説明

特別保存刀剣鑑定書付 銘:備州長船祐定(天正四年八月日) 【解説】 本作は、天正四年(1576年:安土桃山時代)八月に備州長船祐定によって制作された一振りです。「備州」とは現在の岡山県および広島県にまたがる備前・備中・備後の三カ国を指し、長船は備前国に本拠を置いた名門流派です。 室町時代末期(1492年〜1569年頃)に備前国で活躍した刀工群は「末備前」と称されます。中でも祐定一門は長船派の主流として代々隆盛を極めました。この時期、祐定を名乗る刀工は実に60名以上にのぼったと伝えられており、「祐定」の名は当時の武士たちにとって一種のブランドとして絶大な信頼を集めていました。 戦国時代の真っ只中であった室町後期、各地の有力大名による需要の高まりを受け、備前では数多くの刀剣が打たれました。群雄割拠の時代に鍛えられた本作は、その出来映えから、当時の上級武士が注文し、実際に戦場へと携えた可能性を十分に感じさせる逸品です。 備前国は中国山地に近く、原料となる良質な砂鉄が豊富に採れ、さらに吉井川の流域であったことから水や炭の確保にも事欠きませんでした。こうした地勢的優位性が、古来より洗練された高品質な刀剣を生み出す背景となりました。平安時代末期に成立した「備前伝」が、長きにわたり刀剣界の主流であり続けた理由もここにあります。 本作は、長さに対して磨上げの形跡がない「初銘」の状態を保っています。当時の戦い方として流行した片手打ち(片手持ちでの戦闘)を想定して仕立てられたものと推測されます。 また、本作は日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に指定されています。これは保存状態が極めて良く、かつ美術的価値が高い真作であることを証明するものです。 ※刀身には数箇所、鍛え傷( Kitae Kizu)が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):71.8 cm 反り(Sori):2.0 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地鉄(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 刀工が意図的に残した黒錆は、内部の赤錆を防ぐ役割を果たします。経年による茎の変色は、制作年代を特定する上で極めて重要な指標となります。 【外装】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた刀装具一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護する一対の金具。 本作の縁頭には「蝶」の図が施されています。蝶はその成長過程から「再生」や「変化」の象徴とされ、またその優美な姿から、古来より武士の間で吉祥文様として深く愛されてきました。幼虫からさなぎを経て美しく羽ばたく様は、武士の精神性とも重なる意匠といえます。

Antique Japanese Sword Katana Signed by Osafune Sukesada NBTHK Tokubetsu Hozon Certificate
Tokuho

Antique Japanese Sword Katana Signed by Osafune Sukesada NBTHK Tokubetsu Hozon Certificate

$8,417

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仕様

長さ

71.8 cm

反り

2 cm

流派について

Sukesada School祐定派

3 重要刀剣

祐定派は、室町時代後期に備前国長船(現在の岡山県瀬戸内市)の地に栄えた末備前の主流工房である。鎌倉以来の長船鍛冶が太刀の時代を閉じ、太刀に代わって身幅の広い長大な打刀を諸手で用いる時代に入ると、祐定の名はその新しい需要を一手に担う一群の総称となった。説明書がこれを末長船で最も繁栄した一家と記すとおり、祐定を切った工は数十を数え、近世の刀剣書は俗名を冠した者だけでも二十一人を挙げる。その大群のなかで腕においても名においても抜きん出るのが、俗名を負った数工である。最も著名にして上手とされる与三左衛門尉祐定、その父と伝える彦兵衛尉祐定、豪壮の鍛えで知られる源兵衛尉祐定、二様の作風を能くする彦左衛門尉祐定らがそれで、初代与三左衛門尉は天文六年紀の短刀から逆算して応仁元年の生まれと推定され、永正から天文にかけて一派の頂点に立った。これら名工の入念な注文打のかたわら、戦国の旺盛な需要に応える数打物が大量に鍛えられ、一派は名工と量産の二つの層を同時に抱えた。 作風には末備前の工房がわがものとした明らかな共通語法がある。刃文を統べる一つの極は、腰の開いた互の目が複式の乱れに組み上がる腰開きの複式互の目で、これに小互の目丁子・尖り刃を交え、足・葉さかんに入り、匂本位に小沸つき、小さな飛焼を交えて匂口が明るい。いま一つの極は、意図して静かな直刃あるいは広直刃で、これに小互の目を交え、砂流し・金筋がかかる。地鉄はいずれの刃の下でも小板目をよくつめて鍛え、地沸を微塵に敷き、地景を細かに織りなして、鎬寄りに淡く乱れ映りが立つことがあり、鎌倉全盛の明るい映りの名残をわずかに残す。帽子は乱れ込みに小丸となり、あるいは尖りごころに掃きかけて返る。姿は寸延びて身幅広く、重ね厚く先反りつき、両手打に適した茎となるのが時代の徴である。これらの特徴は一派を通じて繰り返されるが、名工と数打を分かつのは作域の広さと地刃の冴えである。与三左衛門尉は複式互の目に加えて沸深い皆焼と穏やかな直刃の双方を能くし、源兵衛尉は鍛錬の定評と広直刃に、彦兵衛尉は直刃を地としつつ備前本来の賑やかな乱れに、彦左衛門尉は華やかな乱れと静かな直刃の二様に、それぞれの手を見せる。これに対し数打物は作風相似て個性に乏しく、地刃の働きも浅い。 鑑定の勘所は、まずこの名工と数打との別を見極めることにある。名工の注文打は地鉄が精良で地刃の沸がよくつき匂口冴え、年紀の傍らに所持者の銘を負うものが多い。源兵衛尉の天文二十三年紀の刀は惟宗忠頼の所持銘を、彦左衛門尉の天正四年の刀は播州の和田出雲守のための「為播州住和田出雲守重代延之也」の銘を負い、説明書はかかる為打・注文打があればこそ末備前の名声が高いと明言する。三工のうちでも与三左衛門尉の格はとりわけ高く、説明書は与三左衛門尉を冠するものが最も有名にして上手と記し、その典型作を末備前を代表する一口と位置づける。切れ味の評にあっても末備前は実用刀として重んじられ、戦国の武器としての需要がこの隆盛を支えた。伝来もまた一派の評価を裏づけ、与三左衛門尉の五十七歳の作は蜂須賀家に伝わり、ほかに毛利家・井伊家、皇室の御物、武将山中鹿介の所持と伝える脇指などが数えられる。幅広く明るく、腰の開いた互の目の冴えて読める在銘年紀の祐定は、長船がその最後の偉大な世代にいかに鍛えたかを語る確かな一証である。

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