江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
日本刀 刀 沢原重胤(鑑定:日本美術刀剣保存協会 保存刀剣) 【解説】 本作は、江戸時代後期、文化年間(1804-1818年)に活躍した沢原重胤(さわはらしげたね)の作と極められた一振りです。重胤は奥州白河藩(現在の福島県)の藩士であり、武蔵国(現在の東京都)に居住しました。藩命により、江戸新々刀期の巨匠である大慶直胤(たいけいなおたね)の門に学び、その卓越した技量から直胤門下の中でも特に優れた高弟の一人と目されています。師の洗練された作風を忠実に継承し、格調高く、かつ精緻な技量を示す名品を遺しました。銘に師と同じ「胤」の字を冠していることからも、その実力が師に高く認められていたことが伺えます。 師:大慶直胤について 直胤は安永7年(1778年)、出羽国(現在の山形県)の鎌鍛冶の家に生まれました。若くして刀工を志し、寛政年間(1789-1801年)に江戸へ上り、当時随一の名工であった水心子正秀の門を叩きます。出羽国山形藩主・秋元家の屋敷にて正秀より伝授を受け、その才能を開花させました。 享和元年(1801年)頃に独立し、文化9年(1812年)には正秀の推挙により秋元家の抱え工となります。文政5年(1822年)に筑前大掾を受領、さらに嘉永元年(1848年)には京都にて五摂家の一つである鷹司家のために太刀を打ち、美濃介に転じました。その名声が高まるにつれ、諸国の有力大名や高位の武士から作刀を依頼され、晩年には全国各地で鍛刀を行いました。 直胤は幕末の刀剣史上、極めて重要な役割を果たしたことで高く評価されています。彼は「五箇伝(備前・美濃・相州・山城・大和)」のすべてを修得したと言われ、特に備前伝と相州伝においてその真価を発揮しました。 師である水心子正秀が提唱した「刀剣復古論」を継承し、古名刀の再現に心血を注ぎました。また、次郎太郎直勝(1805-1858年)をはじめとする多くの名工を育成し、安政4年(1857年)に79歳で没しました。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」に鑑定されています。これは、美術品としての価値が高く、保存状態が良好な真作の日本刀であることを証明するものです。 ※刀身の上部に僅かな欠け(チップ)が見受けられます。詳細な状態につきましては、お気軽にお問い合わせください。 ※一般的な刀と比較して身幅がやや細身の造りとなっております。詳細な寸法についても、お気軽にお尋ねください。 【刀身諸元】 長さ(Nagasa):60.7 cm 反り(Sori):1.2 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地鉄(Jihada):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本刀の茎には、赤錆を防ぐために意図的に黒錆を残しています。この経年による錆色は、刀の真贋や年代を判断する上で極めて重要な見どころとなります。






















Iwashiro · 1830-1844頃
藤代 中上作 · 刀剣大鑑 上位87%
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江戸時代
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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