横谷宗寿は、初代宗珉の門人として取り沙汰されてきたが、近年では初代宗予の門人として認識されている。慶安四年(一六五一)に生を受け、享保十九年(一七三四)に八十四歳で没した。横谷派は、初代宗珉を祖とし、武士の嗜好に迎合した高彫を得意とした。宗寿は、魚子地を高彫で埋め尽くす作風を特徴とし、その高度な技量は門人の中でも傑出していたと見られる。同時代には、同じく高彫を得意とした奈良派や、写実的な表現を追求した柳川派などが活躍しており、宗寿はこれらの流派とは一線を画し、横谷派独自の作風を確立した。
宗寿の作風は、赤銅魚子地を高彫で埋め尽くし、金、銀、赤銅、四分一素銅などの色金を据紋象嵌で効果的に用いる点に特徴がある。特に竹林図を得意とし、竹が涼やかな風になびく様を、漆黒の赤銅地に見事に描き出した。説示では、「竹が涼やかな風になびき、独特の清涼な音があたかも聞こえてきそうな宗寿の美意識が横溢した一作」と評されている。また、鉄地に表現した松の肉取りの巧みさや、各種の色金を用いた象嵌技法が「空気全体に締まりをもたせて格調高く纏まっている」と評されるように、卓越した彫技と洗練された意匠が宗寿の作風を特徴づけている。
宗寿の作は、「横谷宗寿渾身の一作」と評されるように、高度な技術と豊かな表現力によって、江戸彫金の一つの頂点を築いた。特に、大小拵の総金具を手掛けた作品は、その意匠の統一性と完成度の高さから貴重なものとされ、米沢藩主上杉家に伝来した「家督世襲大小拵」は、その代表的な作例として知られている。宗寿の作は、横谷派の伝統を受け継ぎながらも、独自の美意識を追求したものであり、後世の刀装金工に大きな影響を与えた。