江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
日本刀 脇差:藤原高田(日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書付) 【解説】 概要 本作は江戸時代初期の「高田」派の作と極められた一振りです。 高田派は南北朝時代(1334-1338年頃)、豊後国高田(現在の大分県)にて高田友行によって創始されました。友行は備前国(現在の岡山県)へ赴き、備前伝の作刀技術を習得した後、郷里に戻り門弟を育成しました。これが高田派の始まりとされています。 江戸時代以前に高田で打たれたものは「平高田」、江戸時代以降のものは「藤原高田」と呼称されます。本作はNBTHK(日本美術刀剣保存協会)の鑑定により、藤原高田と分類されています。 戦国時代、高田派は九州の諸大名のために数多くの刀を鍛造しました。その評価は、二大産地である美濃や備前に比肩するほどであったと伝えられています。この高度な作刀技術は、江戸時代の後継者たちにも脈々と受け継がれました。 古来より九州地方はアジア諸国との交易の要所として栄え、その利権を巡り諸大名が割拠していました。戦乱の中、高田派は増大する需要に応え、多くの注文を受けたことで発展を遂げました。 また、高田近郊の祖母傾山系は、良質な砂鉄や木炭といった作刀に欠かせない資源が豊富でした。こうした地理的条件と豊かな資源が、高田派の繁栄を支えたと考えられます。 本作は日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「保存刀剣」に認定されています。この鑑定書は、保存状態が良く、美術品としての価値が認められた真正の日本刀にのみ与えられるものです。 ※刀身には数箇所、鍛え傷(きたえきず)が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):53.3 cm 反り(Sori):0.5 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地肌(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる持ち手にあたる部分。 日本の刀工は、柄内部での赤錆を防ぐために茎に「黒錆」を残しました。この茎の経年変化(錆色)は、専門家が製作年代を推定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):外装一式。鞘、柄、鍔などの諸工作で構成されます。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端に取り付けられる一対の金具。 柄(Tsuka):刀を握るための持ち手部分。 鍔・鎺(Tsuba / Habaki):鍔は拳を守るための護拳、鎺は刀身を鞘内に固定し、刀身が鞘の内側に触れて錆びたり欠けたりするのを防ぐ金具です。 本作の鍔は「波濤図(はとうず)」をモチーフとしています。荒波を描いたこの伝統的な文様は、自然のダイナミックな力強さとともに、困難を乗り越える不屈の精神や強靭さを象徴しています。水の動きは武士の不退転の決意の比喩とされ、刀装具の意匠として好まれました。 鞘(Saya):刀身を収める筒。 本鞘は黒漆塗りで仕上げられています。漆は防水性に優れているため、古来よりアジアで重用されてきました。鉄を主成分とする日本刀にとって湿気は最大の敵であり、携行・保管において漆塗りの鞘は極めて重要な役割を果たします。
Certificate reading — 無銘(藤原高田)























備前伝 · 豊後
現在40点販売中
