大坂は町人の都であり、刀も金の流れに従った。脇差一腰しか許されぬ町人のための贅沢な作、助広の濤瀾乱れ、大坂正宗と呼ばれた真改。率直に言えば、見られるために作られた刀である。
鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 特別重要刀剣[N.B.T.H.K]Tokubetsu Juyo Token No.24 江戸時代前期に摂津国(大阪府)で活躍した石堂派の天才、多々良長幸の特別重要刀剣指定作品。多々良長幸は新刀上々作にして最上大業物。本国は紀伊国で、河内守康永の門人として大坂に移住、大坂石堂と呼ばれる一類で最高峰の技量を誇る名人となった。その作風は石堂派の御家芸ともいうべき備前一文字の作を思わせる大丁子乱を得意としており、また一方で腰の開いた互の目丁子を焼いた末備前風の二様が見られる。僅かながら天和・貞享(1681〜1688)頃の年紀作が残されておりその活躍期を窺い知る事ができる。本作は小板目肌がよくつんで地沸が微塵に厚くついた精美な鍛えに乱れ映りが華やかに立ち、華麗な丁子乱れを焼くなど、彼が理想とした備前一文字を狙った華麗な作域を示しつつ、2尺9寸という豪壮な体配を示した大作である。これ程までに長寸で豪壮な作品は同作中他に例を見ないが、さらに驚くべきことに、これだけの大作でありながら元から鋒に至るまで、一点の破綻なく纏められており、大阪石堂の最高峰と謳われた多々良長幸の持つ技量の高さを余すところなく見せ付けた同作屈指の大名刀である。現在多々良長幸の特別重要刀剣指定作品は末備前写しが一点と、この石堂派の御家芸ともいえる一文字写しの傑作である本作の二点のみであり、本作は池田末松氏がその著作の中で蜂須賀家の伝来品との記載を残されている。
在銘 · Ishido · 江戸 · 長さ 84.8cm · 反り 1.7cm





Osaka Ishidō (Tatara Nagayuki), of Kishū origin · 摂津 · 1673-1681頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位15%
現在1点販売中
多々良長幸と長銘し、裏に以南蛮鉄鍛之と添銘した貞享四年紀の一刀は、この大坂の工を知る上の典型の作である。身幅広く豪壮な体配に、小板目のつんだ地に乱れ映りが立ち、新刀の世に古備前一文字の丁子刃を蘇らせた作である。説明書は、長幸を本国紀州、通称四郎兵衛と称し、紀州石堂派の河内守康永の門人となり、その系とともに大坂に移って大坂石堂の名を得、十七世紀後半の天和・貞享の頃に活躍した工と記す。これを「師に優る技量の持主」[[c:1]]とし、新刀備前伝の作家として「新刀の備前伝中の第一人者」[[c:2]]と評する。年紀作は極めて稀で、僅かに天和・貞享のものが見られるのみであるから、年紀の一口は彼の活躍期を知る貴重な資料として扱われる。
長幸の名の由来となる手は一文字狙いで、説明書はこれを石堂派の御家芸、「石堂派本来の御家芸ともいうべき一文字」[[c:3]]とする。幅広で堂々とした刀に、大丁子に小丁子・尖り刃を交え、足・葉がさかんに入り、処々重花丁子風となった華やかな丁子乱れを焼く。匂口は締まって明るく、小沸つき、小さな飛焼を交え、長寸の刀にあっても堂々とした姿に負けることなく丁子乱れを壮麗に焼上げる。その対極の作域は末備前に範をとるもので、腰のひらいた互の目を主調に、複式風の刃を交える――古い説明にいう「いわゆる蟹爪風の複式互の目」[[c:4]]である。説明書はこの作域を主に与三左衛門祐定に範をとったものと読み、丁子主調の一口は末備前中最も丁子の目立つ勝光あたりに倣ったものかとする。
両様を支えるのはその地鉄である。長幸は小板目に時に杢、鎬寄りには流れ肌を交えてよくつみ、地沸が微塵に厚くつき、地景細かに入る鍛えの上に、乱れ映りをはっきりと立たせる。この備前写しの映りは大坂物には珍しく、説明書が「時代を古く見あやまり易い」[[c:5]]と注意する見どころであり、鎬地の柾と比較的に帽子の拙さこそ新刀の手と見分ける点とする。刃中には足・葉が入り、小沸・細かな砂流しがかかり、処々小さな金筋や湯走り風を交え、匂口は締まりごころに明るく冴える。帽子は乱れ込んで先尖り、深く或いは長く返る。これは説明書が同作を通しての彼の特色とする態で、範とする一文字・末備前から彼の写しを分つ個性である。
