江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
Stock number:WA-050418Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon TokenCountry・Era:Kaga (Kanazawa)・Edo era about 1673Blade length(Cutting edge): 57cmCurve(SORI): Inner curve 1.0cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.15cmThickness at the Moto-Kasane: 0.68cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.4cmThickness at the Saki-Kasane: 0.54cmLength of Koshirae : about 73cmHabaki: One parts, Silver HabakiSword tang(Nakago): Unaltered, Kattesagari file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Chu-kissaki, Shinogizukuri, IorimuneJigane(Hada): Itame with JinieTemper patterns(Hamon): Gunome-choji MidareTemper patterns in the point(Bohshi): Notare KomaruRegistration Card: Ishikawa【Additional Information】賀州住兼若と言えば、当時の 加州では「たとえ禄が低くとも”兼若”を持つ者には嫁にやる」と言われるほどの誉れ高き名工です。武用に適した刀であったことが窺い知れます。加賀前田家の武士達は多少の無理をしてでも兼若の刀をこぞって入手しようとしたに違いありません。よい物は今も昔も変わらないものです。前田家には多くの鍛冶が抱えられていましたが、兼若はその中で最も腕前が良い刀匠であり、初代から数代にわたり名作を残しています。現存する初代兼若では、慶長十四年の年紀のあるものが最古で、元和五年まで同銘を見ます。本品は賀州住兼若の三代作で四郎右衛門の作品です。三代目の四郎右衛門兼若は、父二代兼若の晩年に代作をもなした名手で、延宝五年に父が没すると兼若を襲名し、作柄父同様なるも出来優れる刀を残しました。寛永八年没しています。御刀体配は、刃長が一尺八寸七分ほどで身幅重ね共に尋常、姿がきれいな脇差です。地鉄は板目肌が練れて地沸がつく強靭な地金です。刃紋は、匂勝ちで明るい小沸が付く冴えた刃で、高低ある逆さ掛かった互の目丁子乱れ刃紋を焼いています。帽子は湾れ調子になって小丸へ返ります。茎は生ぶで状態は文句なしです。写真の通り、立派な拵が付いております。本刀は、嫁がもらえるとかで人気の、賀州住兼若三代の拵付優品です。銀着せ一重加州はばき、白鞘有、特別保存刀剣鑑定書。







新刀 · 加賀 · 1673-1681頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位60%
現在1点販売中
兼若の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 加賀
現在6点販売中
加州兼若は、加賀国金沢に興った新刀の一門である。その祖は美濃国関の四方助兼若の子と伝え、後に加賀へ移住して鍛刀した工に始まる。初代は辻村甚六と称し、のちに四郎右衛門尉を名乗り、現存する加州打の作刀は慶長十二年ないし十四年紀に始まる。元和五年頃に越中守を受領し、名を高平と改めたとされ、銘も「賀州住兼若造」の六字銘から、受領後は「越中守藤原高平」と切るものが多くなる。二代は又助といい、初代の三男にあたり、「越中守高平三男兼若」[[c:1]]と銘したものや、「加州住兼若 辻村又助年五十三歳造之」[[c:2]]と俗名を入れた作からその出自と年齢が知られる。これに徴すれば慶長十七年の生まれで、寛永から延宝にかけて活躍し、延宝五年に六十六歳で歿している。三代は初代同様に四郎右衛門を名乗り、二代又助の嫡子であって、その刀歴は寛文から正徳に及び、初期には父又助の代作・代銘の仕事も多かったと伝える。 作風は、出身地である美濃の色の濃いものが多い。鍛えは板目に処々柾がかって流れ、肌立ちごころに地沸つき、地景の入るものが見られ、かねが少しく黒みをおびて冴える点に北国物の態がうかがわれる。刃文は湾れ調に互の目、尖り刃、箱がかった刃を交え、足が入り、沸がよくつき、砂流し、金筋がかかり、帽子は乱れ込んで先掃きかけるものが多い。直江志津、美濃志津の風を示す作はことに上手とされる。代の判別には箱刃の現れ方が一つの目安となり、初代の箱がかった刃は沸崩れごころとなって味があるのに対し、二代、三代になるとはっきりとした箱刃を焼く傾向が強まる。地鉄に純然たる柾目を見せる作は三代にまま現れ、刃縁がほつれて砂流し頻りに、帽子も掃きかけて焼詰めごころとなるなど、大和伝に徹したものもある。短刀や剣の作は遺存が少なく、いずれも出来がよい。 鑑定にあたっては、まず美濃色の濃い乱刃と箱がかった刃の質を見、銘振りと俗名・受領銘の有無から代を見分けるのが要点となる。初代の二字銘の作には古調で直江志津ごころを示すものがあり、典型作の一として伝えられる。越中守高平と改名した後の作には、辻村越中守藤原高平と二行に切り、試切の截断銘を金象嵌したものもあり、五度の試し切りを記して切味を示した一口が知られる。三代の柾目鍛えの太刀には葦手絵蒔絵毛抜形太刀が附帯する例もある。加州兼若は前田藩の地に根を張った美濃系の新刀工として数代に及び、その作は加州物の特色をよく示すとともに、銘文に俗名を加えた資料性の高い作も伝わって、新刀加賀鍛冶を考える上で重んじられている。 詳しく見る →
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).