豊後国の高田派は、同国高田荘の地名を負う一門で、鎌倉初期に定秀・行平らの名工を出した九州刀の伝統が一時跡絶えた後、南北朝時代に友行が同地に現れて再興した鍛冶集団である。説示は友行をもって高田鍛冶の祖とし、現存する年紀作に貞治・正平の年号を伝える点を挙げる。友行のほか、その子あるいは門人と伝える時行が著名で、別系と思われる行政には建徳二年紀の短刀がある。南北朝期の作には「藤原」を冠し、室町期以降は「平」を銘じて「盛」「守」「鎮」「統」などを通字とし、これらを総じて平高田と汎称する。さらに末期に至って再び「藤原」を冠するようになり、江戸期以降もこれを踏襲して藤原高田と呼び習わされ区分される。この間に長盛・竪守・鎮教・鎮清・鎮正らを輩出し、鎮正の門からは伊予宇和島に移った国房が出て新刀期へと繋がるなど、室町後期から江戸期に及ぶ長い系譜を形づくった。 作風は説示の記すところ多彩で、一様には括れない。鍛えは板目に杢を交え、総じて肌立ちごころとなり、柾に流れる態を見せて、地沸つき地景入り、白気映りや乱れ映りが立つものが多い。刃文は直刃を基調とするものから、小互の目や角ばる互の目を交えて乱れるもの、腰の開いた複式風で末備前を彷彿とさせるもの、さらに皆焼に及ぶものまで幅がある。祖の友行は同時代の左文字一類に近似するが、刃中に角ばる互の目が間遠に連れ、地に白けが強く地斑を交える点が見どころとされる。室町期の作の多くに共通する要所として、刃中に針の先で突いたような固い葉が入ることが従来指摘されており、系統と時代の判別に資する。姿形は室町中期頃までは反りが深くついて反らせたものが多く、末期は身幅広めで反りが幾分浅く、中鋒が延びて時代を映した頑健な造込みとなる。行政の作のように、鍛えが大きく流れて古典色が濃く、櫃中に行平を踏襲した倶利迦羅の浮彫を施す例もみられる。 伝承の上では、高田物は実用刀として広く行き渡った一方、斯界の評価は決して高くないとされてきた。説示はその傾向を踏まえつつ、地刃に破綻なく締まりごころとなり、来国行を参考にしたとも言えるほどの出来を示す鎮教や、地鉄精良で匂口冴える鎮清の作をもって面目を挽回する出色の一口と評し、平高田中で最も技倆に優れ直刃を得意とした長盛を一派の代表として挙げる。伝来を備える品も少なくなく、行政の短刀は庄内酒井家に伝わって本阿弥光忠の折紙を添え、鎮教には黒田家の重宝となり享保名物追記に載る権藤鎮教の長刀があり、長盛の脇指には島津継豊から本田親章へ拝領された切付銘を持つものがある。中世豊後刀工の作域を今に伝える資料として、また実用に堪える堅牢さと九州古典派の余韻を併せ持つ一門として位置づけられる。 詳しく見る →
江戸時代
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 脇差:藤原高田(日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書付) 【解説】 概要 本作は江戸時代初期の「高田」派の作と極められた一振りです。 高田派は南北朝時代(1334-1338年頃)、豊後国高田(現在の大分県)にて高田友行によって創始されました。友行は備前国(現在の岡山県)へ赴き、備前伝の作刀技術を習得した後、郷里に戻り門弟を育成しました。これが高田派の始まりとされています。 江戸時代以前に高田で打たれたものは「平高田」、江戸時代以降のものは「藤原高田」と呼称されます。本作はNBTHK(日本美術刀剣保存協会)の鑑定により、藤原高田と分類されています。 戦国時代、高田派は九州の諸大名のために数多くの刀を鍛造しました。その評価は、二大産地である美濃や備前に比肩するほどであったと伝えられています。この高度な作刀技術は、江戸時代の後継者たちにも脈々と受け継がれました。 古来より九州地方はアジア諸国との交易の要所として栄え、その利権を巡り諸大名が割拠していました。戦乱の中、高田派は増大する需要に応え、多くの注文を受けたことで発展を遂げました。 また、高田近郊の祖母傾山系は、良質な砂鉄や木炭といった作刀に欠かせない資源が豊富でした。こうした地理的条件と豊かな資源が、高田派の繁栄を支えたと考えられます。 本作は日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「保存刀剣」に認定されています。この鑑定書は、保存状態が良く、美術品としての価値が認められた真正の日本刀にのみ与えられるものです。 ※刀身には数箇所、鍛え傷(きたえきず)が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):53.3 cm 反り(Sori):0.5 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地肌(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる持ち手にあたる部分。 