説明

特別保存刀剣鑑定書付 備前国住長船七兵衛尉祐定 銘 刀 【解説】 本作は「備前国住長船七兵衛尉祐定」と銘が切られた一振りです。 作者の七兵衛尉祐定は、現在の岡山県にあたる備前国長船の地で活躍した、祐定派を代表する名工の一人です。 長船派は備前国で最大かつ最も繁栄した流派であり、その中でも祐定派は、最も著名で多くの名刀を世に送り出した一族として知られています。 数世紀にわたる歴史の中で、祐定を名乗る工は各時代の要請に応じ、戦国時代の過酷な実戦刀から、泰平の江戸時代における儀礼的・芸術的な美を追求した作まで、幅広い作風を展開しました。 最盛期には六十名もの刀工が「祐定」の名を冠していたと伝えられ、その名は日本全国の侍の間で、信頼の置けるブランドとして広く浸透していました。 七兵衛尉祐定は、永正年間(1504-1521)に活躍し、祐定一族の中でも最高の名工と謳われる与三左衛門尉祐定から数えて五代目の子孫にあたります。 父は藤四郎祐定、息子は上野大掾祐定という、共に優れた技量を持つ刀工であり、七兵衛尉は室町末期の伝統を江戸初期の「新刀」期へと繋ぎ、備前長船祐定家を再興させた中興の祖として極めて重要な役割を果たしました。 記録によれば、七兵衛尉祐定は延宝2年(1674年)に98歳という稀に見る長寿で没したとされています。 逆算すると生年は天正5年(1577年)と推定され、現存する最古の年紀作が元和2年(1616年)であることから、極めて長期にわたり作刀に従事していたことが伺えます。 晩年の作には、息子の代作・代銘と思われるものも見受けられますが、それもまた家系を重んじる名門の証と言えるでしょう。 【備前長船派の歴史】 備前長船派は鎌倉時代中期の光忠を始祖とし、長光、真長、景光の「長船三作」や、長光、兼光、長義、元重の「長船四天王」など、日本刀史に名を刻む伝説的な名工を数多く輩出しました。 備前の地は、中国山地から産出される良質な砂鉄、吉井川の豊かな水、そして火床に欠かせない良質な炭という、作刀に理想的な環境に恵まれていました。 この地で発展した「備前伝」は、五箇伝の一つとして、その美しさと堅牢さ、そして抜群の切れ味を誇ります。祐定を含む備前刀の多くは、戦国時代の戦場を駆け抜け、今日では美術的・歴史的価値を併せ持つ至宝として大切に受け継がれています。 本作は、公益財団法人 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されています。 この鑑定書は、保存状態が極めて良好であり、かつ美術品としての価値が特に高いと認められた真作の日本刀にのみ与えられるものです。 【刀身】 長さ(Nagasa):70.9 cm 反り(Sori):1.8 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地鉄(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本の刀工は、柄の中での赤錆を防ぐため、あえて「黒錆」を茎に残しました。この経年による錆色は、専門家が製作年代を推定する上での重要な指標となります。 【拵】 (※以下、拵の詳細説明が続く)

Antique Japanese Sword Katana Signed by Sukesada NBTHK Tokubetsu Hozon Certificate
Tokuho

Antique Japanese Sword Katana Signed by Sukesada NBTHK Tokubetsu Hozon Certificate

$13,331

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

70.9 cm

反り

1.8 cm

流派について

Osafune School長船派

1 重要文化財

備前国邑久郡長船の地に興り、鎌倉時代中期から室町時代末期に至るまで連綿と鍛刀を続けた、刀剣史上最大の流派である。事実上の祖は光忠で、近忠の子と伝えるが近忠の作刀が知られないため、長船本流の起点はこの工に置かれる。古伝はその源を古備前正恒の一類が長船に移り住んだことに求め、光忠はその流れを承けて一門を興したと説く。すなわち本流派は、古備前の地盤の上に、丁子を主調とする華麗な作風をもって自立した備前鍛冶の本系である。光忠の下に長光、真長、景光らが輩出し、以後、相伝備前の兼光・長義・元重、室町初期の応永備前を経て末備前に至るまで、備前伝の中核を担い続けた。 作風は備前伝を基盤とし、よく錬れて杢を交えた板目に地沸が微塵につき、地景が細かに入り、地に乱れ映りが鮮明に立つ鍛えを共通の地とする。この乱れ映りこそ、在銘無銘を問わず一門の作を備前へ繋ぎ止める最も確かな標である。刃文には世代ごとの軸がある。草創の古長船にあって光忠は蛙子丁子を看どころとし、子の長光は頭の丸いふくらみのある丁子を加え、孫の景光は片落ち互の目を完成して逆がかりの足を看どころとした。この光忠、長光、景光の三代が長船嫡流の背骨をなし、近景がその影として景光をほぼ完璧に映し、真長は同じ地に締まる匂口の直刃を得意とした。南北朝期に入ると兼光が嫡流を承けつつのたれ主調の大模様を加え、相州伝を摂取した相伝備前の作風が現れる。長義は耳形の刃を看どころに兼光以上に相州伝を強調し、長重と兼長がこれに連なり、義景は匂口の沈むところに、元重は焼頭の揃った角ばる刃と青江気質に、それぞれ別系の個性を示した。体配もまた時代を映し、鎌倉の腰反り高い太刀から、南北朝の身幅広く大鋒の延文貞治型へ、さらに応永備前では古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃が甦る。康光と盛光を双璧とする応永備前は、腰の広く開いた互の目とローソクの芯と称する尖り返る帽子を看どころとし、その腰開き互の目と棒映りは末備前へと受け継がれた。長光景光以来の梵字、三鈷剣、倶利迦羅、八幡大菩薩などの刀身彫もまた、末備前まで絶えず継承された一門の標である。 鑑定にあっては、まず鮮明な乱れ映りで一門を備前と読み、次に世代と系統の看どころで工を分かつ。蛙子丁子は光忠、丸い頭の丁子は長光、逆がかる片落ち互の目は景光、のたれと角互の目は兼光、耳形の刃は長義、角ばり逆がかる刃と蝉の羽根の肌は元重、ローソクの芯の帽子は応永備前という具合に、看どころが系統と時代を指し示す。嫡流の光忠、長光、景光、兼光は藤代の最上作に列し、なかでも長光は重要文化財の指定数が全刀工中最多で、嫡流の作には名物大般若長光や小龍景光をはじめ、織田信長、徳川家康、上杉謙信ら天下を握った者の手を経た作が多い。相伝備前の長義や兼長、応永備前の康光や盛光もそれぞれ重きをなし、別系の元重もまた南北朝備前の大きな名を保つ。嫡流の在銘作が市に現れることは稀で、大半は大磨上無銘の極めとして伝わるが、長光のごとく銘を惜しまなかった工の作はなお蒐集家の手の届く範囲にある。後世への影響は計り知れず、本流派の作風と刀身彫の伝統は末備前を通じて室町備前の主流をなし、備前伝そのものの規範となった。

刀剣商

サムライミュージアム

samuraimuseum.jp