1876年の廃刀令は帯刀を終わらせ、工芸そのものを死の淵に追った。軍の需要と皇室の庇護が命脈を保ち、1906年には月山貞一と宮本包則が帝室技芸員に任じられている。
本作倫賀(ともよし)は幕末から明治初年に陸奥国津軽の弘前で活躍した刀工。「弘前住紀倫賀」などと銘を切り、弘前市の資料では板目が詰み、互の目を焼く作風が知られる。高照神社には倫賀作の刀が二振伝来し、ともに弘前市指定有形文化財となっている。その一振には「明治三年二月日」の年紀がある。また高岡の森弘前藩歴史館にも明治三年紀の「弘前住紀倫賀」銘短刀が所蔵されている。津軽では江戸後期に、高橋吉次郎こと紀正賀が弘前藩主津軽寧親の命を受けて修業し、後に江戸へ出て水心子正秀門に学び、外ヶ浜砂鉄を用いた作刀を残している。倫賀も同じ弘前で「紀」姓を名乗り、「賀」字を用いる刀工名であることから、こうした津軽新々刀の流れとの関連が想起されるが、正賀との具体的な師弟・血縁関係については詳らかでない。本作は「弘前住紀倫賀・明治二年八月日」と銘する短刀。明治二年(1869)は戊辰戦争が終結し、旧来の藩体制が大きく変貌していく明治維新直後にあたる。翌明治三年には倫賀の短刀が弘前市に現存しており、本作もまさにその時期に弘前で鍛えられた短刀。江戸から明治へと時代が大きく移り変わる中で槌を振るった津軽刀工・紀倫賀の貴重な年紀作であり、津軽郷土刀としても興味深く丹念に造られた一振。令和8年3月審査で特別保存刀剣合格。
















明治 廃刀令ののち
1876年の廃刀令は帯刀を終わらせ、工芸そのものを死の淵に追った。軍の需要と皇室の庇護が命脈を保ち、1906年には月山貞一と宮本包則が帝室技芸員に任じられている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後7日以内※①商品に手を加えた場合、②海外取引の場合は返品不可となります。
¥350,000
本作倫賀(ともよし)は幕末から明治初年に陸奥国津軽の弘前で活躍した刀工。「弘前住紀倫賀」などと銘を切り、弘前市の資料では板目が詰み、互の目を焼く作風が知られる。高照神社には倫賀作の刀が二振伝来し、ともに弘前市指定有形文化財となっている。その一振には「明治三年二月日」の年紀がある。また高岡の森弘前藩歴史館にも明治三年紀の「弘前住紀倫賀」銘短刀が所蔵されている。津軽では江戸後期に、高橋吉次郎こと紀正賀が弘前藩主津軽寧親の命を受けて修業し、後に江戸へ出て水心子正秀門に学び、外ヶ浜砂鉄を用いた作刀を残している。倫賀も同じ弘前で「紀」姓を名乗り、「賀」字を用いる刀工名であることから、こうした津軽新々刀の流れとの関連が想起されるが、正賀との具体的な師弟・血縁関係については詳らかでない。本作は「弘前住紀倫賀・明治二年八月日」と銘する短刀。明治二年(1869)は戊辰戦争が終結し、旧来の藩体制が大きく変貌していく明治維新直後にあたる。翌明治三年には倫賀の短刀が弘前市に現存しており、本作もまさにその時期に弘前で鍛えられた短刀。江戸から明治へと時代が大きく移り変わる中で槌を振るった津軽刀工・紀倫賀の貴重な年紀作であり、津軽郷土刀としても興味深く丹念に造られた一振。令和8年3月審査で特別保存刀剣合格。
















明治 廃刀令ののち
1876年の廃刀令は帯刀を終わらせ、工芸そのものを死の淵に追った。軍の需要と皇室の庇護が命脈を保ち、1906年には月山貞一と宮本包則が帝室技芸員に任じられている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後7日以内※①商品に手を加えた場合、②海外取引の場合は返品不可となります。
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