徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
日本刀 脇差 銘 賀州住兼若(三代) 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣 【解説】 概要 本作は「賀州住兼若」と銘が切られた一振りです。「賀州」とは現在の石川県にあたる加賀国の別称であり、この銘は作者が加賀に居住し作刀したことを示しています。日本美術刀剣保存協会(日美工)の鑑定によれば、本作は江戸時代中期(延宝〜元禄頃:1673-1704年)に活躍した四郎右衛門兼若、すなわち「三代兼若」の手によるものです。兼若の名は加賀国を代表する名門として知られ、江戸時代を通じて数代にわたりその卓越した技を伝えました。 初代兼若は美濃国(現在の岐阜県)の出身ですが、江戸時代初期、加賀藩三代藩主・前田利常公に召し抱えられ、加賀へと移住しました。以来、兼若一門は加賀藩前田家の御用鍛冶として、藩士たちのために数多くの名刀を打ち続けました。その高い技術力ゆえ、歴代の兼若は代々藩の厚い庇護を受けています。 三代兼若は、二代又助兼若の長男として生まれました。弟には同じく名工として名高い出羽守高平がいます。なお、父である二代兼若は、初代の三男にあたります。 三代兼若は、父の晩年にはその代作を多く務めたと伝えられています。「代作」とは、師匠の許しを得て弟子や子が師に代わって作刀、あるいは銘を切ることであり、これは三代の技量が父より高く評価されていた証でもあります。延宝5年に父が没した後、家督を継ぎ正式に三代兼若を襲名しました。 加賀前田家について 前田家はもともと尾張国(現在の愛知県名古屋市周辺)の織田家に仕えた家系です。家祖・前田利家公は、織田信長公や豊臣秀吉公と深く関わりながら武功を挙げ、加賀国を治める大名へと昇り詰めました。加賀藩は「加賀百万石」と称される国内最大級の石高を誇り、侍の歴史において最も有力な家系の一つです。初代兼若が美濃にいた頃から、すでに利家公のために作刀していたという縁も伝えられています。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に認定されています。この鑑定書は、保存状態が極めて良く、かつ美術的価値の高い真作の日本刀にのみ与えられるものです。 【刀身】 長さ(刃長):53.1 cm 反り:0.8 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地鉄(肌):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様。 茎(なかご):刀身の柄に収まる部分。 日本刀の茎には、赤錆を防ぐために意図的に「黒錆」が残されます。この茎の錆色や経年変化は、専門家が制作年代を推定する際の重要な指標となります。 鎺(はばき):刀身が鞘の内部に直接触れるのを防ぎ、刀身を固定して錆や欠けから守るための金具。 鑑定書:日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣鑑定書(第1007836号) 日本美術刀剣保存協会は、日本刀の保存と鑑定において最も権威のある組織の一つです。













新刀 · 加賀 · 1673-1681頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位60%
現在1点販売中
兼若の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 加賀
現在6点販売中
