正阿弥は室町時代以来の長い伝統を持ち、各地へ分流して土地ごとに特色ある鐔を制作した金工の大系で、会津正阿弥は会津地方で展開した一派として、鉄地の持ち味を生かしながら彫りと象嵌、色絵を組み合わせた装飾性豊かな作を残しています。本品は無銘ながら「会津正阿弥」と極められ、堅丸形、鉄地、据紋象嵌色絵、土手耳と記載された、同派の特色を端正に伝える鐔です。 表面の主題である鉄線は、細くしなやかな蔓に似合わず丈夫なことから「鉄線」の名を持つ蔓性植物で、初夏に整った花を開き、絡み合いながら伸び続ける姿には強い生命力と末永い繁栄への願いが重ねられてきました。本品では蔓を大きく円環状に巡らせ、その間へ葉、蕾、巻きひげを配し、三輪の花を金色絵によって鮮やかに咲かせており、花芯には放射状の細線を刻して、華やかな金の面へ繊細な表情を加えています。蔓が切羽台を囲みながら左右の櫃孔の間を縫う構成は伸びやかで、花、蕾、葉の大小と巻きひげの曲線が静かな鉄地へ心地よい律動を生み出しています。 裏面には薄を大きく配し、弧を描く葉と茎を据紋象嵌で表す一方、風に揺れる穂先へ金色絵を施して、秋野の澄んだ空気を簡潔な構図の中へ凝縮しています。花と蔓を密度高く巡らせた表面に対し、裏面では余白を広く取り、黒く引き締まる葉と黄金色の穂を対照させることで、鐔を返した際に季節も景色も一変する趣向となっており、初夏の鉄線と秋の薄という異なる季節の植物を表裏で味わえる点にも、鑑賞の奥行きがあります。 鉄地は穏やかな鎚の表情と深い褐色の古色を備え、輪郭を巡る土手耳が84ミリを超える堅丸形の姿を力強く引き締めています。据紋象嵌は蔓の細い線、重なり合う葉先、薄の長い茎に至るまでよく保たれ、金色絵にも目立った抜けがなく、黒褐色の鉄地、艶のある据紋、明るい金の3つの色調が明瞭に響き合い、小柄櫃穴は赤銅で丁寧に埋められ、茎孔の上下には素銅の責金を残しているため、実際に拵へ用いられてきた歴史を伝えながら、意匠全体のまとまりも損なっていません。 179グラムの充実した量感を持つ大振りの鉄鐔でありながら、重厚さだけに傾かず、鉄線の細い蔓と巻きひげ、薄の風になびく穂先を軽やかにまとめた構成には、会津正阿弥らしい鉄味と装飾性の調和が表れています。保存刀装具鑑定書を備え、象嵌と色絵の保存状態にも恵まれた内容は収集上の魅力が高く、大型鐔の堂々たる存在感、季節感に富む草花意匠、鉄と金の鮮明な対比を一度に楽しめる、展示映えのする見応え豊かな作品です。

















鐔工 · Kyoto
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正阿弥派は室町時代中期頃に興った鐔工の一派である。室町中期から末期にかけて専門の鐔工が登場するが、京の正阿弥もその主たるものであり、この時期の作を古正阿弥の名で言いならわしている。そもそも京都には同朋衆として阿弥衆が存在し、その中に正阿弥一派があった。有名の作はないものの、刀装金具師から鐔工となったというのが今日の通説である。桃山時代には京都に栄え、慶長八年の年紀を有する彦十郎の太刀鐔・大切羽一組はその隆盛の一端を伝えている。同派は江戸期に入ると各地に移住分派し栄えた。秋田正阿弥もその一類で、伝兵衛重吉を事実上の祖としている。傳兵衛は慶安四年に出羽国庄内に生まれ、寛文八年十八歳の時に江戸へ出て正阿弥吉長の弟子となり、延宝元年に秋田へ移り、同三年に藩主佐竹義処の抱え工となり、同四年に正阿弥の流名を許された。以後嫡流は伝内重高、伝七重常、嘉吉重央と続いている。また岡山正阿弥は池田藩に仕え、幕末には藤四郎家九代を継いだ勝義が出た。 古正阿弥と呼ばれるものの作風を見ると、鉄に透彫をして、それに金・銀などの布目象嵌を施したものが通例である。鍛えの良いやや薄手の鉄磨地に左右大透など大胆な地透を切り、日足鑢に赤銅象嵌を加え、耳に縄目文の銀象嵌や雷文繫の金布目象嵌を施すなど、斬新で力強い意匠に見どころがある。一方、赤銅魚子地に高彫・金色絵で家紋を散らす糸巻太刀拵の総金具など格式の高い太刀金具も手掛けており、長右衛門の針書銘や秋田の六弥の年紀銘を有する作が知られる。秋田正阿弥随一の金工傳兵衛の作域は広く、秋田名物の蕗図や雲龍図を肉彫地透象嵌で表したものや、漆芸の堆朱のような効果を発揮したぐり彫などをはじめ多岐に亘っているが、いずれも構図が斬新であり、線象嵌や布目象嵌など高度な象嵌技術には目を見張るものがある。平地に施された金七宝象嵌は平田本家における七宝手法と全く同一のものであり、両家の交流の証として貴重である。岡山の勝義は堂々とした造込みに堅実な鏨使いで重厚感のある高彫を施し、金・銀・赤銅・素銅・四分一の入念精緻な象嵌を存分に用いており、実兄勝実を通じて後藤一乗の作風も学んでいる。 古正阿弥の鐔は、肥後細川家や大徳川家に伝来した打刀拵、信長拵を手本に制作された肥後打刀拵、宮本武蔵の高弟寺尾信行の指料と伝える拵などに用いられており、武家の実用と雅味の双方に応えた同派への評価を物語っている。慶長八年や天明二年などの年紀作は資料性が極めて高く、正阿弥研究の進展に大きく寄与するものである。秋田では傳兵衛が秋田随一の金工として活躍し、三代傳七も初・二代同様に藩主佐竹家の藩工として腕を振るい、江戸の佐野直照に学んだ重照ら門流も確かな構図・彫技を示した。幕末明治の勝義は明治九年に廃刀令にあって刀装具の制作を断ったが、持国天図鐔や七十三翁銘の難波潟歌絵図鐔など、風流のなかにも覇気を感じさせる傑作を遺している。先祖正阿弥から受け継いだ伝統に用即美の華を添えたその系譜は、室町の京に発して諸国に広がり、近世金工の掉尾を飾るまで連綿と続いた一大流派として、刀装具史に確固たる位置を占めている。 詳しく見る →
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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