新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
特別保存刀剣鑑定書付 和泉守来金道 銘 【説明】 本作は、江戸時代前期(慶安〜延宝頃:1648-1681年)に和泉守来金道によって打たれた一振りです。 金道の名は江戸時代初期から中期にかけて五代にわたり継承されました。日本美術刀剣保存協会(NBTHK)の鑑定によれば、その作風と銘振りから、本作は二代または三代金道の作と極められています。 裏銘には「大法師法橋九十二造之」と刻まれています。 「大法師法橋」は来金道家が用いた栄誉ある僧位であり、特に二代栄泉と三代和泉守来金道の合作に見られる銘として知られています。この称号を冠した作は「大倶利伽羅来金道」とも称され、同派の中でも格別に格式高い銘振りとされています。 特筆すべきは「九十二造之」の記述であり、九十二歳という驚異的な高齢で本作を鍛え上げたことを示しています。これは刀工の類稀なる長命と、衰えることのない技量を証明する貴重な資料といえます。 「和泉守」は金道家が代々継承した受領名であり、その卓越した技術を認められ朝廷より授けられたものです。また、二代および三代金道は、皇室の象徴である「菊紋」を茎に刻むことを許されるという、刀工として最高の名誉を授かっていました。本作にもその菊紋が誇らしげに刻まれており、朝廷からの厚い信頼と至高の技術を物語っています。 初代金道は、美濃の銘工・関兼道の次男として生まれ、和泉守金道または藤原来金道と称しました。父・兼道は戦国時代の名将・武田信玄の抱え鍛冶として知られた名工です。文禄二年(1593年)、兼道は四人の息子(伊賀守金道、和泉守来金道、丹波守吉道、越中守正俊)を連れて京都へ移住し、江戸時代初期を代表する名門「三品派」を確立しました。 初代和泉守来金道は、江戸初期の京都における五人の名工「京都五鍛冶」の一人に数えられ、菊紋を切ることを許されました。また、鎌倉時代より続く京都の名門「来派」の再興を願い、自ら「来」の姓を冠しました。 二代および三代金道もまた、17世紀中頃から後半にかけて京都で活躍し、同様に菊紋の使用を許されました。三代金道は二代と協力して作刀に励むことも多く、現存する合作刀は極めて希少です。 また、三代は江戸初期の名工として名高い近江守久道の兄にあたります。寛文十二年(1672年)には、当時の仏教工芸家に与えられる最高位の一つである「大法師法橋」の位を授かりました。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されています。これは保存状態が極めて良く、かつ美術的価値が高い真作の日本刀にのみ与えられる証です。 ※刀身に数箇所、目立つ黒錆がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【種別】 長さ(Nagasa):75.2 cm 反り(Sori):1.0 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地紋(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様
Certificate reading — 銘 (菊紋)和泉守来金道 大法師法橋九十二造之


























新刀 · 山城 · 1604-1660頃
現在2点販売中
来金道の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 山城
現在71点販売中
三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。 詳しく見る →
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
特別保存刀剣鑑定書付 和泉守来金道 銘 【説明】 本作は、江戸時代前期(慶安〜延宝頃:1648-1681年)に和泉守来金道によって打たれた一振りです。 金道の名は江戸時代初期から中期にかけて五代にわたり継承されました。日本美術刀剣保存協会(NBTHK)の鑑定によれば、その作風と銘振りから、本作は二代または三代金道の作と極められています。 裏銘には「大法師法橋九十二造之」と刻まれています。 「大法師法橋」は来金道家が用いた栄誉ある僧位であり、特に二代栄泉と三代和泉守来金道の合作に見られる銘として知られています。この称号を冠した作は「大倶利伽羅来金道」とも称され、同派の中でも格別に格式高い銘振りとされています。 特筆すべきは「九十二造之」の記述であり、九十二歳という驚異的な高齢で本作を鍛え上げたことを示しています。これは刀工の類稀なる長命と、衰えることのない技量を証明する貴重な資料といえます。 「和泉守」は金道家が代々継承した受領名であり、その卓越した技術を認められ朝廷より授けられたものです。また、二代および三代金道は、皇室の象徴である「菊紋」を茎に刻むことを許されるという、刀工として最高の名誉を授かっていました。本作にもその菊紋が誇らしげに刻まれており、朝廷からの厚い信頼と至高の技術を物語っています。 初代金道は、美濃の銘工・関兼道の次男として生まれ、和泉守金道または藤原来金道と称しました。父・兼道は戦国時代の名将・武田信玄の抱え鍛冶として知られた名工です。文禄二年(1593年)、兼道は四人の息子(伊賀守金道、和泉守来金道、丹波守吉道、越中守正俊)を連れて京都へ移住し、江戸時代初期を代表する名門「三品派」を確立しました。 初代和泉守来金道は、江戸初期の京都における五人の名工「京都五鍛冶」の一人に数えられ、菊紋を切ることを許されました。また、鎌倉時代より続く京都の名門「来派」の再興を願い、自ら「来」の姓を冠しました。 二代および三代金道もまた、17世紀中頃から後半にかけて京都で活躍し、同様に菊紋の使用を許されました。三代金道は二代と協力して作刀に励むことも多く、現存する合作刀は極めて希少です。 また、三代は江戸初期の名工として名高い近江守久道の兄にあたります。寛文十二年(1672年)には、当時の仏教工芸家に与えられる最高位の一つである「大法師法橋」の位を授かりました。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されています。これは保存状態が極めて良く、かつ美術的価値が高い真作の日本刀にのみ与えられる証です。 ※刀身に数箇所、目立つ黒錆がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【種別】 長さ(Nagasa):75.2 cm 反り(Sori):1.0 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地紋(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様
Certificate reading — 銘 (菊紋)和泉守来金道 大法師法橋九十二造之


























新刀 · 山城 · 1604-1660頃
現在2点販売中
来金道の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 山城
現在71点販売中
三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。 詳しく見る →
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.