説明

刀剣小町 刀 後代兼定(銘 表 : 兼定) 白鞘入 拵付き (Katana, Kanesada, later generation) 鎬造、庵棟、身幅広めに重ねやや厚く、先へも身幅はさほど狭まらず、中切先となるがっしりとした姿。 鞘書 : 兼定 濃州関住参代にして時代天文頃 刃文互の目丁子見事也 長サ貮尺四寸貳分五厘有之 正真 明治二巳三月五京都屋敷 本阿弥平十郎(花押) 黒石目塗鞘打刀拵 : 草花図小透鐔(鉄地・真鍮象嵌覆輪)、笹図目貫、網代模様縁頭 兼定は、室町時代後期の美濃・関で兼元と並ぶ代表的な刀工です。本作は、室町時代末期の後代の兼定と極められており、5cm余り磨上げた二尺四寸超えの手持ちのがっしりとした姿で、板目肌よく寝れて地沸つき、刃文は互の目に小乱れや小丁子・尖り刃交じり、よく沸付いています。石目塗鞘の居合用の拵がついています。

刀 白鞘入り 拵付き

刀 白鞘入り 拵付き

¥800,000

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仕様

長さ

73.4 cm

反り

1.6 cm

元幅

3.15 cm

先幅

2.31 cm

流派について

Kanesada School兼定派

兼定は美濃国関を本拠とする末関の刀工で、室町時代後期にこの地で繁栄した美濃鍛冶を兼元とともに代表する。兼定を名乗る工は数代にわたるが、説示に最もしばしば挙げられるのは初代兼定の子にあたる二代和泉守兼定である。この二代は「定」の字のウ冠の中を「之」に切ることから「ノサダ」(之定)と称され、これを「疋」に切る後代の「ヒキサダ」と区別される。之定銘の成立については検討がなされ、はじめは「兼定」を楷書で切り、明応末から永正の初めにかけて之の字体に転じたと見られる。受領銘は永正七年紀の作にはじまり大永六年頃まで及び、之定は古刀期にあって珍しく「和泉守」を受領した工として、多くの刀剣書に上手と評される。説示には永正七年・同十年・同十二年などの年紀作、斎藤利隆との合作、伊勢山田での作刀も挙げられている。 作風は、兼元の三本杉と称される尖り刃主調の乱れ刃と対比して論じられることが多い。之定は頭の丸い互の目に小のたれ・互の目丁子・尖り刃などを交えた変化のある乱れ刃を本領とし、刀には湾れ調を基調に焼の高低を見せて大模様に乱れるものや、互の目丁子に尖り刃を交えて飛焼のかかるものがある。地鉄は板目に流れ肌を交えてよく錬れ、地沸つき地景入り、白け映りや白気ごころの立つものが多く、美濃物にありながら鉄色の明るく冴える点が特色とされる。茎の鑢目は関鍛冶に共通する鷹の羽で、短刀の早い時期には檜垣を見る。短刀や直刃調の刀には来写し(山城物写し)と称する上品な直刃があり、刃中に節が出ず来国俊を思わせる出来を示すものがあって、末関の各工に往々見られる節とこの点で見分けられる。之定と他の兼定との識別は、まず定の字体が之か疋かにより、之定はことに鍛えの錬れと地刃の冴えが一段優れる点に見どころがある。 鑑定にあたっては、姿の傾向が出来口と結びつく点が説示に示される。すなわち湾れ調の作では身幅広く鋒の大きい姿となり、互の目丁子を乱れる作では身幅尋常で元先の幅差が開き反りのやや高い洗練された姿を呈することが多い。切れ味の評価は高く、二ツ胴・立袈裟などの截断銘を金象嵌に伝える作が知られ、号「笒釣瓶」のように号を帯びるものもある。伝来も諸家に及び、紀州徳川家家老三浦将監、津山松平家家老小須賀帯刀、島津家、秋田佐竹家、土佐山内家、また武田信虎所持と伝える作などが挙げられている。総じて之定は、明るく冴えた地鉄と変化に富む乱れ刃、ならびに格調高い来写しの直刃をもって、関鍛冶の中でも技術の擢んでた工と位置づけられ、末関・末美濃の頂点を示す名工として評価される。

刀剣商

刀剣小町

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