説明

日本刀 備州長船祐定 永禄十年二月日(日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書付) 【解説】 本作は、室町時代末期の永禄十年(1567年)に打たれた「備州長船祐定」銘の刀です。 「備州」とは現在の岡山県にあたる備前国の別称であり、「長船」はその地で最も繁栄した刀工流派を指します。「祐定」は作者名であり、茎(なかご)の裏にはその制作年が刻まれています。 室町時代末期(戦国時代)は、日本全国で絶え間ない戦乱が続いた時代でした。武士たちは実戦において極めて信頼性の高い武器を求め、それに応えるべく祐定をはじめとする刀工たちは、洗練された機能美を持つ刀剣を数多く制作しました。 この室町末期(1492年〜1569年頃)の備前刀工は、総称して「末備前(すえびぜん)」と呼ばれます。その中でも祐定家は、長船派の伝統を継承する最も著名かつ有力な家系の一つでした。 「祐定」を名乗る刀工は六十名以上にのぼるとされ、その名は備前刀の確かな技術と名声を象徴する、一種のブランドのような地位を確立していました。 本作が打たれたのはまさに戦国動乱の最中であり、当時の武士によって注文され、実際に戦場を駆け抜けた可能性を秘めた一振りです。 備前長船派の歴史 長船派は鎌倉時代中期の光忠を始祖と伝えます。備前国における最大の流派であり、時の有力大名や高名な武士から数多くの注文を受けました。彼らの作品は「長船物」と呼ばれ、古来より多くの武人に愛用されてきました。 同派には、長船三作と称される長光・真長・景光や、長船四天王と称される長光・兼光・長義・元重など、日本刀の歴史に名を刻む名工が輩出しています。 備前国は中国山地に近く、刀剣の主原料である良質な砂鉄が豊富に採れました。さらに吉井川の流域に位置したことで、水や燃料となる薪炭の確保にも事欠きませんでした。こうした地政学的な利点が、高品質な刀剣の量産を可能にしたと考えられています。備前の地では古くから作刀が盛んであり、平安時代末期には「古備前」と呼ばれる刀工集団によって備前伝の基礎が築かれました。長船派はその伝統と技術を継承し、鎌倉中期以降、空前の繁栄を遂げたのです。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「保存刀剣」に鑑定されています。これは、美術品として価値が高く、保存状態の優れた本物の日本刀であることを証明するものです。 ※刀身にはわずかに鍛え傷(きたえきず)が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(刃長):66.5 cm 反り:2.3 cm 刃文(はもん):焼入れによって刃先に現れる、結晶構造による模様。 地鉄(じはだ):折り返し鍛錬によって現れる、鋼の表面模様。 切先(きっさき):刀身の先端部分。 茎(なかご):柄に収まる持ち手部分。 日本の刀工は、茎に生じる「黒錆」をあえて残します。これは赤錆の発生を防ぐ役割を果たすとともに、その錆色や朽ち込み具合は、専門家が制作年代を特定する際の重要な指標となります。 鎺(はばき):刀身が鞘から抜け落ちるのを防ぎ、刀身を鞘の中で固定する金具。

Antique Japanese Sword Katana signed by Osafune Sukesada NBTHK Hozon Certificate

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$4,334

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

66.5 cm

反り

2.3 cm

流派について

Sukesada School祐定派

3 重要刀剣

祐定派は、室町時代後期に備前国長船(現在の岡山県瀬戸内市)の地に栄えた末備前の主流工房である。鎌倉以来の長船鍛冶が太刀の時代を閉じ、太刀に代わって身幅の広い長大な打刀を諸手で用いる時代に入ると、祐定の名はその新しい需要を一手に担う一群の総称となった。説明書がこれを末長船で最も繁栄した一家と記すとおり、祐定を切った工は数十を数え、近世の刀剣書は俗名を冠した者だけでも二十一人を挙げる。その大群のなかで腕においても名においても抜きん出るのが、俗名を負った数工である。最も著名にして上手とされる与三左衛門尉祐定、その父と伝える彦兵衛尉祐定、豪壮の鍛えで知られる源兵衛尉祐定、二様の作風を能くする彦左衛門尉祐定らがそれで、初代与三左衛門尉は天文六年紀の短刀から逆算して応仁元年の生まれと推定され、永正から天文にかけて一派の頂点に立った。これら名工の入念な注文打のかたわら、戦国の旺盛な需要に応える数打物が大量に鍛えられ、一派は名工と量産の二つの層を同時に抱えた。 作風には末備前の工房がわがものとした明らかな共通語法がある。刃文を統べる一つの極は、腰の開いた互の目が複式の乱れに組み上がる腰開きの複式互の目で、これに小互の目丁子・尖り刃を交え、足・葉さかんに入り、匂本位に小沸つき、小さな飛焼を交えて匂口が明るい。いま一つの極は、意図して静かな直刃あるいは広直刃で、これに小互の目を交え、砂流し・金筋がかかる。地鉄はいずれの刃の下でも小板目をよくつめて鍛え、地沸を微塵に敷き、地景を細かに織りなして、鎬寄りに淡く乱れ映りが立つことがあり、鎌倉全盛の明るい映りの名残をわずかに残す。帽子は乱れ込みに小丸となり、あるいは尖りごころに掃きかけて返る。姿は寸延びて身幅広く、重ね厚く先反りつき、両手打に適した茎となるのが時代の徴である。これらの特徴は一派を通じて繰り返されるが、名工と数打を分かつのは作域の広さと地刃の冴えである。与三左衛門尉は複式互の目に加えて沸深い皆焼と穏やかな直刃の双方を能くし、源兵衛尉は鍛錬の定評と広直刃に、彦兵衛尉は直刃を地としつつ備前本来の賑やかな乱れに、彦左衛門尉は華やかな乱れと静かな直刃の二様に、それぞれの手を見せる。これに対し数打物は作風相似て個性に乏しく、地刃の働きも浅い。 鑑定の勘所は、まずこの名工と数打との別を見極めることにある。名工の注文打は地鉄が精良で地刃の沸がよくつき匂口冴え、年紀の傍らに所持者の銘を負うものが多い。源兵衛尉の天文二十三年紀の刀は惟宗忠頼の所持銘を、彦左衛門尉の天正四年の刀は播州の和田出雲守のための「為播州住和田出雲守重代延之也」の銘を負い、説明書はかかる為打・注文打があればこそ末備前の名声が高いと明言する。三工のうちでも与三左衛門尉の格はとりわけ高く、説明書は与三左衛門尉を冠するものが最も有名にして上手と記し、その典型作を末備前を代表する一口と位置づける。切れ味の評にあっても末備前は実用刀として重んじられ、戦国の武器としての需要がこの隆盛を支えた。伝来もまた一派の評価を裏づけ、与三左衛門尉の五十七歳の作は蜂須賀家に伝わり、ほかに毛利家・井伊家、皇室の御物、武将山中鹿介の所持と伝える脇指などが数えられる。幅広く明るく、腰の開いた互の目の冴えて読める在銘年紀の祐定は、長船がその最後の偉大な世代にいかに鍛えたかを語る確かな一証である。

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