徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
Stock number:SWA-110125Paper(Certificate):[N.B.T.H.K] Hozon tokenCountry・Era:Yamashiro・Kii(Wakayama),Middle Edo period about 1661~Blade length(Cutting edge): 54.9cmCurve(SORI): 0.9cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.50cmThickness at the Moto-Kasane: 0.90cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.80cmThickness at the Saki-Kasane: 0.70cmSword tang(Nakago): Unaltered, Sujikai file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Shinogizukuri, Iorimune,Chu-kissakiEngraving: Bo-hi with soe-hi on each sideJigane(Hada): Itame and mokumeTemper patterns(Hamon): SuguTemper patterns in the point(Bohshi): Sugu then komaru round tipRegistration Card: Okayama【Additional Information】紀伊国康綱は紀州石堂派を代表する刀工で、江戸時代中期 寛文頃に活躍しました。初代備中守橘康広の門人と伝わります。紀伊国は南海道に位置する現在の和歌山県と三重県南部の一帯を指す地名ですが、大阪に住んで鍛刀した記録も残されています。紀伊国康綱、紀伊国康綱作、紀伊国橘康綱などと銘を切ります。備中守橘康広の作風に似た互の目乱れ、丁子乱れ等を得意とする非常に上手な刀工です。本刀刃長は一尺八寸一分強。身幅元先で広く重ね厚く、反りやや浅めで中切っ先となる刀姿です。表裏に棒樋と添樋の彫刻を施します。樋を掻いてありますが、手持ちズシリと重量を感じる頑強な脇差です。地鉄は板目肌に杢目、刃寄り流れごころ交じり、総体肌がよく現れて、地沸よく付き、地景太く入ります。刃文は匂口明るく冴えた直刃を焼きます。帽子はそのまま直ぐで先小丸に返ります。茎は生ぶ、筋違鑢で仕立て、刀工銘を切ります。本作は紀州石堂派刀工 紀伊國康綱の一刀で、豪壮な体躯を呈し、地刃精緻に鍛刀された優品であります。白鞘、銀着二重はばき、保存刀剣鑑定書。



新刀 · 紀伊 · 1661-1673頃
現在1点販売中
新刀 · 近江
現在48点販売中
石堂派は、近江国蒲生郡石堂村の刀工に淵源を有する一門である。慶長から元和・寛永にかけて、これらの刀工は近江よりまず京都へ上り、のちに江戸へ下って一派を成したと伝えられ、これがいわゆる江戸石堂の祖となった。武蔵大掾是一はその祖と称され、日置出羽守光平・常光・越前守宗弘らと共に江戸石堂の名を大いに高めた。中でも対馬守橘常光は、日置を姓とし生国を近江国蒲生郡とする一派の代表工で、従来は光平の兄とされてきたが、年紀作を逆算すると光平の方が六歳年長であり、また常光は橘氏、光平は源氏を名乗っていることから、兄弟であるという通説には疑問がもたれている。一門はやがて各地へ広がり、是一門からは是次が出て九州に活躍し福岡石堂の繁栄をもたらした。紀州にあっては平安城安広が紀州名草郡和歌山に移って作刀し、また備中守橘康広(富田五郎左衛門)が紀州石堂派を代表し、のちに大坂に移って大坂石堂派の始祖となった。河内守康永の門人多々良長幸もまた紀州より大坂に移り、近江には佐々木善四郎一峯らがあって、一派は江戸・大坂・紀州・福岡・近江の各地に系統を伝えた。 石堂派の作風は、御家芸ともいうべき備前伝にあり、映りの立った鍛えに丁子乱れを得意とする点に一貫した特色がある。鍛えは板目つみ、杢・流れ肌を交え、地沸微塵につき、乱れ映りが鮮やかに立つ。刃文は丁子乱れを主調とし、大丁子・頭の丸い丁子・小丁子・互の目・小互の目・尖りごころの刃などを交え、重花丁子・袋丁子をも交えて足・葉よく入り、華やかとなる。常光の作には焼に高低が見られ、焼頭が鎬にかかる程の大出来の丁子を焼くものがあって、古作一文字を髣髴とさせる。安広は互の目・小互の目・箱刃風・尖りごころの刃などを交えて総じて焼高く、棟焼よく入り、金筋・砂流し・沸筋頻りにかかる放胆な焼刃を示す。康広は逆ごころをおびた華やかな丁子乱れを得意とし、長幸は石堂派本来の一文字を狙った丁子乱れの作と、末備前に範をとった腰のひらいた互の目を主調とする作の二様を遺す。総じて匂口の明るく冴える点が、一門諸工に通じる特色である。 評価としては、石堂派は新刀・新々刀の時代にあって備前伝の作風を伝え、丁子乱れの華やかな出来をよく示した点に意義が認められる。常光は焼に高低のある華やかな丁子乱れを焼いて本領を発揮し、その典型作は同工中の優品・最高傑作と称される。安広は長寸・身幅広く重ね厚い堂々たる姿態に放胆な焼刃を加え、新刀を代表する一工としてその技倆が遺憾なく発揮されている。康広は覇気に富んだ作柄を仕上げ、その一口は薩摩国島津家に伝来したものも知られる。長幸は師に優る技量の持主と評され、匂口のふっくらとした出来を遺す。各地に展開しながら備前伝の本領を堅持し、江戸時代初期より長く続いたこの一門は、新刀・新々刀の世にあって備前の作風を伝えた代表的な流派として高く位置づけられている。 詳しく見る →
江戸時代
徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).
