徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
宗有は固山宗次の門人と伝え、茎仕立てと銘字が固山宗次に酷似している。「應飯田荘士需 宗有作 安政六十月於千住八ツ頭別土壇拂」と銘した冠落造脇差(『銀座情報』百三十一号)を始め、截断銘のある遺例があり、美しさと切れ味を目指した師宗次の意志をよく継承している。独立後は江戸青山にて精壮斎と号し、陸奥国八戸藩に仕えたと伝えている。宗有は師宗次が安政七年切鑢に改めた後も化粧の付いた筋違鑢を用いていることから、独立は安政六年以前と推考される。 この短刀は「慶應三年冬」即ち同年十月から十二月の作で、「於粟田」とあることから京粟田口での作とみられる。造り込みは、身幅が広く重ね厚く量感のある特別な姿。よく詰んだ小板目鍛えの地鉄は地沸が均一に付いて棟寄りに湯走りが掛かり、細かに肌起って活力に満ちている。箱がかった互の目が連続する刃文は、互の目の中に小丁子を交え、匂口が締まって明るく冴え、匂で澄む刃中には匂足が柔らかく射す。帽子は浅く弛んで中丸長めに返り処々棟を焼く。茎は常に見る鑢とは異なり師宗次と同じ切鑢で丁寧に仕立てられ、銘字は宗次に酷似し、刃形も同時期の宗次同然にて師弟の特別の交流を想わせる。 瀟洒な小さ刀拵が附帯している。
取扱店 銀座長州屋













武蔵 · 1854-1860頃
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江戸時代
徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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