二様は時代の別ではなく同じ手の選びであり、説明書はこれを一工の二様として描く。末備前の側では、刃文のみならず寸の詰まって先反りのつく末備前の体配までを写し、姿までも忠実に写すとされ、大鋒で金象嵌截断銘をもつ幅広の一口は与三左衛門祐定をその姿まで写したものと読まれる。一文字の側では、その丁子を備前一文字への私淑とし、軽く負う流派の遺産ではなく理想への私淑と読む。現存品は豪壮な幅広の刀に集中し、長銘に切り、ままに以南蛮鉄・以千草鉄の添銘を伴う。千草鉄は播州の鉄で、説明書は彼が大坂の鉄問屋を介して入手したものと推し、当時の鉄流通の一こまが垣間見られるとする。貞享三年紀で以千草鉄鍛之と銘した大小揃も伝わり、年紀の少ない同作中にあって極めて稀で、特別の注文によるものと思われる。
紀州・大坂・江戸・福岡に分れた石堂一門の中で長幸を分つのは、その備前写しの完璧さであり、説明書は彼を「新刀中備前伝作家の第一人者」[[c:6]]と特記する。石堂派は備前一文字の伝統を新刀の地に移したもので丁子刃はその御家芸であったが、長幸は地鉄・刃文・姿を併せて写し、乱れ映りを丁子の華やかさに劣らず立たせた手である。その一文字狙いの優品は「長幸の本領が遺憾なく発揮された一作」[[c:7]]と評され、その祐定写しの佳作は姿まで忠実とされる。乱れ込んで先の尖り深く返る帽子と、締まって明るい匂口は終始彼自身のもので、いずれの備前の範を求めるときも変わらぬ底音をなす。
収集の観点では、長幸は藤代の極めを上々作とし、その作に国宝・重要文化財はない。指定の記録は特別重要刀剣の刀二口と一群の重要刀剣に及び、ここに数える中では特別重要刀剣・重要刀剣の指定は十口に上る。来歴は僅かながら確かで、記録される名は谷干城――明治の軍人で愛刀家でもあった将軍で、その蒐蔵には彼の刀が一口ならず、朱書と旧蔵として記される。指定の同作の多くは伝来して市場に出ることは少なく、豪壮な年紀作は資料としての重みもあって研究の対象とされるため、その一口に巡り会うことは稀で、現れれば私蔵の収集家にとって一つの里程標となる。説明書はその優品を「同工屈指の名品」とする。紀州の一工が一文字と祐定を江戸初期の大坂の刀に伝えた、新刀備前写しの極点をなす作である。
長幸の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 摂津
現在2点販売中
大坂石堂は、紀州石堂派の鍛冶のうち、のちに大坂へと移り住んだ一群を指す呼称である。説示によれば、河内守康永は八左衛門と称し、紀州石堂派の備中守康広の門に学んだのち、紀州から大坂に移って大坂石堂派の一人となり、河内守を受領している。その門人である多々良長幸は本国を紀州といい、通称を四郎兵衛と称し、紀州より大坂に移住した康永のもとで学んで師に優る技量を備えたと記される。また花房備前守祐国とその甥祐春も、紀州石堂派の出身でのちに大坂へ移った鍛冶群のうちの工として説示に挙げられる。これらの工は、康広等を中心とした「康」の字を通字とする一群[[c:1]]が紀州時代以来得意とした丁子乱れを大坂の地に伝え、鎌倉時代の備前一文字、ならびに末備前の作風を復興することを志した。 作風について、説示は長幸に二様があると繰り返し記す。その一つは大丁子に小丁子・尖り刃が交じり、足・葉がよく入った華やかな作柄で、石堂派本来の御家芸ともいうべき一文字を狙ったものである。地鉄は小板目肌がつみ、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入って乱れ映りが立ち、刃文は丁子乱れに重花丁子風の刃をも交えて総じて焼高く、匂口は締まりごころに明るく冴える。他の一様は、腰の開いた互の目を主調に複式風の刃を交えた作域で、末備前に範をとったもの、就中、与三左衛門尉祐定あたりを狙ったものとされ、姿や茎までも末備前の体配を忠実に写している。