Stock No:WA-100325Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon ToukenCountry(Kuni)/Period(Jidai): Echizen(Fukui), Early edo period about 1655~Blade length(Cutting edge): about 58.6cmCurve(SORI):about 0.6cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.04cmThickness at the Moto-Kasane: 0.61cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.45cmThickness at the Saki-Kasane: 0.50cmHabaki: Two parts, Silver HabakiSword tang(Nakago): Sujikai file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Shinogizukuri, Iorimune, Chu-kissakiJigane(Hada): Itame with Mokume, Jinie and ChikeiTemper patterns(Hamon): Gunome and Choji, TogaribaTemper patterns in the point(Bohshi): Midarekomi then Hakikake round tipRegistration Card: Yamagata 1957【Additional Information】汎隆(ひろたか)は越前下坂一派を代表する刀工の一人で、越前兼法の流れを汲む道本兼植(かねたね)の門人です。「伯耆守藤原汎隆」、「越前住伯耆守汎隆」、「伯耆大掾汎隆」などと銘を切ります。作品は切れ味に定評が有り、業物として名高く、下坂派の中でもかなりの人気工であったと伝えられています。現在でも親しみを込めて「ぼんりゅう」、「ぼんたか」などの愛称で呼ばれています。本品は、刃長が一尺九寸三分弱の長脇差で、身幅重ね尋常、反り浅く、中切っ先となる健全な刀姿となります。地鉄は、板目肌よく練れて詰み、杢目交じり、地沸よく付いて、地景が入ります。焼刃は、互の目主調に丁子、尖り刃、角張った刃などを交えて一部逆がかり、高低ついて、刃中には金線が入り働きます。帽子は浅く乱れ、先掃きかけて返ります。茎は生ぶ、錆色よく残り、筋違鑢目で、銘を刻します。本刀は越前下坂刀工の伯耆守汎隆が手掛けた一作で、地刃に同工独特の多様な景色を映した趣深い御刀としてご紹介いたします。白鞘、銀無垢二重はばき、特別保存刀剣鑑定書。





新刀 · 越前 · 1655-1658頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在5点販売中
汎隆の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 越前
現在54点販売中
茎にきられた黒い鉄こそ、この一門の最も確かな標である。鍛えは板目に杢が目立って交じり、刃寄り棟寄りに流れて肌立ち、地沸厚く、地景細かに入って、かねが総じて黒みをおびる。説明書はこれを繰り返し「越前がねの特色」と名指し、初代康継から重高・貞国・貞次に至るまで終始変わらぬ見どころとする。この一団は近江国坂田郡下坂郷を本貫とし、新刀初頭の越前にあって「下坂」を商標として用いた幾人かの鍛冶の集まりであって、説明書は一人の刀工とみるよりは一団とみるのが妥当とし、初期は康継をその代表者とする。初代康継は下坂市左衛門と称して越前に移り結城秀康に仕え、初め肥後大掾下坂と銘した。慶長十年から十一年にかけて江戸に召され、家康・秀忠両将軍の御前で鍛刀した褒賞として「康」の一字と三つ葉葵紋を茎にきることを許されて康継と改名し、葵下坂・御紋康継の名はこれに発する。以後は将軍家の御抱工として越前と江戸を隔年に勤め、本国打には越前住、江戸打には於武州江戸と切り添え、南蛮鉄を以南蛮鉄と添えた。肥後大掾藤原下坂の康継前銘は貞国・兼法・国康らと鏨運びも筆意も酷似し、今日なお銘振りによってしか分かち得ぬほど近い。 この一門の手は静かで、同時代の備前・美濃の華やかな新刀の多くに対置される。