説明

時代 : 室町中期~末期 国 : 若狭国 証書 : 財団法人日本美術刀剣保存協会 保存刀剣 鑑定書 外装 : 白鞘入 刃長 : 7寸2分半 反り : - 目釘穴 : 2個 元幅・元重 : 20.3mm・6.2mm Period : Mid~Late Muromachi Country : Wakasa Paper : NBTHK Hozon Paper Fittings : Shirasaya Length : 22.0cm Curve : 0.0cm Hole : 2 Bottom Width,Thickness : 20.3mm・6.2mm 初代若州冬廣は相州廣次の子で、室町中期に相州より若州小浜に移住したとされています。その後も代々同銘が続きますが、雲州(出雲)、芸州(安芸)、因州(因幡)にも移住作刀し、江戸末期まで繁栄した刀工です。 本作は室町期、天文頃の作ではないかと思われ、平造り、重ね厚い造り込みで、直ぐ調に小沸よく付き、地鉄は所謂綾杉肌で、一見すると月山ではないかと思わせる出来ですが、地鉄黒ずみ、しらけ風の写りがあり、北国系に共通する特徴が見られます。当時月山との何かしらの交流があったのではないかと推察されます。

短刀 冬廣作
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短刀 冬廣作

短刀

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仕様

長さ

22 cm

元幅

2.03 cm

流派について

Wakasa Fuyuhiro School若狭冬広派

若狭冬広は、相州広次三代目の子と伝え、室町時代の康正頃に若州小浜へ移住したとされる一系である。説示によれば、その名跡は新々刀時代にまで続き、五代を数えたとも言われる。年紀のうえでは永正十二年紀に「冬広伍七三才」と銘した作が知られ、ほかに永正・天文・元亀・天正の年紀があって、室町後期から戦国期を通じての制作が確かめられる。源流は相州にあり、後には相州綱広の門に学んだと伝えるものの、相州住と銘した作は見ないとも記される。同じ頃に若州・伯州・雲州・備前・備中などと住所を切り替えた作があり、これらが同人によるものか否かは検討の余地が残るとして、説示はいずれも断を避けている。 作風として説示が繰り返し挙げるのは末相州風と末備前風の二様であり、同一の系のうちにこの両者が併存する点が判別の鍵となる。地鉄は板目に杢目・流れ肌を交え、肌立ちごころとなって地沸がつき、地景が頻りに入る。刃文は焼幅広く、のたれに小互の目・小丁子や尖り刃を交え、足・葉が盛んに入り、荒めの沸を交えて砂流し・金筋がかかり、匂口の明るいものが多い。中には中直刃を基調に互の目・尖り刃を交え、飛焼が頻りに加わって棟焼も総体にかかり、皆焼となる作がある。一方で太直刃調に小互の目を交える穏やかな直刃出来もみられ、直刃と乱れの両様を焼き分ける。帽子は乱れ込んで尖りごころとなり、あるいは小丸に掃きかけて返る。彫物を得意とし、草の倶利迦羅・梵字・棒樋・添樋などを施した作が伝わる。造込みは庵棟の鎬造を主とし、先反りつき大鋒に延びた豪壮なものから、反り浅い中鋒の尋常な姿まで幅がある。代の判別にあたっては、二字銘を初代の作とみるなど、銘のかたちと地刃の冴えとを併せて見るのが説示の示すところである。 鑑定の要点は、肌立つ板目鍛えに地沸・地景の加わる地鉄と、のたれ・互の目に沸を伴って砂流しのかかる刃取り、さらに皆焼を交える作のあることに置かれる。住所銘や年紀を切った作が多く、作刀地を明記した刀工銘や天正八年紀のごとく、資料としての価値の高い在銘作が伝わる点も本系の特色である。代表作には、若州小浜での所伝を裏づける在銘の刀のほか、備後国西条や備中松山など他国で鍛えた作があり、宮興盛のもとで天正五年に作刀した一口など、他国における活動を示す好資料も含まれる。彫物に長じた一面は、相州風よりむしろ平安城長吉などに近いと評され、両者の関係が問われることもある。末相州の流れを受けつつ末備前風をも併せ、若狭の地にあって戦国期から江戸期へと長く続いた一系として位置づけられる。

刀剣商

勝武堂

shoubudou.co.jp

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