二十世紀は二度この工芸を殺しかけた。戦時の歪みと、占領下の禁令である。1948年の日刀保設立と1953年の作刀再開が刀を美術として再建し、人間国宝と無鑑査がその頂に立つ。
赤松太郎兼幸は本名を木村安広といい、昭和五十六年の生まれ。赤松太郎を名乗りとする木村家は人吉藩相良家の御用刀工の流れを汲み、戦前から戦後にかけて鹿児島川内川で採取した砂鉄を用いて自家製鋼に挑戦した祖父兼重‐父兼嗣と続く名流。家伝の清麿伝を手掛け、親子共々赤松太郎の鞴の火を守るべく、日々研鑽を積んでいる。


肥後 · 2005-頃
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昭和から現代へ 断絶と再生
二十世紀は二度この工芸を殺しかけた。戦時の歪みと、占領下の禁令である。1948年の日刀保設立と1953年の作刀再開が刀を美術として再建し、人間国宝と無鑑査がその頂に立つ。
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