一方、師の康永は映りの立った鍛えに丁子乱れを得意として焼き、直ぐに焼出す態に同派・同工の見どころが窺われると説示はいう。祐国・祐春には石堂風の丁子乱れがあまり経眼されず、むしろ沸づいた互の目を主体とした乱れや濤欄風の大互の目乱れ、また直刃もまま見られ、大坂石堂派の中で特徴ある作風を示すと記される。乱れ込んで先が尖り深く返る帽子、鎬地の柾がかる肌、焼出しの存する点などが、見分けにあたっての要点として挙げられている。 鑑定にあたっては、巧みな乱れ映りと華麗な丁子乱れゆえに時代を古く見あやまりやすいことが説示に注意されており、鎬地の柾や帽子の態、刃が小模様となる点を見落としてはならないとされる。伝来の面では、長幸の作に明治の軍人で愛刀家でもあった谷干城旧蔵の一口が複数知られ、また「以千草鉄鍛之」「以南蛮鉄鍛之」の添銘を伴う作が見られて[[c:2]]、当時大坂の鉄問屋を介した良質の鉄の入手や鉄流通の一端を窺わせる資料として記されている。長幸は石堂派伝統の丁子刃を焼き、よく備前伝を学んで新刀備前伝中の第一人者と評され、堂々たる体配に壮麗な丁子乱れを焼き上げた作をもって、大坂石堂を代表する工として位置づけられている。 詳しく見る →
大坂 町人の都の刀
大坂は町人の都であり、刀も金の流れに従った。脇差一腰しか許されぬ町人のための贅沢な作、助広の濤瀾乱れ、大坂正宗と呼ばれた真改。率直に言えば、見られるために作られた刀である。
重要刀剣の中でも出来が際立ち、資料的価値が極めて高く、国指定の重要文化財に準ずると判断された、NBTHK鑑定の最高位です。
最高峰であり、特別重要刀剣に到達した刀剣はわずか1,211口、登録刀剣の約2,064口に1口にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様都合による返品は作品到着後二日以内にお申し出ください。※お品物に手を加えた物等は対応できません※返品送料はお客様のご負担となります※お品代以外の費用(振込手数料、代引手数料等)は返金できません。※お届け先が海外の場合は返品や返金は出来ません
鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 特別重要刀剣[N.B.T.H.K]Tokubetsu Juyo Token No.24 江戸時代前期に摂津国(大阪府)で活躍した石堂派の天才、多々良長幸の特別重要刀剣指定作品。多々良長幸は新刀上々作にして最上大業物。本国は紀伊国で、河内守康永の門人として大坂に移住、大坂石堂と呼ばれる一類で最高峰の技量を誇る名人となった。その作風は石堂派の御家芸ともいうべき備前一文字の作を思わせる大丁子乱を得意としており、また一方で腰の開いた互の目丁子を焼いた末備前風の二様が見られる。僅かながら天和・貞享(1681〜1688)頃の年紀作が残されておりその活躍期を窺い知る事ができる。本作は小板目肌がよくつんで地沸が微塵に厚くついた精美な鍛えに乱れ映りが華やかに立ち、華麗な丁子乱れを焼くなど、彼が理想とした備前一文字を狙った華麗な作域を示しつつ、2尺9寸という豪壮な体配を示した大作である。これ程までに長寸で豪壮な作品は同作中他に例を見ないが、さらに驚くべきことに、これだけの大作でありながら元から鋒に至るまで、一点の破綻なく纏められており、大阪石堂の最高峰と謳われた多々良長幸の持つ技量の高さを余すところなく見せ付けた同作屈指の大名刀である。現在多々良長幸の特別重要刀剣指定作品は末備前写しが一点と、この石堂派の御家芸ともいえる一文字写しの傑作である本作の二点のみであり、本作は池田末松氏がその著作の中で蜂須賀家の伝来品との記載を残されている。
在銘 · Ishido · 江戸 · 長さ 84.8cm · 反り 1.7cm





Osaka Ishidō (Tatara Nagayuki), of Kishū origin · 摂津 · 1673-1681頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位15%