加州兼若は、加賀国金沢に興った新刀の一門である。その祖は美濃国関の四方助兼若の子と伝え、後に加賀へ移住して鍛刀した工に始まる。初代は辻村甚六と称し、のちに四郎右衛門尉を名乗り、現存する加州打の作刀は慶長十二年ないし十四年紀に始まる。元和五年頃に越中守を受領し、名を高平と改めたとされ、銘も「賀州住兼若造」の六字銘から、受領後は「越中守藤原高平」と切るものが多くなる。二代は又助といい、初代の三男にあたり、「越中守高平三男兼若」[[c:1]]と銘したものや、「加州住兼若 辻村又助年五十三歳造之」[[c:2]]と俗名を入れた作からその出自と年齢が知られる。これに徴すれば慶長十七年の生まれで、寛永から延宝にかけて活躍し、延宝五年に六十六歳で歿している。三代は初代同様に四郎右衛門を名乗り、二代又助の嫡子であって、その刀歴は寛文から正徳に及び、初期には父又助の代作・代銘の仕事も多かったと伝える。 作風は、出身地である美濃の色の濃いものが多い。鍛えは板目に処々柾がかって流れ、肌立ちごころに地沸つき、地景の入るものが見られ、かねが少しく黒みをおびて冴える点に北国物の態がうかがわれる。刃文は湾れ調に互の目、尖り刃、箱がかった刃を交え、足が入り、沸がよくつき、砂流し、金筋がかかり、帽子は乱れ込んで先掃きかけるものが多い。直江志津、美濃志津の風を示す作はことに上手とされる。代の判別には箱刃の現れ方が一つの目安となり、初代の箱がかった刃は沸崩れごころとなって味があるのに対し、二代、三代になるとはっきりとした箱刃を焼く傾向が強まる。地鉄に純然たる柾目を見せる作は三代にまま現れ、刃縁がほつれて砂流し頻りに、帽子も掃きかけて焼詰めごころとなるなど、大和伝に徹したものもある。短刀や剣の作は遺存が少なく、いずれも出来がよい。 鑑定にあたっては、まず美濃色の濃い乱刃と箱がかった刃の質を見、銘振りと俗名・受領銘の有無から代を見分けるのが要点となる。初代の二字銘の作には古調で直江志津ごころを示すものがあり、典型作の一として伝えられる。越中守高平と改名した後の作には、辻村越中守藤原高平と二行に切り、試切の截断銘を金象嵌したものもあり、五度の試し切りを記して切味を示した一口が知られる。三代の柾目鍛えの太刀には葦手絵蒔絵毛抜形太刀が附帯する例もある。加州兼若は前田藩の地に根を張った美濃系の新刀工として数代に及び、その作は加州物の特色をよく示すとともに、銘文に俗名を加えた資料性の高い作も伝わって、新刀加賀鍛冶を考える上で重んじられている。 詳しく見る →
徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 脇差 銘 賀州住兼若(三代) 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣 【解説】 概要 本作は「賀州住兼若」と銘が切られた一振りです。「賀州」とは現在の石川県にあたる加賀国の別称であり、この銘は作者が加賀に居住し作刀したことを示しています。日本美術刀剣保存協会(日美工)の鑑定によれば、本作は江戸時代中期(延宝〜元禄頃:1673-1704年)に活躍した四郎右衛門兼若、すなわち「三代兼若」の手によるものです。兼若の名は加賀国を代表する名門として知られ、江戸時代を通じて数代にわたりその卓越した技を伝えました。 初代兼若は美濃国(現在の岐阜県)の出身ですが、江戸時代初期、加賀藩三代藩主・前田利常公に召し抱えられ、加賀へと移住しました。以来、兼若一門は加賀藩前田家の御用鍛冶として、藩士たちのために数多くの名刀を打ち続けました。その高い技術力ゆえ、歴代の兼若は代々藩の厚い庇護を受けています。 三代兼若は、二代又助兼若の長男として生まれました。弟には同じく名工として名高い出羽守高平がいます。なお、父である二代兼若は、初代の三男にあたります。 三代兼若は、父の晩年にはその代作を多く務めたと伝えられています。「代作」とは、師匠の許しを得て弟子や子が師に代わって作刀、あるいは銘を切ることであり、これは三代の技量が父より高く評価されていた証でもあります。延宝5年に父が没した後、家督を継ぎ正式に三代兼若を襲名しました。 加賀前田家について 前田家はもともと尾張国(現在の愛知県名古屋市周辺)の織田家に仕えた家系です。家祖・前田利家公は、織田信長公や豊臣秀吉公と深く関わりながら武功を挙げ、加賀国を治める大名へと昇り詰めました。加賀藩は「加賀百万石」と称される国内最大級の石高を誇り、侍の歴史において最も有力な家系の一つです。初代兼若が美濃にいた頃から、すでに利家公のために作刀していたという縁も伝えられています。