Stock number:WA-050418Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon TokenCountry・Era:Kaga (Kanazawa)・Edo era about 1673Blade length(Cutting edge): 57cmCurve(SORI): Inner curve 1.0cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.15cmThickness at the Moto-Kasane: 0.68cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.4cmThickness at the Saki-Kasane: 0.54cmLength of Koshirae : about 73cmHabaki: One parts, Silver HabakiSword tang(Nakago): Unaltered, Kattesagari file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Chu-kissaki, Shinogizukuri, IorimuneJigane(Hada): Itame with JinieTemper patterns(Hamon): Gunome-choji MidareTemper patterns in the point(Bohshi): Notare KomaruRegistration Card: Ishikawa【Additional Information】賀州住兼若と言えば、当時の 加州では「たとえ禄が低くとも”兼若”を持つ者には嫁にやる」と言われるほどの誉れ高き名工です。武用に適した刀であったことが窺い知れます。加賀前田家の武士達は多少の無理をしてでも兼若の刀をこぞって入手しようとしたに違いありません。よい物は今も昔も変わらないものです。前田家には多くの鍛冶が抱えられていましたが、兼若はその中で最も腕前が良い刀匠であり、初代から数代にわたり名作を残しています。現存する初代兼若では、慶長十四年の年紀のあるものが最古で、元和五年まで同銘を見ます。本品は賀州住兼若の三代作で四郎右衛門の作品です。三代目の四郎右衛門兼若は、父二代兼若の晩年に代作をもなした名手で、延宝五年に父が没すると兼若を襲名し、作柄父同様なるも出来優れる刀を残しました。寛永八年没しています。御刀体配は、刃長が一尺八寸七分ほどで身幅重ね共に尋常、姿がきれいな脇差です。地鉄は板目肌が練れて地沸がつく強靭な地金です。刃紋は、匂勝ちで明るい小沸が付く冴えた刃で、高低ある逆さ掛かった互の目丁子乱れ刃紋を焼いています。帽子は湾れ調子になって小丸へ返ります。茎は生ぶで状態は文句なしです。写真の通り、立派な拵が付いております。本刀は、嫁がもらえるとかで人気の、賀州住兼若三代の拵付優品です。銀着せ一重加州はばき、白鞘有、特別保存刀剣鑑定書。







新刀 · 加賀 · 1673-1681頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位60%
現在1点販売中
兼若の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 加賀
現在6点販売中
加州兼若は、加賀国金沢に興った新刀の一門である。その祖は美濃国関の四方助兼若の子と伝え、後に加賀へ移住して鍛刀した工に始まる。初代は辻村甚六と称し、のちに四郎右衛門尉を名乗り、現存する加州打の作刀は慶長十二年ないし十四年紀に始まる。元和五年頃に越中守を受領し、名を高平と改めたとされ、銘も「賀州住兼若造」の六字銘から、受領後は「越中守藤原高平」と切るものが多くなる。二代は又助といい、初代の三男にあたり、「越中守高平三男兼若」[[c:1]]と銘したものや、「加州住兼若 辻村又助年五十三歳造之」[[c:2]]と俗名を入れた作からその出自と年齢が知られる。これに徴すれば慶長十七年の生まれで、寛永から延宝にかけて活躍し、延宝五年に六十六歳で歿している。三代は初代同様に四郎右衛門を名乗り、二代又助の嫡子であって、その刀歴は寛文から正徳に及び、初期には父又助の代作・代銘の仕事も多かったと伝える。 作風は、出身地である美濃の色の濃いものが多い。鍛えは板目に処々柾がかって流れ、肌立ちごころに地沸つき、地景の入るものが見られ、かねが少しく黒みをおびて冴える点に北国物の態がうかがわれる。刃文は湾れ調に互の目、尖り刃、箱がかった刃を交え、足が入り、沸がよくつき、砂流し、金筋がかかり、帽子は乱れ込んで先掃きかけるものが多い。直江志津、美濃志津の風を示す作はことに上手とされる。代の判別には箱刃の現れ方が一つの目安となり、初代の箱がかった刃は沸崩れごころとなって味があるのに対し、二代、三代になるとはっきりとした箱刃を焼く傾向が強まる。地鉄に純然たる柾目を見せる作は三代にまま現れ、刃縁がほつれて砂流し頻りに、帽子も掃きかけて焼詰めごころとなるなど、大和伝に徹したものもある。短刀や剣の作は遺存が少なく、いずれも出来がよい。 鑑定にあたっては、まず美濃色の濃い乱刃と箱がかった刃の質を見、銘振りと俗名・受領銘の有無から代を見分けるのが要点となる。初代の二字銘の作には古調で直江志津ごころを示すものがあり、典型作の一として伝えられる。越中守高平と改名した後の作には、辻村越中守藤原高平と二行に切り、試切の截断銘を金象嵌したものもあり、五度の試し切りを記して切味を示した一口が知られる。三代の柾目鍛えの太刀には葦手絵蒔絵毛抜形太刀が附帯する例もある。加州兼若は前田藩の地に根を張った美濃系の新刀工として数代に及び、その作は加州物の特色をよく示すとともに、銘文に俗名を加えた資料性の高い作も伝わって、新刀加賀鍛冶を考える上で重んじられている。 詳しく見る →
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).