説明

刀剣小町 刀 無銘(末三原) 白鞘入 (Katana, Mumei attributed to Sue-Mihara) 刃文は、中直刃、匂口締まりごころ、沸よくつき、掃掛けやほつれごころ交じり、砂流しかかる。 備後国三原の地で作刀した刀工を総称して、鎌倉時代末期頃から南北朝期までを古三原、室町時代を末三原と呼んでいます。正家を祖とし、正広、高光、行吉などの名が知られています。三原派の作風の特徴は、板目肌が流れて地沸つく地鉄に、直刃ほつれの刃文が多く、大和気質があります。本作は磨上げてやや反り浅く、手持ち感がしっかりと手応えがあり、地刃ともにに沸よくつく出来の良い一振りです。 素銅地一重ハバキ、白鞘、白鞘袋、登録証(埼玉県55844号 昭和58年7月22日交付)、 TEL : (03)5284-9014 / FAX : (03)5284-9043

刀 白鞘入り

刀 白鞘入り

¥390,000

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仕様

長さ

72 cm

反り

0.9 cm

元幅

2.97 cm

先幅

2.08 cm

流派について

Mihara School三原派

備後国三原派の起源と展開 備後国三原派は、鎌倉時代末期の正和または正中年間(一三一二〜一三二六)頃に正家を祖として興り、南北朝時代を経て室町時代末期に至るまで繁栄した一派である。一派のうち鎌倉末期より南北朝期にかけてのものを古三原と汎称し、正家・正広を双璧とし、他に正光・政清・正信・政広などの工が知られる。備後国はもとより古代から鉄製品の産地として名高く、『政事要略』の延喜十四年(九一四)の条にもその記述が見られる。この地方は永く大和の東寺や蓮華王院、高野山など畿内中央の社寺の荘園が多く置かれており、大和との交流が頻繁に行われていた。三原派の作風に大和気質が色濃く窺われるのは、こうした地理的・社会的背景によるものと推察される。 三原派の作風と技術的特質 三原派の作風は前述の如く大和気質が顕著にあらわれるものであるが、大和本国のものに比べては地刃の沸が弱いのが一般的で、独特の特色を備えている。鍛えは板目に杢目や流れ肌が交じり、処々強く流れて柾がかり、総体に肌立ちごころとなり、地沸が微塵につき、淡く白け映りが立つ点が顕著である。刃文は直刃を基調とし、細直刃調に小互の目を交えて焼き、匂口が締まりごころとなり、小沸がつき、刃縁に細かなほつれや打のけ、喰違い刃などが頻りに交じり、匂口が沈みごころとなるのが特徴的である。帽子は直ぐに小丸または大丸風に返り、先を細かに掃きかける、いわゆる「三原もの独特の滝落とし風」となって穏やかな趣を示す。姿は南北朝時代の特色を反映し、身幅が広めで元先の幅差が目立たず、反りが浅くつき、中鋒または大鋒に結んだ堂々とした体配を呈するものが多く、また鎬が高めとなり、この点にも大和気質の影響が認められる。 伝承と文化的意義 古三原の作刀は、大和伝の技術的影響を受けながらも備後国独自の個性を確立した点において、日本刀史上重要な位置を占めている。その地刃の様相に大和色を強くあらわしながらも、白け映りの立つ独特の地鉄や締まった匂口など、大和本国とは異なる特質を顕現させており、大和伝亜流としての独自性を如実に物語っている。堂々とかつ雄渾な姿形には迫力があり、刃縁にあらわれた細かな働きは味わい深く、頑健な体配と相俟って武用に適した実践的な美を備えている。藩政時代には吉川家など諸大名家に伝来したものも多く、その評価の高さが窺われる。本阿弥家による鑑定においても三原極めの折紙が数多く伝存しており、江戸時代以降の刀剣鑑賞史においても重視されてきた一派である。

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