刃文は浅いのたれ・中直刃を基調に小互の目を連れて交え、小足・葉入り、沸厚く、荒めの沸がむらにつき、本工らしいばさけを生じて、金筋・砂流しが長くかかり、棟焼・飛焼さかんに、時に皆焼風となり、匂口は沈みごころとなる。帽子は浅くのたれて先尖りごころに三品風を呈し、掃きかけて長く返る。姿は身幅広く元先の幅差少なく重ね厚め反り浅い慶長新刀体配で、平造脇指は幅広寸延びとなる。彫物がいま一つの恒常で、彫口深く力強い越前彫・記内彫が一門の手を示し、不動三体仏・倶利迦羅・梵字・護摩箸・素剣を巧みに彫る。記内ら越前の彫物師の手によるこの深い浮彫は、説明書が地方の特色と名指すものである。一門が最も称えられる作域は相州写しであって、初代・二代ともに大坂落城に焼失した名物の再刃を試み、中でも貞宗写しを最も得意とし、各写しに自らの作風を加えて徒らに模倣せぬところに特色がある。手は系統と目的とで分かれ、貞国は直刃を得意として地がつんで精美に、貞次は越前関の系譜を引いて丁子の目立つ明るい現れを示し、重高は茎尻を栗尻とする点で一門の剣形と分かたれる。 収集家がこの一門の作に向かうべき所以は、その見分けやすさにある。黒く肌立った越前がね、ばさけた刃縁、縞がかる砂流し、長く掃きかける小丸の返り、そして深い記内彫が併さって、写した古作によってではなく一門自らの語法によって読まれる。中心に立つのは初代康継で、駿府滞在中の駿州打や名物写しを残し、駿府御分物の一刀は紀州徳川家に、号風雷神の刀は越前松平家に伝来した。嫡子二代康継は父風を忠実に継ぎ、継の字形以外では殆ど区別し難く、晩年は初代に劣らぬ域に達した。二代の後、家は江戸三代を右馬助、越前家を四郎右衛門が継いで両系に分かれ、同名は幕末まで両地に栄えた。江戸三代は鍛えがつんで綺麗に、匂口は明るく、直ぐの焼出しを置いて法城寺一派など当時の江戸物に近づく。後援者本多飛騨守成重の立葵紋が貞次や康継一門の優品に多くきられ、截断銘がその伝来を彩る。藤代は上々作から上作に位し、一門は名だたる蔵伝よりも在銘の指定刀を通して出会われる。市に現れるのは葵紋を切った在銘の康継、あるいは下坂貞国・貞次・重高の在銘作であって、根気をもって待てば折にふれ世に現れ、現れれば家康の葵紋下賜に発する越前下坂の確かな一口となる。
No cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).
Stock No:WA-100325Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon ToukenCountry(Kuni)/Period(Jidai): Echizen(Fukui), Early edo period about 1655~Blade length(Cutting edge): about 58.6cmCurve(SORI):about 0.6cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.04cmThickness at the Moto-Kasane: 0.61cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.45cmThickness at the Saki-Kasane: 0.50cmHabaki: Two parts, Silver HabakiSword tang(Nakago): Sujikai file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Shinogizukuri, Iorimune, Chu-kissakiJigane(Hada): Itame with Mokume, Jinie and ChikeiTemper patterns(Hamon): Gunome and Choji, TogaribaTemper patterns in the point(Bohshi): Midarekomi then Hakikake round tipRegistration Card: Yamagata 1957【Additional Information】汎隆(ひろたか)は越前下坂一派を代表する刀工の一人で、越前兼法の流れを汲む道本兼植(かねたね)の門人です。「伯耆守藤原汎隆」、「越前住伯耆守汎隆」、「伯耆大掾汎隆」などと銘を切ります。作品は切れ味に定評が有り、業物として名高く、下坂派の中でもかなりの人気工であったと伝えられています。現在でも親しみを込めて「ぼんりゅう」、「ぼんたか」などの愛称で呼ばれています。本品は、刃長が一尺九寸三分弱の長脇差で、身幅重ね尋常、反り浅く、中切っ先となる健全な刀姿となります。地鉄は、板目肌よく練れて詰み、杢目交じり、地沸よく付いて、地景が入ります。焼刃は、互の目主調に丁子、尖り刃、角張った刃などを交えて一部逆がかり、高低ついて、刃中には金線が入り働きます。帽子は浅く乱れ、先掃きかけて返ります。茎は生ぶ、錆色よく残り、筋違鑢目で、銘を刻します。本刀は越前下坂刀工の伯耆守汎隆が手掛けた一作で、地刃に同工独特の多様な景色を映した趣深い御刀としてご紹介いたします。白鞘、銀無垢二重はばき、特別保存刀剣鑑定書。