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に認定されています。この鑑定書は、保存状態が極めて良く、かつ美術的価値の高い真作の日本刀にのみ与えられるものです。 【刀身】 長さ(刃長):53.1 cm 反り:0.8 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地鉄(肌):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様。 茎(なかご):刀身の柄に収まる部分。 日本刀の茎には、赤錆を防ぐために意図的に「黒錆」が残されます。この茎の錆色や経年変化は、専門家が制作年代を推定する際の重要な指標となります。 鎺(はばき):刀身が鞘の内部に直接触れるのを防ぎ、刀身を固定して錆や欠けから守るための金具。 鑑定書:日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣鑑定書(第1007836号) 日本美術刀剣保存協会は、日本刀の保存と鑑定において最も権威のある組織の一つです。













新刀 · 加賀 · 1673-1681頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位60%
現在1点販売中
兼若の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 加賀
現在6点販売中
加州兼若は、加賀国金沢に興った新刀の一門である。その祖は美濃国関の四方助兼若の子と伝え、後に加賀へ移住して鍛刀した工に始まる。初代は辻村甚六と称し、のちに四郎右衛門尉を名乗り、現存する加州打の作刀は慶長十二年ないし十四年紀に始まる。元和五年頃に越中守を受領し、名を高平と改めたとされ、銘も「賀州住兼若造」の六字銘から、受領後は「越中守藤原高平」と切るものが多くなる。二代は又助といい、初代の三男にあたり、「越中守高平三男兼若」[[c:1]]と銘したものや、「加州住兼若 辻村又助年五十三歳造之」[[c:2]]と俗名を入れた作からその出自と年齢が知られる。これに徴すれば慶長十七年の生まれで、寛永から延宝にかけて活躍し、延宝五年に六十六歳で歿している。三代は初代同様に四郎右衛門を名乗り、二代又助の嫡子であって、その刀歴は寛文から正徳に及び、初期には父又助の代作・代銘の仕事も多かったと伝える。 作風は、出身地である美濃の色の濃いものが多い。鍛えは板目に処々柾がかって流れ、肌立ちごころに地沸つき、地景の入るものが見られ、かねが少しく黒みをおびて冴える点に北国物の態がうかがわれる。刃文は湾れ調に互の目、尖り刃、箱がかった刃を交え、足が入り、沸がよくつき、砂流し、金筋がかかり、帽子は乱れ込んで先掃きかけるものが多い。直江志津、美濃志津の風を示す作はことに上手とされる。代の判別には箱刃の現れ方が一つの目安となり、初代の箱がかった刃は沸崩れごころとなって味があるのに対し、二代、三代になるとはっきりとした箱刃を焼く傾向が強まる。地鉄に純然たる柾目を見せる作は三代にまま現れ、刃縁がほつれて砂流し頻りに、帽子も掃きかけて焼詰めごころとなるなど、大和伝に徹したものもある。短刀や剣の作は遺存が少なく、いずれも出来がよい。 鑑定にあたっては、まず美濃色の濃い乱刃と箱がかった刃の質を見、銘振りと俗名・受領銘の有無から代を見分けるのが要点となる。初代の二字銘の作には古調で直江志津ごころを示すものがあり、典型作の一として伝えられる。越中守高平と改名した後の作には、辻村越中守藤原高平と二行に切り、試切の截断銘を金象嵌したものもあり、五度の試し切りを記して切味を示した一口が知られる。三代の柾目鍛えの太刀には葦手絵蒔絵毛抜形太刀が附帯する例もある。加州兼若は前田藩の地に根を張った美濃系の新刀工として数代に及び、その作は加州物の特色をよく示すとともに、銘文に俗名を加えた資料性の高い作も伝わって、新刀加賀鍛冶を考える上で重んじられている。 詳しく見る →
徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.