横谷宗与は横谷宗寿の次男で、元禄十三年に江戸に生まれ、実兄に英精がいる。請われて宗珉の養子となり、享保十八年、宗珉没後、三十四歳で家業を継いで名門横谷の家名を守り、晩年は照渓と号した。説明書は彼を、父の作風を伝承して高彫・片切彫ともに上手であり、「町彫と称される多くの金工が輩出した中で、やはり群を抜いた存在であった」とする。
説明書によれば、「宗與の作域は四分一磨地に片切彫工法のものが多い」。宗珉の創始した片切彫である。朧銀磨地の竹虎図鐔は宗与得意の造込みと彫法で、説明書は大胆で力強い片切彫に繊細な毛彫を配した鏨使いを称える。赤銅磨地の牡丹に獅子図鐔では、広狭の鏨を使い分け、力強い片切彫と繊細な毛彫を併せ、耳の紗綾文の金平象嵌が単調な画面に色取りを添えるとする。脇指拵は金具のすべてを宗与の手とし、福神の画題で統一し、鐔・縁頭・小柄を四分一磨地の片切彫とする。
もう一方は赤銅魚子地に高彫象嵌色絵の作である。説明書はこの種の作を「僅少ながら現存している」とし、その中に「横谷宗珉の後継者としての力量と品格を備えた見事な出来映え」のものを多く見るとする。宗珉よりはじまる同派得意の横谷獅子は、獅子図二所物にあらわれる。瑞雲に麒麟図小柄は大きな麒麟が天に駆け上る姿を表し、大森彦七図小柄と福禄寿図小柄はいずれも宗与の真骨頂の一作とされ、人物の眼や手は今にも動き出すかのようである。馬図鐔は師宗珉の馬図を忠実に継承し、八駿馬図鐔は目に金を施すのみの赤銅一色で写生力を示し、その耳は後に夏雄が補っている。
最も充実した作は牡丹獅子図揃金具(鐔・縁頭・目貫)で、昭和三十五年に重要、昭和五十三年に特別重要に指定された。両説明書ともその稀少を強調し、高彫の鐔は「宗与の作としては極めて稀」であり、大形でよく揃うことからおそらく彼の傑作であろうとする。別の一組は制作の記録を伴う。麒麟図の小柄と目貫には宗与自身の折紙が添い、宝暦十三年の作で、目貫がまず十月に、小柄が十二月に完成したことがわかる。
銘は宗与(花押)と楷書で力強く切り、目貫には短冊銘とする。説明書は終始彼を宗珉を通して読む。獅子・馬・片切彫はいずれも父から受け継いだものであるが、這龍図小柄では家彫の伝統の彫技に「町彫の斬新さを加味して独自性を強調している」とする。
指定を受けた作は十三点で、特別重要刀装具一点、重要刀装具十二点である。瑞雲に麒麟図小柄の一本は陸奥国津軽家に伝来した。片切彫の作はやや多いが、高彫の宗与の揃金具が世に出ることは稀である。