現在1点販売中
多々良長幸と長銘し、裏に以南蛮鉄鍛之と添銘した貞享四年紀の一刀は、この大坂の工を知る上の典型の作である。身幅広く豪壮な体配に、小板目のつんだ地に乱れ映りが立ち、新刀の世に古備前一文字の丁子刃を蘇らせた作である。説明書は、長幸を本国紀州、通称四郎兵衛と称し、紀州石堂派の河内守康永の門人となり、その系とともに大坂に移って大坂石堂の名を得、十七世紀後半の天和・貞享の頃に活躍した工と記す。これを「師に優る技量の持主」[[c:1]]とし、新刀備前伝の作家として「新刀の備前伝中の第一人者」[[c:2]]と評する。年紀作は極めて稀で、僅かに天和・貞享のものが見られるのみであるから、年紀の一口は彼の活躍期を知る貴重な資料として扱われる。
長幸の名の由来となる手は一文字狙いで、説明書はこれを石堂派の御家芸、「石堂派本来の御家芸ともいうべき一文字」[[c:3]]とする。幅広で堂々とした刀に、大丁子に小丁子・尖り刃を交え、足・葉がさかんに入り、処々重花丁子風となった華やかな丁子乱れを焼く。匂口は締まって明るく、小沸つき、小さな飛焼を交え、長寸の刀にあっても堂々とした姿に負けることなく丁子乱れを壮麗に焼上げる。その対極の作域は末備前に範をとるもので、腰のひらいた互の目を主調に、複式風の刃を交える――古い説明にいう「いわゆる蟹爪風の複式互の目」[[c:4]]である。説明書はこの作域を主に与三左衛門祐定に範をとったものと読み、丁子主調の一口は末備前中最も丁子の目立つ勝光あたりに倣ったものかとする。
両様を支えるのはその地鉄である。長幸は小板目に時に杢、鎬寄りには流れ肌を交えてよくつみ、地沸が微塵に厚くつき、地景細かに入る鍛えの上に、乱れ映りをはっきりと立たせる。この備前写しの映りは大坂物には珍しく、説明書が「時代を古く見あやまり易い」[[c:5]]と注意する見どころであり、鎬地の柾と比較的に帽子の拙さこそ新刀の手と見分ける点とする。刃中には足・葉が入り、小沸・細かな砂流しがかかり、処々小さな金筋や湯走り風を交え、匂口は締まりごころに明るく冴える。帽子は乱れ込んで先尖り、深く或いは長く返る。これは説明書が同作を通しての彼の特色とする態で、範とする一文字・末備前から彼の写しを分つ個性である。
二様は時代の別ではなく同じ手の選びであり、説明書はこれを一工の二様として描く。末備前の側では、刃文のみならず寸の詰まって先反りのつく末備前の体配までを写し、姿までも忠実に写すとされ、大鋒で金象嵌截断銘をもつ幅広の一口は与三左衛門祐定をその姿まで写したものと読まれる。一文字の側では、その丁子を備前一文字への私淑とし、軽く負う流派の遺産ではなく理想への私淑と読む。現存品は豪壮な幅広の刀に集中し、長銘に切り、ままに以南蛮鉄・以千草鉄の添銘を伴う。千草鉄は播州の鉄で、説明書は彼が大坂の鉄問屋を介して入手したものと推し、当時の鉄流通の一こまが垣間見られるとする。貞享三年紀で以千草鉄鍛之と銘した大小揃も伝わり、年紀の少ない同作中にあって極めて稀で、特別の注文によるものと思われる。
紀州・大坂・江戸・福岡に分れた石堂一門の中で長幸を分つのは、その備前写しの完璧さであり、説明書は彼を「新刀中備前伝作家の第一人者」[[c:6]]と特記する。石堂派は備前一文字の伝統を新刀の地に移したもので丁子刃はその御家芸であったが、長幸は地鉄・刃文・姿を併せて写し、乱れ映りを丁子の華やかさに劣らず立たせた手である。その一文字狙いの優品は「長幸の本領が遺憾なく発揮された一作」[[c:7]]と評され、その祐定写しの佳作は姿まで忠実とされる。乱れ込んで先の尖り深く返る帽子と、締まって明るい匂口は終始彼自身のもので、いずれの備前の範を求めるときも変わらぬ底音をなす。
収集の観点では、長幸は藤代の極めを上々作とし、その作に国宝・重要文化財はない。指定の記録は特別重要刀剣の刀二口と一群の重要刀剣に及び、ここに数える中では特別重要刀剣・重要刀剣の指定は十口に上る。来歴は僅かながら確かで、記録される名は谷干城――明治の軍人で愛刀家でもあった将軍で、その蒐蔵には彼の刀が一口ならず、朱書と旧蔵として記される。指定の同作の多くは伝来して市場に出ることは少なく、豪壮な年紀作は資料としての重みもあって研究の対象とされるため、その一口に巡り会うことは稀で、現れれば私蔵の収集家にとって一つの里程標となる。説明書はその優品を「同工屈指の名品」とする。紀州の一工が一文字と祐定を江戸初期の大坂の刀に伝えた、新刀備前写しの極点をなす作である。