新刀 · 越前 · 1655-1658頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在5点販売中
汎隆の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 越前
現在54点販売中
茎にきられた黒い鉄こそ、この一門の最も確かな標である。鍛えは板目に杢が目立って交じり、刃寄り棟寄りに流れて肌立ち、地沸厚く、地景細かに入って、かねが総じて黒みをおびる。説明書はこれを繰り返し「越前がねの特色」と名指し、初代康継から重高・貞国・貞次に至るまで終始変わらぬ見どころとする。この一団は近江国坂田郡下坂郷を本貫とし、新刀初頭の越前にあって「下坂」を商標として用いた幾人かの鍛冶の集まりであって、説明書は一人の刀工とみるよりは一団とみるのが妥当とし、初期は康継をその代表者とする。初代康継は下坂市左衛門と称して越前に移り結城秀康に仕え、初め肥後大掾下坂と銘した。慶長十年から十一年にかけて江戸に召され、家康・秀忠両将軍の御前で鍛刀した褒賞として「康」の一字と三つ葉葵紋を茎にきることを許されて康継と改名し、葵下坂・御紋康継の名はこれに発する。以後は将軍家の御抱工として越前と江戸を隔年に勤め、本国打には越前住、江戸打には於武州江戸と切り添え、南蛮鉄を以南蛮鉄と添えた。肥後大掾藤原下坂の康継前銘は貞国・兼法・国康らと鏨運びも筆意も酷似し、今日なお銘振りによってしか分かち得ぬほど近い。 この一門の手は静かで、同時代の備前・美濃の華やかな新刀の多くに対置される。刃文は浅いのたれ・中直刃を基調に小互の目を連れて交え、小足・葉入り、沸厚く、荒めの沸がむらにつき、本工らしいばさけを生じて、金筋・砂流しが長くかかり、棟焼・飛焼さかんに、時に皆焼風となり、匂口は沈みごころとなる。帽子は浅くのたれて先尖りごころに三品風を呈し、掃きかけて長く返る。姿は身幅広く元先の幅差少なく重ね厚め反り浅い慶長新刀体配で、平造脇指は幅広寸延びとなる。彫物がいま一つの恒常で、彫口深く力強い越前彫・記内彫が一門の手を示し、不動三体仏・倶利迦羅・梵字・護摩箸・素剣を巧みに彫る。記内ら越前の彫物師の手によるこの深い浮彫は、説明書が地方の特色と名指すものである。一門が最も称えられる作域は相州写しであって、初代・二代ともに大坂落城に焼失した名物の再刃を試み、中でも貞宗写しを最も得意とし、各写しに自らの作風を加えて徒らに模倣せぬところに特色がある。手は系統と目的とで分かれ、貞国は直刃を得意として地がつんで精美に、貞次は越前関の系譜を引いて丁子の目立つ明るい現れを示し、重高は茎尻を栗尻とする点で一門の剣形と分かたれる。 収集家がこの一門の作に向かうべき所以は、その見分けやすさにある。黒く肌立った越前がね、ばさけた刃縁、縞がかる砂流し、長く掃きかける小丸の返り、そして深い記内彫が併さって、写した古作によってではなく一門自らの語法によって読まれる。中心に立つのは初代康継で、駿府滞在中の駿州打や名物写しを残し、駿府御分物の一刀は紀州徳川家に、号風雷神の刀は越前松平家に伝来した。嫡子二代康継は父風を忠実に継ぎ、継の字形以外では殆ど区別し難く、晩年は初代に劣らぬ域に達した。二代の後、家は江戸三代を右馬助、越前家を四郎右衛門が継いで両系に分かれ、同名は幕末まで両地に栄えた。江戸三代は鍛えがつんで綺麗に、匂口は明るく、直ぐの焼出しを置いて法城寺一派など当時の江戸物に近づく。後援者本多飛騨守成重の立葵紋が貞次や康継一門の優品に多くきられ、截断銘がその伝来を彩る。藤代は上々作から上作に位し、一門は名だたる蔵伝よりも在銘の指定刀を通して出会われる。市に現れるのは葵紋を切った在銘の康継、あるいは下坂貞国・貞次・重高の在銘作であって、根気をもって待てば折にふれ世に現れ、現れれば家康の葵紋下賜に発する越前下坂の確かな一口となる。
No cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).