二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
特別保存刀剣鑑定書付 二代兼若(賀州住兼若) 銘 明暦頃 【解説】 概要 本作は茎(なかご)の銘より、明暦年間(1655-1658年:江戸時代前期)に賀州住兼若によって打たれた一振りです。「賀州」は加賀国(現在の石川県)の別称であり、「賀州住」は作者が同地で鍛刀したことを示しています。兼若は加賀藩を代表する名門の銘であり、江戸時代を通じて数代にわたり繁栄しました。日本美術刀剣保存協会(NBTHK)の鑑定により、本作は江戸時代前期(17世紀半ば)に活躍した二代兼若(通称:又助)の真作と認められています。 初代兼若はもともと美濃国(現在の岐阜県)の出身でしたが、江戸時代初期、加賀藩三代藩主・前田利常公の招聘により加賀へ移住しました。後に名を「高平」と改め、その卓越した技術により元和5年(1619年)頃、朝廷より「越中守」の受領名を授かりました。 二代兼若は、初代高平の三男として慶長15年(1610年)に生まれました。父の技量を色濃く受け継ぎ、歴代兼若の中でも最も華やかで人気が高い作風を確立した名工として知られています。 加賀兼若の一派は、その高い技術力から代々加賀藩前田家の庇護を受け、藩士たちのために数多くの名刀を鍛え上げました。 前田家について 前田家はもともと尾張国(現在の愛知県名古屋市周辺)の織田氏の家臣でした。家祖・前田利家公は、織田信長公や豊臣秀吉公と深く関わりながら武士社会の階段を駆け上がり、加賀百万石の礎を築きました。初代兼若がまだ美濃にいた頃、すでに利家公のために刀を打っていたという縁も伝えられています。 本刀には、格調高い「半太刀拵(はんたちこしらえ)」が付属しております。この美しい外装は、名刀の魅力をより一層引き立ててくれることでしょう。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に指定されています。これは保存状態が極めて良く、かつ美術的価値の高い真作の日本刀にのみ与えられる証です。 ※刀身には数箇所、鍛え傷(きたえきず)が見受けられます。詳細な状態については、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(長径):70.0 cm 反り:1.6 cm 刃文(はもん):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地肌(じはだ):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(きっさき):刀身の先端部分 茎(なかご):刀身の柄に収まる部分。日本刀の専門家は、この部分の錆色や仕立てを見て制作年代を特定します。茎の黒錆は赤錆を防ぐ役割があるため、落とさずに保存するのが通例です。 拵(こしらえ):鞘、柄、鍔などを含めた日本刀の外装一式。 【外装金具】 縁(ふち):柄の差込口を保護する金具。赤銅(しゃくどう)や四分一(しぶいち)などの合金が用いられます。



























新刀 · 加賀 · 1624-1644頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位37%
現在1点販売中
兼若の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 加賀
現在6点販売中
加州兼若は、加賀国金沢に興った新刀の一門である。その祖は美濃国関の四方助兼若の子と伝え、後に加賀へ移住して鍛刀した工に始まる。初代は辻村甚六と称し、のちに四郎右衛門尉を名乗り、現存する加州打の作刀は慶長十二年ないし十四年紀に始まる。元和五年頃に越中守を受領し、名を高平と改めたとされ、銘も「賀州住兼若造」の六字銘から、受領後は「越中守藤原高平」と切るものが多くなる。二代は又助といい、初代の三男にあたり、「越中守高平三男兼若」[[c:1]]と銘したものや、「加州住兼若 辻村又助年五十三歳造之」[[c:2]]と俗名を入れた作からその出自と年齢が知られる。これに徴すれば慶長十七年の生まれで、寛永から延宝にかけて活躍し、延宝五年に六十六歳で歿している。三代は初代同様に四郎右衛門を名乗り、二代又助の嫡子であって、その刀歴は寛文から正徳に及び、初期には父又助の代作・代銘の仕事も多かったと伝える。 作風は、出身地である美濃の色の濃いものが多い。鍛えは板目に処々柾がかって流れ、肌立ちごころに地沸つき、地景の入るものが見られ、かねが少しく黒みをおびて冴える点に北国物の態がうかがわれる。刃文は湾れ調に互の目、尖り刃、箱がかった刃を交え、足が入り、沸がよくつき、砂流し、金筋がかかり、帽子は乱れ込んで先掃きかけるものが多い。直江志津、美濃志津の風を示す作はことに上手とされる。代の判別には箱刃の現れ方が一つの目安となり、初代の箱がかった刃は沸崩れごころとなって味があるのに対し、二代、三代になるとはっきりとした箱刃を焼く傾向が強まる。地鉄に純然たる柾目を見せる作は三代にまま現れ、刃縁がほつれて砂流し頻りに、帽子も掃きかけて焼詰めごころとなるなど、大和伝に徹したものもある。短刀や剣の作は遺存が少なく、いずれも出来がよい。 鑑定にあたっては、まず美濃色の濃い乱刃と箱がかった刃の質を見、銘振りと俗名・受領銘の有無から代を見分けるのが要点となる。初代の二字銘の作には古調で直江志津ごころを示すものがあり、典型作の一として伝えられる。越中守高平と改名した後の作には、辻村越中守藤原高平と二行に切り、試切の截断銘を金象嵌したものもあり、五度の試し切りを記して切味を示した一口が知られる。三代の柾目鍛えの太刀には葦手絵蒔絵毛抜形太刀が附帯する例もある。加州兼若は前田藩の地に根を張った美濃系の新刀工として数代に及び、その作は加州物の特色をよく示すとともに、銘文に俗名を加えた資料性の高い作も伝わって、新刀加賀鍛冶を考える上で重んじられている。 詳しく見る →
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
