徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
日本刀 銘 近江守源来貞盛(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書付) 【解説】 本作は、銘および日本美術刀剣保存協会(日美刀)の鑑定書によれば、新刀期の山城国(現在の京都府)において、近江守源来貞盛によって鍛えられた一振りです。 新刀とは、慶長から宝暦(1596年〜1763年)の間に制作された刀剣を指す用語ですが、本作の作風から、江戸時代前期(寛文・延宝頃)の作と推測されます。 山城国は「山城伝」と呼ばれる作刀様式で知られています。山城伝の起源は、平安京遷都がなされた平安時代まで遡ります。当初、山城の刀工たちは公家や皇族のために刀を打ち、繁栄しました。その後、武家政権の時代となると、諸大名のためにも多くの名刀を世に送り出しました。この地からは数多くの名工が輩出されています。 山城伝の祖は三条宗近と伝えられ、その流れを汲む七流の門派が形成されました。貞盛が属する「来派」は、粟田口派と並び、山城伝の中でも最も格式高い名門として知られています。 山城伝の最大の特徴は、気品ある姿と美しい地鉄(じがね)にあります。本作にもその優美な面影が随所に見て取れます。また、貞盛が受領した「近江守」という受領名は、優れた技術を持つ刀工にのみ与えられた名誉ある称号です。 本作は、日本美術刀剣保存協会より「特別保存刀剣」の鑑定を受けており、美術品として極めて価値が高く、後世に伝えるべき一品であると認められています。外装には、華やかな「半太刀拵」が付属しております。 【刀身】 長さ(Nagasa):63.4 cm 反り(Sori):1.4 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃縁に現れる結晶構造 地肌(Jihada):鍛錬の過程で折り返し重ねられた鋼の表面模様 茎(Nakago): 刀身の柄に収まる部分です。日本の刀工は、柄内部での赤錆を防ぐために、あえて「黒錆」を茎に残しました。この茎の経年変化(錆色)は、専門家が制作年代を推定する上での重要な指標となります。 【拵(Koshirae)】 拵とは日本刀の外装のことです。鞘、柄、鍔などの各部品によって構成されています。 縁頭(Fuchi-Kashira): 柄の両端を保護し、装飾する一対の金具です。 本作には「蔦(つた)」の図が施されています。蔦は生命力が強く、勢いよく伸び広がることから、繁栄や長寿を象徴する吉祥文様として尊ばれてきました。 柄・目貫(Tsuka / Menuki): 柄は刀を握る部位であり、目貫はその装飾金具です。 目貫の意匠は「龍」です。龍は瑞祥(良い兆し)を象徴する聖獣です。その姿は九似(角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼、項は蛇、腹は蜃、鱗は魚、爪は鷹、掌は虎、耳は牛)に例えられ、あらゆる動物の頂点に立つと信じられてきました。日本では万能の吉祥文様として広く愛されています。 鍔・鎺(Tsuba / Habaki): 鍔は拳を守る護具であり、鎺は刀身を鞘の中に固定し、刃が鞘の内側に触れて傷んだり錆びたりするのを防ぐ役割を持ちます。 鍔は「四方木瓜形」で、片面には龍、もう片面には植物文様が施されています。龍は水を司り、雲を呼び、雨を降らせ、雷を操る存在とされています。そのため、龍と植物の組み合わせは、恵みの雨による豊作や自然の調和を象徴する意匠として好まれてきました。


















山城伝 · 山城
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来派の作をまず見分けさせるのは地鉄である。精美によく約んだ小板目を主体に板目・杢・流れ肌を交えてよく錬れ、地沸が微塵に厚くつき、細かな地景が頻りに入り、沸映りが立って鉄が明るく冴える。処々に交じる柔らかく大模様の肌合は来肌と呼ばれ、疵ではなく一派の見どころとして受け取られている。この明るく精到な山城の鍛えこそ、来一門の作を貫く第一の標識である。 その出発点に位置するのが、鎌倉時代中期に山城国京都に活躍した来国行で、諸書のくり返し記すとおり事実上の祖と仰がれる。自身の作に年紀はないが、その子と伝える二字国俊に弘安元年(一二七八)の太刀があり、これに拠って正元・文応頃の活躍年代が首肯される。以後、二字国俊から三字銘の来国俊へ、さらに来国光・来国次へと血脈が継がれ、鎌倉末から南北朝前期にかけて一門は山城刀工の最上位を占めた。なお来国俊は来派で最初に「来」の字を冠した工であり、以後の一門が皆これに倣っている。二字国俊と三字銘来国俊の同人・別人は、両銘の年紀が弘安元年から元亨元年の約四十年に納まることなどから近年同人説が定着しつつあり、一門の古典的な論点をなす。 地鉄の上に来派の焼く刃は、備前の華やかな丁子ではなく、広直刃調を基調とする。これに小丁子・小互の目・小乱れを交え、足・葉が繁く入り、佩表の足が備前とは逆に茎の方へ斜めに傾く所謂京逆足となるところに京物の本領がある。匂深く明るく、小沸が厚くついて働きは刃の高さではなく沸に宿り、刃中に金筋・砂流しがかかる。帽子は小丸を主としながら掃きかけを伴うことが多く、この掃きかけは小丸と並ぶ第一の鑑別点に据えるべきものである。時代と系統による振幅も明瞭で、二字国俊は身幅広く猪首鋒に結ぶ豪壮な体配に丁子主調の賑やかな乱れを焼き、三字銘来国俊は細身か尋常の姿に締まった直刃の上品な作域を示す。末期の来国光は直刃に互の目を目立って交え作域が最も広く、来国次に至っては地刃の沸が一門で最も強く、のたれに互の目を交えた相州伝寄りの作風から鎌倉来と呼ばれ正宗十哲に数えられる。 収集家がこの一門を求めるべき所以は、まずその鑑定の勘所が明快なことにある。よく約んだ小板目に微塵の地沸と鮮明な沸映り、広直刃に京逆足、そして掃きかける帽子という積極的な特色が揃い、無銘極めの拠りどころが明文化されている。一門内の差も精密に引かれ、来国光は来国次に比して焼きが幾分低く突き上げ気味の帽子に個性を窺い、戸津来あるいは中堂来と呼ばれる光包は来肌の少ない強く冴えた地鉄と広く長く返る帽子で一門中の異色として立つ。代表作と伝来も厚く、来国行在銘の太刀は筑前黒田家に伝わって本阿弥光忠の千貫折紙と後藤家製の糸巻太刀拵を備え、名物愛染国俊・名物鳥飼国俊・名物乱光包をはじめ尾張紀州徳川家、前田家、上杉家、島津家、伊達家など大名家の蔵刀として珍重された。鎌倉末期山城物の最も純粋な姿を示す来派の作は、日本刀剣史において古刀山城の頂点に位置づけられ、真剣な収集家が現実に到達し得る目標であり続けている。 詳しく見る →
江戸時代
徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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