説明

日本刀 刀 銘 大和守吉道(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書付) 【解説】 概要 本作は、本名を三品宇右衛門と称した大和守吉道(初代)による刀です。吉道は江戸時代前期(承応〜延宝頃:1652-1675年)の大坂で活躍した名工であり、初代大坂丹波守吉道の次男にあたります。父と同様、大坂三品派を代表する鍛冶の一人です。 大坂三品派と父・丹波守吉道について 三品派の祖である兼道は、もともと美濃国の出身で、名将・武田信玄の抱え鍛冶として腕を振るいました。後に四人の息子を連れて京都へ移り、三品派を創始。江戸時代初期において最も繁栄した流派の一つとなりました。 兼道の息子の一人が(京)丹波守吉道であり、その子が初代大坂丹波守吉道です。彼らは皆、高名な名工として知られています。 大坂丹波守吉道は、当初京都の父のもとで修行していましたが、後に大坂へ移り「大坂三品派」を確立しました。大和守吉道はその息子として、江戸初期の大坂において父と共に一派の隆盛を支えました。本作はその出来映えから、当時身分の高い武士のために特別に打たれた一振りであると推察されます。 大和守吉道について 日本刀の刃文には多くの種類がありますが、中でも「丁子乱れ」は非常に人気のある華やかな文様です。大和守吉道はこの丁子乱れを焼くことに極めて長けており、大坂の地における丁子乱れの名手としてその名を馳せました。その技量は朝廷からも高く評価され、優れた職人としての名誉である「大和守」を受領しました。 吉道の作品は「大坂新刀」に分類されます。新刀とは慶長から天明年間(1596-1781年)に作られた刀を指し、特にこの時期の大坂で打たれたものは大坂新刀と呼ばれます。豊臣秀吉による大坂城築城後、大坂は城下町、そして経済の中心地として繁栄しました。多くの刀工が機会を求めて大坂へ集まり、地元の武士のみならず、全国の諸大名のためにも刀を鍛えました。 大坂新刀の最大の特徴の一つは、地鉄(じがね)の美しさにあります。大坂は良質な玉鋼の産地へのアクセスが良く、刀工たちは極めて質の高い原料を入手できたため、澄んだ美しい地鉄を表現することが可能となりました。 本作は、公益財団法人 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されています。これは、保存状態が極めて良く、かつ美術的価値が高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 ※切先付近にわずかな鍛え傷(きたえきず)がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(長サ):70.6 cm 反り(反リ):1.6 cm 刃文(刃文):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地肌(地肌):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様。 切先(切先):刀身の先端部分。 茎(茎):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本の刀工は、柄の中での赤錆を防ぐために茎に黒錆を残します。この錆の色や状態は年月を経て形成されるもので、専門家が制作年代を推定する際の重要な指標となります。 拵(拵)

Antique Japanese Sword Katana Signed by Yamato no Kami Yoshimichi NBTHK Tokubetsu Hozon Certificate
Tokuho

Antique Japanese Sword Katana Signed by Yamato no Kami Yoshimichi NBTHK Tokubetsu Hozon Certificate