日本の刀工は、柄内部での赤錆を防ぐために茎に「黒錆」を残しました。この茎の経年変化(錆色)は、専門家が製作年代を推定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):外装一式。鞘、柄、鍔などの諸工作で構成されます。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端に取り付けられる一対の金具。 柄(Tsuka):刀を握るための持ち手部分。 鍔・鎺(Tsuba / Habaki):鍔は拳を守るための護拳、鎺は刀身を鞘内に固定し、刀身が鞘の内側に触れて錆びたり欠けたりするのを防ぐ金具です。 本作の鍔は「波濤図(はとうず)」をモチーフとしています。荒波を描いたこの伝統的な文様は、自然のダイナミックな力強さとともに、困難を乗り越える不屈の精神や強靭さを象徴しています。水の動きは武士の不退転の決意の比喩とされ、刀装具の意匠として好まれました。 鞘(Saya):刀身を収める筒。 本鞘は黒漆塗りで仕上げられています。漆は防水性に優れているため、古来よりアジアで重用されてきました。鉄を主成分とする日本刀にとって湿気は最大の敵であり、携行・保管において漆塗りの鞘は極めて重要な役割を果たします。
Certificate reading — 無銘(藤原高田)























備前伝 · 豊後
現在40点販売中
豊後国の高田派は、同国高田荘の地名を負う一門で、鎌倉初期に定秀・行平らの名工を出した九州刀の伝統が一時跡絶えた後、南北朝時代に友行が同地に現れて再興した鍛冶集団である。説示は友行をもって高田鍛冶の祖とし、現存する年紀作に貞治・正平の年号を伝える点を挙げる。友行のほか、その子あるいは門人と伝える時行が著名で、別系と思われる行政には建徳二年紀の短刀がある。南北朝期の作には「藤原」を冠し、室町期以降は「平」を銘じて「盛」「守」「鎮」「統」などを通字とし、これらを総じて平高田と汎称する。さらに末期に至って再び「藤原」を冠するようになり、江戸期以降もこれを踏襲して藤原高田と呼び習わされ区分される。この間に長盛・竪守・鎮教・鎮清・鎮正らを輩出し、鎮正の門からは伊予宇和島に移った国房が出て新刀期へと繋がるなど、室町後期から江戸期に及ぶ長い系譜を形づくった。 作風は説示の記すところ多彩で、一様には括れない。鍛えは板目に杢を交え、総じて肌立ちごころとなり、柾に流れる態を見せて、地沸つき地景入り、白気映りや乱れ映りが立つものが多い。刃文は直刃を基調とするものから、小互の目や角ばる互の目を交えて乱れるもの、腰の開いた複式風で末備前を彷彿とさせるもの、さらに皆焼に及ぶものまで幅がある。祖の友行は同時代の左文字一類に近似するが、刃中に角ばる互の目が間遠に連れ、地に白けが強く地斑を交える点が見どころとされる。室町期の作の多くに共通する要所として、刃中に針の先で突いたような固い葉が入ることが従来指摘されており、系統と時代の判別に資する。姿形は室町中期頃までは反りが深くついて反らせたものが多く、末期は身幅広めで反りが幾分浅く、中鋒が延びて時代を映した頑健な造込みとなる。行政の作のように、鍛えが大きく流れて古典色が濃く、櫃中に行平を踏襲した倶利迦羅の浮彫を施す例もみられる。 伝承の上では、高田物は実用刀として広く行き渡った一方、斯界の評価は決して高くないとされてきた。説示はその傾向を踏まえつつ、地刃に破綻なく締まりごころとなり、来国行を参考にしたとも言えるほどの出来を示す鎮教や、地鉄精良で匂口冴える鎮清の作をもって面目を挽回する出色の一口と評し、平高田中で最も技倆に優れ直刃を得意とした長盛を一派の代表として挙げる。伝来を備える品も少なくなく、行政の短刀は庄内酒井家に伝わって本阿弥光忠の折紙を添え、鎮教には黒田家の重宝となり享保名物追記に載る権藤鎮教の長刀があり、長盛の脇指には島津継豊から本田親章へ拝領された切付銘を持つものがある。中世豊後刀工の作域を今に伝える資料として、また実用に堪える堅牢さと九州古典派の余韻を併せ持つ一門として位置づけられる。 詳しく見る →
江戸時代
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.