備中青江の助次は、説明によれば鎌倉初期から末期にわたって三工がある名跡で、本記録の作は主に鎌倉末期正和頃の中青江助次に属する。光山押形所載の「備中国子位東庄青江助次作」「正和元年六月日」銘の太刀が時代を定め、説明は「正和元年紀は青江作刀中最古である」とする。助次は古青江俊次の子と伝え、名跡は鎌倉末期に及ぶ。
地鉄は青江の地鉄である。やや肌立ち処々流れる板目に地沸つき、処々大肌交じり、一派の澄肌に地斑を交え、ある太刀には地斑映りが立つ。説明は正和紀の一口を「この頃の青江派の特色をよくあらわしている」とし、別の一口を「この時代の青江派の一典型を示し」とする。
刃文は中直刃あるいは直刃調に浅くのたれ、小足入り時に青江らしく逆がかり、匂口締まって小沸つく。身幅広い正和紀の一口は小互の目・小のたれ・小丁子を交えて足・葉入り、刃中よく沸づいて変化に富む。帽子は直ぐに小丸。
銘はそれ自体が資料である。説明は、鎌倉時代の青江は多く佩裏に二字銘を切るが、鎌倉末期以後の長銘は佩表に切るものが多いとし、ある太刀は太鏨に大振りの銘で「年」を「季」と切る。正和紀の「備中国青江住助次」銘の長寸の太刀について、佩裏の茎中央に大振りに切る銘文の手法は「古青江以来の伝統とするところであり」、「総体に古雅な趣を残す出来ばえ」を示すとする。
名跡の縁に二口がある。「備中国妹尾住刑部尉」と銘し文保二年紀に棟に生年七十一を切る短刀は、妹尾鍛冶が青江鍛冶と並んであったことを示し、説明は「研究上貴重なものである」とし、作風は「時代的に隣国の景光などと一脈通ずるところがある」とする。身幅広く帽子延びる大磨上の脇指は南北朝にかかる時代の作で、「末青江の作風をよく示している」とする。
指定作は七口で、特別重要刀剣の太刀一口、重要刀剣五口、前田家伝来で前田利為旧蔵の重要美術品の刀一口である。正和紀の長銘の青江の太刀は少なく、この手の一口が市場に出ることは稀であり、出ればその銘は地鉄と同じだけの興味を担う。