正平十三年(一三五八)紀の脇指は、裏に「九月日」、表に注文者銘「主長政」を切り、吉貞の生涯を測る基準作である。説明書はこれにより本工が大左の直門であることを首肯し、活躍年代を十四世紀半ばに定める。吉貞は筑前左文字(左一類)の刀工で、南北朝期に安吉・行弘・吉弘・国弘・弘安らと並んで一派の作風を担った左一類の一人である。「大左の子と伝え」、あるいは少なくともその近き一門に属するとされ、銘は「吉貞」「吉貞作」と切り、「筑州住」と添えたものは経眼しない。
その手はまず、説明書が本工に許す唯一の個性を通して読まれる。左一類の刀工は個々の特色が比較的少ないとした上で、説明書は吉貞を「左一類の中でも刃文が小模様となる点に吉貞の作風上の個性が窺え」と挙げる。この小模様の乱れが作の一貫した筋である。在銘作には二様が引かれる。一つは直刃を基調に浅くのたれた穏やかな手、一つは同派安吉に通じつつ「安吉に似てそれよりも少しく小ずむ」互の目の手である。いずれも沸よくつき、細かに金筋・砂流しがかかり、その働きは高い房ではなく小足・葉に托され、帽子は突き上げ風に先尖りごころに返る。
地鉄は左一類が共有する相州由来の鍛えで、二様いずれの下にも変わらぬところである。杢・流れ肌を交えてやや肌立つ板目に、地沸厚く地景よく入り、地鉄は時に黒みがかり、作によって白気風の映りが地に立つ。その地に対して刃文は総じて小模様にとどまる。穏やかな作が緩やかなのたれを匂深く明るく焼くのに対し、より働く作は互の目を説明書のいう小模様に纏め、処々に荒めの沸を交え、物打辺には沸筋や湯走り状の飛焼を交えて変化のある景色を見せる。
記録の二つの面は相並ぶ。在銘作は脇指・短刀を主とし、水戸徳川家伝来の特別重要短刀は平造で身幅広く、地刃ともに沸つよく匂口明るく冴え、説明書はこれを「同工の出色の出来」とする。正平十三年紀の脇指は注文者銘を負い、物部吉貞の太刀は腰元の焼を高く取って明るく華やかな乱れとなり、同じ手がどこまで開き得たかを示す。もう一つの面は、吉貞と極められた大磨上無銘の刀で、身幅広く豪壮、延びごころの中鋒あるいは大切先となり、肌立つ板目の上に小沸出来の互の目乱れに多少の丁子ごころを交え、表裏に棒樋を掻き流す。説明書は無銘極めのものにも刃文が小模様となる傾向があるとし、本工の作の本体は在銘の極め手によるよりもこの小模様の乱れを通して読まれる。うち一口は本阿弥光徳による吉貞極めの金象嵌銘を有する。
左一類の中で吉貞を分かつのは、まさにこの小模様の刃である。安吉の互の目がより太く立つのに対し、吉貞のそれは小さく締まって描かれ、一派全体が個々の特色少なしと読まれる中で、その締まった乱れと明るい匂口、突き上げて尖る帽子が作ごとに本工自身のものとして繰り返される。彼は大左の後に左一類を支えた世代に属し、祖の輝きでも末流の衰えでもなく、その個性を華やかさではなく刃の小ささに見いだされる、健全で見分けの利く一手である。
収集の観点では、記録の確かな、しかし数少ない南北朝の名である。藤代の極めは上々作。国宝・重要文化財はなく、その記録は特別重要刀剣四口・重要刀剣四十三口を通じ、大磨上無銘の刀二口が戦前の重要美術品に指定され、うち一口は本阿弥光徳の金象嵌銘を有して現在は静嘉堂文庫が蔵する。作は来歴も確かで、水戸徳川家(徳川家康・頼房に遡る作を含む)、毛利家、備前池田家、島津家・佐竹家に伝わり、京都国立博物館寄託や静嘉堂文庫の蔵するところがある。在銘作はまことに少なく、「太刀の作例は稀有」であり、現存の多くは伝来して市場に出るものではないが、重要刀剣級の無銘極めや、稀に在銘の脇指・短刀が時に世に現れることがあり、私蔵の吉貞は収集家にとって、左文字の後を継いだ手がいかに読まれたかを語る得難い一口である。