特別保存刀剣鑑定書付 二代兼若(賀州住兼若) 銘 明暦頃 【解説】 概要 本作は茎(なかご)の銘より、明暦年間(1655-1658年:江戸時代前期)に賀州住兼若によって打たれた一振りです。「賀州」は加賀国(現在の石川県)の別称であり、「賀州住」は作者が同地で鍛刀したことを示しています。兼若は加賀藩を代表する名門の銘であり、江戸時代を通じて数代にわたり繁栄しました。日本美術刀剣保存協会(NBTHK)の鑑定により、本作は江戸時代前期(17世紀半ば)に活躍した二代兼若(通称:又助)の真作と認められています。 初代兼若はもともと美濃国(現在の岐阜県)の出身でしたが、江戸時代初期、加賀藩三代藩主・前田利常公の招聘により加賀へ移住しました。後に名を「高平」と改め、その卓越した技術により元和5年(1619年)頃、朝廷より「越中守」の受領名を授かりました。 二代兼若は、初代高平の三男として慶長15年(1610年)に生まれました。父の技量を色濃く受け継ぎ、歴代兼若の中でも最も華やかで人気が高い作風を確立した名工として知られています。 加賀兼若の一派は、その高い技術力から代々加賀藩前田家の庇護を受け、藩士たちのために数多くの名刀を鍛え上げました。 前田家について 前田家はもともと尾張国(現在の愛知県名古屋市周辺)の織田氏の家臣でした。家祖・前田利家公は、織田信長公や豊臣秀吉公と深く関わりながら武士社会の階段を駆け上がり、加賀百万石の礎を築きました。初代兼若がまだ美濃にいた頃、すでに利家公のために刀を打っていたという縁も伝えられています。 本刀には、格調高い「半太刀拵(はんたちこしらえ)」が付属しております。この美しい外装は、名刀の魅力をより一層引き立ててくれることでしょう。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に指定されています。これは保存状態が極めて良く、かつ美術的価値の高い真作の日本刀にのみ与えられる証です。 ※刀身には数箇所、鍛え傷(きたえきず)が見受けられます。詳細な状態については、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(長径):70.0 cm 反り:1.6 cm 刃文(はもん):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地肌(じはだ):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(きっさき):刀身の先端部分 茎(なかご):刀身の柄に収まる部分。日本刀の専門家は、この部分の錆色や仕立てを見て制作年代を特定します。茎の黒錆は赤錆を防ぐ役割があるため、落とさずに保存するのが通例です。 拵(こしらえ):鞘、柄、鍔などを含めた日本刀の外装一式。 【外装金具】 縁(ふち):柄の差込口を保護する金具。赤銅(しゃくどう)や四分一(しぶいち)などの合金が用いられます。



























新刀 · 加賀 · 1624-1644頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位37%
現在1点販売中
兼若の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 加賀
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加州兼若は、加賀国金沢に興った新刀の一門である。その祖は美濃国関の四方助兼若の子と伝え、後に加賀へ移住して鍛刀した工に始まる。初代は辻村甚六と称し、のちに四郎右衛門尉を名乗り、現存する加州打の作刀は慶長十二年ないし十四年紀に始まる。元和五年頃に越中守を受領し、名を高平と改めたとされ、銘も「賀州住兼若造」の六字銘から、受領後は「越中守藤原高平」と切るものが多くなる。二代は又助といい、初代の三男にあたり、「越中守高平三男兼若」[[c:1]]と銘したものや、「加州住兼若 辻村又助年五十三歳造之」[[c:2]]と俗名を入れた作からその出自と年齢が知られる。これに徴すれば慶長十七年の生まれで、寛永から延宝にかけて活躍し、延宝五年に六十六歳で歿している。三代は初代同様に四郎右衛門を名乗り、二代又助の嫡子であって、その刀歴は寛文から正徳に及び、初期には父又助の代作・代銘の仕事も多かったと伝える。 作風は、出身地である美濃の色の濃いものが多い。鍛えは板目に処々柾がかって流れ、肌立ちごころに地沸つき、地景の入るものが見られ、かねが少しく黒みをおびて冴える点に北国物の態がうかがわれる。刃文は湾れ調に互の目、尖り刃、箱がかった刃を交え、足が入り、沸がよくつき、砂流し、金筋がかかり、帽子は乱れ込んで先掃きかけるものが多い。直江志津、美濃志津の風を示す作はことに上手とされる。代の判別には箱刃の現れ方が一つの目安となり、初代の箱がかった刃は沸崩れごころとなって味があるのに対し、二代、三代になるとはっきりとした箱刃を焼く傾向が強まる。地鉄に純然たる柾目を見せる作は三代にまま現れ、刃縁がほつれて砂流し頻りに、帽子も掃きかけて焼詰めごころとなるなど、大和伝に徹したものもある。短刀や剣の作は遺存が少なく、いずれも出来がよい。 鑑定にあたっては、まず美濃色の濃い乱刃と箱がかった刃の質を見、銘振りと俗名・受領銘の有無から代を見分けるのが要点となる。初代の二字銘の作には古調で直江志津ごころを示すものがあり、典型作の一として伝えられる。越中守高平と改名した後の作には、辻村越中守藤原高平と二行に切り、試切の截断銘を金象嵌したものもあり、五度の試し切りを記して切味を示した一口が知られる。三代の柾目鍛えの太刀には葦手絵蒔絵毛抜形太刀が附帯する例もある。加州兼若は前田藩の地に根を張った美濃系の新刀工として数代に及び、その作は加州物の特色をよく示すとともに、銘文に俗名を加えた資料性の高い作も伝わって、新刀加賀鍛冶を考える上で重んじられている。 詳しく見る →
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.