長幸の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 摂津
現在2点販売中
大坂石堂は、紀州石堂派の鍛冶のうち、のちに大坂へと移り住んだ一群を指す呼称である。説示によれば、河内守康永は八左衛門と称し、紀州石堂派の備中守康広の門に学んだのち、紀州から大坂に移って大坂石堂派の一人となり、河内守を受領している。その門人である多々良長幸は本国を紀州といい、通称を四郎兵衛と称し、紀州より大坂に移住した康永のもとで学んで師に優る技量を備えたと記される。また花房備前守祐国とその甥祐春も、紀州石堂派の出身でのちに大坂へ移った鍛冶群のうちの工として説示に挙げられる。これらの工は、康広等を中心とした「康」の字を通字とする一群[[c:1]]が紀州時代以来得意とした丁子乱れを大坂の地に伝え、鎌倉時代の備前一文字、ならびに末備前の作風を復興することを志した。 作風について、説示は長幸に二様があると繰り返し記す。その一つは大丁子に小丁子・尖り刃が交じり、足・葉がよく入った華やかな作柄で、石堂派本来の御家芸ともいうべき一文字を狙ったものである。地鉄は小板目肌がつみ、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入って乱れ映りが立ち、刃文は丁子乱れに重花丁子風の刃をも交えて総じて焼高く、匂口は締まりごころに明るく冴える。他の一様は、腰の開いた互の目を主調に複式風の刃を交えた作域で、末備前に範をとったもの、就中、与三左衛門尉祐定あたりを狙ったものとされ、姿や茎までも末備前の体配を忠実に写している。一方、師の康永は映りの立った鍛えに丁子乱れを得意として焼き、直ぐに焼出す態に同派・同工の見どころが窺われると説示はいう。祐国・祐春には石堂風の丁子乱れがあまり経眼されず、むしろ沸づいた互の目を主体とした乱れや濤欄風の大互の目乱れ、また直刃もまま見られ、大坂石堂派の中で特徴ある作風を示すと記される。乱れ込んで先が尖り深く返る帽子、鎬地の柾がかる肌、焼出しの存する点などが、見分けにあたっての要点として挙げられている。 鑑定にあたっては、巧みな乱れ映りと華麗な丁子乱れゆえに時代を古く見あやまりやすいことが説示に注意されており、鎬地の柾や帽子の態、刃が小模様となる点を見落としてはならないとされる。伝来の面では、長幸の作に明治の軍人で愛刀家でもあった谷干城旧蔵の一口が複数知られ、また「以千草鉄鍛之」「以南蛮鉄鍛之」の添銘を伴う作が見られて[[c:2]]、当時大坂の鉄問屋を介した良質の鉄の入手や鉄流通の一端を窺わせる資料として記されている。長幸は石堂派伝統の丁子刃を焼き、よく備前伝を学んで新刀備前伝中の第一人者と評され、堂々たる体配に壮麗な丁子乱れを焼き上げた作をもって、大坂石堂を代表する工として位置づけられている。 詳しく見る →
大坂 町人の都の刀
大坂は町人の都であり、刀も金の流れに従った。脇差一腰しか許されぬ町人のための贅沢な作、助広の濤瀾乱れ、大坂正宗と呼ばれた真改。率直に言えば、見られるために作られた刀である。
重要刀剣の中でも出来が際立ち、資料的価値が極めて高く、国指定の重要文化財に準ずると判断された、NBTHK鑑定の最高位です。
最高峰であり、特別重要刀剣に到達した刀剣はわずか1,211口、登録刀剣の約2,064口に1口にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様都合による返品は作品到着後二日以内にお申し出ください。※お品物に手を加えた物等は対応できません※返品送料はお客様のご負担となります※お品代以外の費用(振込手数料、代引手数料等)は返金できません。※お届け先が海外の場合は返品や返金は出来ません