Stock number:SWA-110125Paper(Certificate):[N.B.T.H.K] Hozon tokenCountry・Era:Yamashiro・Kii(Wakayama),Middle Edo period about 1661~Blade length(Cutting edge): 54.9cmCurve(SORI): 0.9cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.50cmThickness at the Moto-Kasane: 0.90cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.80cmThickness at the Saki-Kasane: 0.70cmSword tang(Nakago): Unaltered, Sujikai file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Shinogizukuri, Iorimune,Chu-kissakiEngraving: Bo-hi with soe-hi on each sideJigane(Hada): Itame and mokumeTemper patterns(Hamon): SuguTemper patterns in the point(Bohshi): Sugu then komaru round tipRegistration Card: Okayama【Additional Information】紀伊国康綱は紀州石堂派を代表する刀工で、江戸時代中期 寛文頃に活躍しました。初代備中守橘康広の門人と伝わります。紀伊国は南海道に位置する現在の和歌山県と三重県南部の一帯を指す地名ですが、大阪に住んで鍛刀した記録も残されています。紀伊国康綱、紀伊国康綱作、紀伊国橘康綱などと銘を切ります。備中守橘康広の作風に似た互の目乱れ、丁子乱れ等を得意とする非常に上手な刀工です。本刀刃長は一尺八寸一分強。身幅元先で広く重ね厚く、反りやや浅めで中切っ先となる刀姿です。表裏に棒樋と添樋の彫刻を施します。樋を掻いてありますが、手持ちズシリと重量を感じる頑強な脇差です。地鉄は板目肌に杢目、刃寄り流れごころ交じり、総体肌がよく現れて、地沸よく付き、地景太く入ります。刃文は匂口明るく冴えた直刃を焼きます。帽子はそのまま直ぐで先小丸に返ります。茎は生ぶ、筋違鑢で仕立て、刀工銘を切ります。本作は紀州石堂派刀工 紀伊國康綱の一刀で、豪壮な体躯を呈し、地刃精緻に鍛刀された優品であります。白鞘、銀着二重はばき、保存刀剣鑑定書。



新刀 · 紀伊 · 1661-1673頃
現在1点販売中
新刀 · 近江
現在48点販売中
石堂派は、近江国蒲生郡石堂村の刀工に淵源を有する一門である。慶長から元和・寛永にかけて、これらの刀工は近江よりまず京都へ上り、のちに江戸へ下って一派を成したと伝えられ、これがいわゆる江戸石堂の祖となった。武蔵大掾是一はその祖と称され、日置出羽守光平・常光・越前守宗弘らと共に江戸石堂の名を大いに高めた。中でも対馬守橘常光は、日置を姓とし生国を近江国蒲生郡とする一派の代表工で、従来は光平の兄とされてきたが、年紀作を逆算すると光平の方が六歳年長であり、また常光は橘氏、光平は源氏を名乗っていることから、兄弟であるという通説には疑問がもたれている。一門はやがて各地へ広がり、是一門からは是次が出て九州に活躍し福岡石堂の繁栄をもたらした。紀州にあっては平安城安広が紀州名草郡和歌山に移って作刀し、また備中守橘康広(富田五郎左衛門)が紀州石堂派を代表し、のちに大坂に移って大坂石堂派の始祖となった。河内守康永の門人多々良長幸もまた紀州より大坂に移り、近江には佐々木善四郎一峯らがあって、一派は江戸・大坂・紀州・福岡・近江の各地に系統を伝えた。 石堂派の作風は、御家芸ともいうべき備前伝にあり、映りの立った鍛えに丁子乱れを得意とする点に一貫した特色がある。鍛えは板目つみ、杢・流れ肌を交え、地沸微塵につき、乱れ映りが鮮やかに立つ。刃文は丁子乱れを主調とし、大丁子・頭の丸い丁子・小丁子・互の目・小互の目・尖りごころの刃などを交え、重花丁子・袋丁子をも交えて足・葉よく入り、華やかとなる。常光の作には焼に高低が見られ、焼頭が鎬にかかる程の大出来の丁子を焼くものがあって、古作一文字を髣髴とさせる。安広は互の目・小互の目・箱刃風・尖りごころの刃などを交えて総じて焼高く、棟焼よく入り、金筋・砂流し・沸筋頻りにかかる放胆な焼刃を示す。康広は逆ごころをおびた華やかな丁子乱れを得意とし、長幸は石堂派本来の一文字を狙った丁子乱れの作と、末備前に範をとった腰のひらいた互の目を主調とする作の二様を遺す。総じて匂口の明るく冴える点が、一門諸工に通じる特色である。 評価としては、石堂派は新刀・新々刀の時代にあって備前伝の作風を伝え、丁子乱れの華やかな出来をよく示した点に意義が認められる。常光は焼に高低のある華やかな丁子乱れを焼いて本領を発揮し、その典型作は同工中の優品・最高傑作と称される。安広は長寸・身幅広く重ね厚い堂々たる姿態に放胆な焼刃を加え、新刀を代表する一工としてその技倆が遺憾なく発揮されている。康広は覇気に富んだ作柄を仕上げ、その一口は薩摩国島津家に伝来したものも知られる。長幸は師に優る技量の持主と評され、匂口のふっくらとした出来を遺す。各地に展開しながら備前伝の本領を堅持し、江戸時代初期より長く続いたこの一門は、新刀・新々刀の世にあって備前の作風を伝えた代表的な流派として高く位置づけられている。 詳しく見る →
江戸時代
徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).