え、鎌倉後期まで遡る古刀でありながら姿の均整が保たれている点は見所といえるでしょう。派手な働きを誇示する作ではありませんが、落ち着いた地刃の味わいを備えた一振であり、今後さらに上位審査への挑戦も期待できる資料性の高い古刀です。

無銘(伝 手掻) -Mumei (Den Tegai)- 2-1894
Tokuho

無銘(伝 手掻) -Mumei (Den Tegai)- 2-1894

¥1,298,000

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仕様

長さ

69.8 cm

反り

1.43 cm

元幅

3.01 cm

先幅

2.04 cm

流派について

Tegai School手掻派

69 重要刀剣

手掻派は、大和五派の一として奈良に興った刀工の一門である。東大寺の西の正門である転害門の外辺に居住し、東大寺に隷属していた鍛冶の集団と推察され、寺の門の名がそのまま一派の称となった。手掻とも転害とも書く。その祖と伝えられるのが包永で、銘鑑は活躍を鎌倉時代後期の正応頃(一二八八〜九三)とするが、初代の在銘作に年紀はなく、子とも弟子とも伝える包清に嘉暦四年(一三二九)紀の短刀が遺ること、また作域・造込みからして更に時代の遡るとの見解も繰り返し示され、活躍期は鎌倉時代中期から末期にかけてと読まれる。以後、包永の名は数代に継承され、包清・包俊・包次ら同族の工が南北朝から室町に亘って栄えた。大和五派の中で手掻は最も規模が大きく、室町期には他派を吸収したかのごとくこの派のみが存続したとされる。寺社に隷属した工房を母胎とする出自は、その実用本位の造込みと抑制された焼刃の根にあって、一門の作風を貫いている。 一派に通う語法は、まず地鉄に読まれる。鍛えは板目に杢・流れ肌を交え、刃寄りは流れて柾がかり、しばしば肌立ちごころとなって、奈良の手掻に置く構造的な見どころを示す。その上に地沸が厚くつき、地景が頻りに入り、鉄がよく冴える。この柾の目立つ板目こそ、大和五派に共通する第一の標識である。焼かれる刃は直刃を基調とし、浅くのたれて小互の目・小乱れを交え、決して華やかな大模様には出ない。刃縁にはほつれ・打のけ・喰違刃・二重刃がかかり、湯走りが地にこぼれ、金筋・砂流しが走って、刃中にもまた柾が通う。帽子は先を掃きかけて返りの少ない焼詰め風となり、あるいは小丸に浅く返る。これらは大和物に共通する働きであるが、手掻が他の四派と分かれるのは沸の質においてである。包永の作は大和物の中でも最も沸の強いもので、つぶらで輝きのある美しい沸がつき、匂口は明るく地刃ともによく冴える。この明るく強い沸が、鎌倉後期の古手掻を貫く核である。代を降ると地は白けごころとなり、棟寄りに白け映りが立ち、匂口は締まって小沸ごころとなる。包清・包俊・包次らの応永頃の短刀がこの末手掻の典型を示し、なお末期に至れば、享禄頃の包清の刀のごとく直刃が大互の目の皆焼へと転じ、千子村正に近い作域を見せるに至る。古手掻の明るく強い沸から、末手掻の白けて締まった刃へ、一門の弧はこのように降る。 鑑定の勘所は、まずこの柾の目立つ地鉄と、掃きかけ・焼詰めの帽子の下に喰違刃・二重刃と働く直刃にある。同じ大和の中でも、来の詰んだ小板目に整って流れる直刃とは地が分かれ、古備前の丁子に映りを伴う乱れとも分かれる。大和の内部では、千手院・尻懸則長・当麻・保昌と並び称されるが、その分かれ目は手掻自身の特色に沿う。包永は浅くのたれる直刃調を保って小互の目が連れて連なることはなく、湯走り・打のけ・二重刃が刃縁の上に自在に働き、保昌の無地の直刃よりほつれと二重刃に富み、尻懸の連れた小互の目とも異なる。祖包永の格は一門の頂にあり、太刀姿は凛然として格調の高いものが多く、その沸は粟田口久国や相州上工に比し得るものと評されてきた。在銘の太刀は古作としては異例に多く、その殆どが茎先に二字銘を遺す磨上の状態のもので、「包」の字が竪づまりとなり、「永」の字の第二画の竪棒を極端に長く引くところが銘字の見どころとされる。伝来も深く、徳川将軍家から諸大名へ拝領された太刀があり、本多忠勝の孫忠刻の所持銘を残す一口、堀尾家を経て勢州石川家に伝来した折返銘の刀など、来歴を伝える作が多い。包清・包俊・包次ら後代の工は、大磨上無銘の極めを通じて世に伝わるものが多く、在銘・年紀の作はそれ自体が稀少にして、最も規模の大きな大和の一派の作域を知る定点として貴ばれている。

刀剣商

刀心

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