$13,639

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

70.6 cm

反り

1.6 cm

作者について

Mishina Yoshimichi吉道

2 御物4 重要刀剣

吉道は三品派の最も著名な名跡で、関兼道の子に始まる京を本拠とする新刀の一派である。初代丹波守吉道とその兄弟、伊賀守金道・越中守正俊は説明に並んで「三品系の巨匠」と称され、三品の作を江戸初期の上位へと押し上げた三工である。本記録はその名跡の大坂の系統を収める。中心に立つのは初代大坂丹波守吉道で、慶長三年に生まれて「三品金右衛門」と称し、京初代の次男として大坂に移住し大坂丹波の祖となった工であり、その周囲に、三品宇右衛門と呼ばれた子の大和守吉道と、説明が二代に極める一口が置かれる。兄金道・弟正俊が多岐な作風を見せたのに対し、吉道は一つの本領の銘に拠り、一派はその本領で記憶される。 その本領が簾刃である。のたれ・互の目の乱れに砂流しと金筋を幾重にも通し、簾の如く平行に縞がかるまで焼くもので、説明はこれを一派の代名詞と呼び、大坂丹波が他のいかなる作風よりも頻りに且つ巧みに焼いたとする。幅広く、やや寸延び、重ね厚い慶長新刀の体配の平造脇指に、初代は腰元へ直ぐの焼出しを長く取り、その上で焼幅を一段と広げ、小のたれを基調に互の目を交えて大きく華やかに乱れる。湯走りが長くさかんに通り、砂流しが二重・三重と重なって縞がかり簾刃となり、足が入り、沸が強くついて処々むらづき、金筋が部分的に長く入り、棟焼・飛焼を交える。帽子は浅く尖って突き上げ、頻りに掃きかけて火焰風となり、長く焼き下げる。説明はこれを常にも増して華やかで放胆な様と読み、お家芸の作域でありながら「京初代丹波守吉道を髣髴とさせるものがあり」と評する。 地鉄が刃を支える。初代の脇指の鍛えは杢を交えた小板目がつみ、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、流れて柾がかり処々肌立つ。焼出しそれ自体が一個の見どころである。説明は初代の直ぐの簾刃の焼出しを、上へ広まる大坂焼出しと区別し、ここでは上に行っても焼幅が均一の幅を保つ点を記す。大坂丹波の手の内の判別である。二代に極める細身の刀は同じ語彙を低く見せ、流れごころの板目に地沸つき、砂流し・互の目・足を交えた大乱れが簾刃となり、帽子は浅く濡れて大丸、先掃きかける。刃文が常で、体配と沸の強弱が、ここに収めた諸手の間の変数である。 名跡は単一の編年ではなく手と銘で読まれる。初代大坂丹波が簾刃の本領の手であり、子の大和守吉道は時代を並行する対照の一手をなす。元先の幅差つく幅広の鎬造の刀に、大和守は家の簾刃ではなく説明のいう「中河内風の丁子乱れ」を焼き、足繁く入り、小沸つき、砂流し処々かかり、帽子は僅かに湾れて先小丸とし、時に僅かに家伝の刃を交え、稀に瀾の中に丁子を交えた一竿子風の濤瀾を見せる。説明はこの刀を同作中の出色とし、中河内に比してやや沸が強いとし、大坂初・二代丹波守吉道、二代河内守国助との合作を記して、これら大坂の刀工の交流を辿らせる。二代の一口が継承を閉じる。説明は「同工の特色ある簾刃を焼いて」賤しからず、細身ながら出来がよいと記す。 一派の中では、この系統はその銘によって最もよく位置づけられる。初代の簾刃は「一派のお家芸である簾刃を最も得意としており」、直ぐで均一の焼出しと尖って掃きかける帽子が、近隣の上へ広まる大坂焼出しからも、子の好んだ丁子からも、その手を分かつ。京初代とは最も混同されやすく、最も注意して分けられる。大坂は菊紋をきらず京は二代以降これをきるため、説明は銘の「守」の字を決め手とし、ウ冠の下の「寸」を大坂は真っすぐ、京は斜に打つとする。説明は後代の歩みにも率直で、「代が下るに従って」作風が一層技巧的で一律となり、刃文が一つの型へ落ち着いて祖の個性が薄れたと観る。 初代大坂は藤代の上作に位し、本記録ではこれら四口が重要刀剣の列にあって、それ以上の指定はない。伝来は僅かながら名誉あるもので、一口は皇室の蔵に伝わる――売買されるよりも護られる類の伝来であり――いま一口にも伝来の記録がある。本記録には国宝・重要文化財と呼べるものはなく、所在も数少ないため、指定を受けた大坂丹波吉道はしばしば現れる刀ではない。現れるとすれば多くは平造の慶長新刀の体配の重要の脇指または刀であり、個人の蔵へ来るのは折にふれ、忍耐を以てである。一つの銘を数代が継いだ名にあって、遺る指定作は各々が線上の記された一点であって通例ではなく、健全な刀に焼かれた簾刃が、三品派のこの大坂の系統を知る最も確かな標である。

刀剣商

サムライミュージアム

samuraimuseum.jp