説明

備州長船祐定(fss-988) 備州長船祐定 国・時代:備前国(岡山県)ー室町時代後期、永禄十年八月日(1567年) 長さ:71.5 cm 反り:2.5 cm 元幅:3.22 cm 先幅:2.55 cm 元重:0.77 cm 先重:0.60 cm 拵:白鞘 鎺:金着一重 姿:鎬造、庵棟、中切先 茎:生茎、勝手下り鑢目、目釘孔一個 刃文は、互の目に丁子が混じり、飛び焼を交えて華やかに乱れ、さらに棟の半分ほどに及ぶ棟焼が見事に施されています。地鉄は板目肌がよく練れ、一部に杢目を交え、総じて地景などの働きが豊富です。 室町時代の長船祐定派は、当時の旺盛な需要に応えるべく膨大な数の刀剣を世に送り出しました。その中にはいわゆる「数打物」も含まれますが、一方で入念な鍛錬と仕上げが施された「注文打」と呼ばれる極めて質の高い優品が存在します。本作はその上位に位置する一振りです。 年紀が刻まれた本作は、身幅広く重ね厚く、深く優美な反りがついており、量産品とは一線を画す特注品であることを示唆しています。目釘孔一個の生茎であることも、製作当時の姿と健全性を今日に伝えている証と言えるでしょう。これらの特徴から、本作は祐定一門の中でも技量の高い上位の職人による手掛けと推測されます。 本作が製作された永禄年間は、彦兵衛祐定の子である二代与三左衛門尉祐定や源兵衛尉祐定らが一門を牽引していた長船派の重要な時期にあたります。また、永禄十年(1567年)は織田信長が岐阜城を攻略し、天下布武への大きな一歩を踏み出した、日本史においても極めて重要な年でもあります。 鑑定書:日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣鑑定書 銘:備州長船祐定 裏年紀:永禄十年八月日 長さ:約71.5 cm 本刀は2014年7月9日付で、日本美術刀剣保存協会より「特別保存刀剣」に認定されました。 初回の銃刀法登録は1962年9月8日(大阪府)です。 最新情報を受け取る Nihonto Antiquesの最新ニュースや更新情報をお届けします。 購読する ご登録ありがとうございました。 お客様のメールアドレスは厳重に管理され、当サイトからの更新情報の送信のみに使用されます。

Bishū Osafune Sukesada
Tokuho

Bishū Osafune Sukesada

価格はお問い合わせ

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

流派

Osafune

時代

Tenmon-Eiroku (1532-1570)

仕様

長さ

71.5 cm

反り

2.5 cm

元幅

3.22 cm

先幅

2.55 cm

流派について

Sukesada School祐定派

3 重要刀剣

祐定派は、室町時代後期に備前国長船(現在の岡山県瀬戸内市)の地に栄えた末備前の主流工房である。鎌倉以来の長船鍛冶が太刀の時代を閉じ、太刀に代わって身幅の広い長大な打刀を諸手で用いる時代に入ると、祐定の名はその新しい需要を一手に担う一群の総称となった。説明書がこれを末長船で最も繁栄した一家と記すとおり、祐定を切った工は数十を数え、近世の刀剣書は俗名を冠した者だけでも二十一人を挙げる。その大群のなかで腕においても名においても抜きん出るのが、俗名を負った数工である。最も著名にして上手とされる与三左衛門尉祐定、その父と伝える彦兵衛尉祐定、豪壮の鍛えで知られる源兵衛尉祐定、二様の作風を能くする彦左衛門尉祐定らがそれで、初代与三左衛門尉は天文六年紀の短刀から逆算して応仁元年の生まれと推定され、永正から天文にかけて一派の頂点に立った。これら名工の入念な注文打のかたわら、戦国の旺盛な需要に応える数打物が大量に鍛えられ、一派は名工と量産の二つの層を同時に抱えた。 作風には末備前の工房がわがものとした明らかな共通語法がある。刃文を統べる一つの極は、腰の開いた互の目が複式の乱れに組み上がる腰開きの複式互の目で、これに小互の目丁子・尖り刃を交え、足・葉さかんに入り、匂本位に小沸つき、小さな飛焼を交えて匂口が明るい。いま一つの極は、意図して静かな直刃あるいは広直刃で、これに小互の目を交え、砂流し・金筋がかかる。地鉄はいずれの刃の下でも小板目をよくつめて鍛え、地沸を微塵に敷き、地景を細かに織りなして、鎬寄りに淡く乱れ映りが立つことがあり、鎌倉全盛の明るい映りの名残をわずかに残す。帽子は乱れ込みに小丸となり、あるいは尖りごころに掃きかけて返る。姿は寸延びて身幅広く、重ね厚く先反りつき、両手打に適した茎となるのが時代の徴である。これらの特徴は一派を通じて繰り返されるが、名工と数打を分かつのは作域の広さと地刃の冴えである。与三左衛門尉は複式互の目に加えて沸深い皆焼と穏やかな直刃の双方を能くし、源兵衛尉は鍛錬の定評と広直刃に、彦兵衛尉は直刃を地としつつ備前本来の賑やかな乱れに、彦左衛門尉は華やかな乱れと静かな直刃の二様に、それぞれの手を見せる。これに対し数打物は作風相似て個性に乏しく、地刃の働きも浅い。 鑑定の勘所は、まずこの名工と数打との別を見極めることにある。名工の注文打は地鉄が精良で地刃の沸がよくつき匂口冴え、年紀の傍らに所持者の銘を負うものが多い。源兵衛尉の天文二十三年紀の刀は惟宗忠頼の所持銘を、彦左衛門尉の天正四年の刀は播州の和田出雲守のための「為播州住和田出雲守重代延之也」の銘を負い、説明書はかかる為打・注文打があればこそ末備前の名声が高いと明言する。三工のうちでも与三左衛門尉の格はとりわけ高く、説明書は与三左衛門尉を冠するものが最も有名にして上手と記し、その典型作を末備前を代表する一口と位置づける。切れ味の評にあっても末備前は実用刀として重んじられ、戦国の武器としての需要がこの隆盛を支えた。伝来もまた一派の評価を裏づけ、与三左衛門尉の五十七歳の作は蜂須賀家に伝わり、ほかに毛利家・井伊家、皇室の御物、武将山中鹿介の所持と伝える脇指などが数えられる。幅広く明るく、腰の開いた互の目の冴えて読める在銘年紀の祐定は、長船がその最後の偉大な世代にいかに鍛えたかを語る確かな一証である。

刀剣商

Nihonto Antiques

nihontoantiques.com

価格はお問い合わせ

Nihonto Antiquesで見る