二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
骨董日本刀 短刀 銘 藤原正信(文久三年) 日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)の鑑定により、幕末の文久三年(1863年)、伊予国(現在の愛媛県)にて藤原正信によって打たれたと認められた一振りです。正信は「予州吉田住藤原正信」とも銘を切り、伊予国吉田の地に居住して作刀に励みました。 正信は、当時この地を治めていた伊予吉田藩のお抱え工であったと考えられています。伊予吉田藩は、伊予国宇和郡を治めた宇和島藩の支藩です。宇和島藩初代藩主・伊達秀宗の没後、その五男である宗純が三万石を分知され、明暦三年(1657年)に立藩しました。 文久年間は幕末の動乱期ではありましたが、地方においては依然として伝統的な作刀技術が継承されていました。本作は伊予における地方鍛冶の技量を示す貴重な資料であり、地元の武家によって代々大切に受け継がれてきたものと推察されます。 【時代背景】 本作が松山にて鍛錬された文久三年(1863年)八月は、徳川幕府の終焉に向かう激動の幕末期でした。奇しくも同年同月、京都では「八月十八日の政変」が起こり、会津・薩摩両藩が長州藩を中心とする尊王攘夷派を追放、新選組もこの政変において警備にあたっています。 また同年には薩英戦争も勃発しており、対外的な緊張が武力衝突へと発展した時期でもありました。瀬戸内海に面した伊予松山藩は、黒船来航以降、沿岸警備の強化を余儀なくされていました。元治元年(1864年)には第一次長州征伐に加わり、その二年後には屋代島(周防大島)にて長州軍と交戦しています。本作は、郷土が戦火に巻き込まれる直前の緊迫した情勢下で打たれた刀なのです。 火器が戦の主役となりつつあった時代にあっても、日本刀は武士の魂であり、その誇りと象徴として帯び続けられました。今日まで当時の姿を留めるこの刀は、日本史の転換期を生きた武士たちの世界を今に伝える貴重な遺産といえるでしょう。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「保存刀剣」の鑑定を受けております。これは、正真であることはもちろん、保存状態が良く、美術的価値が高いと認められた刀剣にのみ与えられる証です。 ※刀身に微細な鍛え傷がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):25.8 cm 反り(Sori):0.2 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地肌(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本の刀工は、赤錆を防ぐために茎に黒錆を残します。この錆色は年月を経て形成されるもので、専門家が制作年代を推定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた外装一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し、装飾する一対の金具。 赤銅地に一筋の曲線が彫り込まれており、
取扱店 サムライミュージアム



























薩摩 · 1860-1868頃
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江戸時代
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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