説明

Stock number:KA-100418Paper(Certificate):[N.B.T.H.K] Jyuyo TokenCountry・Era:Settsu(Osaka)・Edo era about 1661~Blade length(Cutting edge): 75.8cmCurve(SORI): 1.4cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.15cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.2cmHabaki: Two parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Unaltered, Kattesagari file patternRivet Holes(Mekugiana): 2Shape(Taihai): Chu-kissaki, Shinogizukuri, IorimuneEngraving: Bohi on each sideJigane(Hada): Koitame with JinieTemper patterns(Hamon): Choji-midare and Gunome with KonieTemper patterns in the point(Bohshi): Notare KomaruRegistration Card: Kochi【Additional Information】【重要刀剣図譜より】法量長さ七五・八糎 反り一・四糎 元幅三・一五糎 先幅二・二糎 鋒長さ三・八糎 茎長さ二一・〇糎 茎反りごく僅か形状鎬造、庵棟、身幅広く、元先の幅差つき、中鋒。鍛小板目肌つみ、地沸つく。刃文丁子乱れに互の目交じり、足繁く入り、小沸つき、処々砂流しかかる。帽子僅かに湾れて先小丸。彫物表裏に丸止めの棒樋。茎生ぶ、先入山形、鑢目勝手下り、目釘孔二、指表、棟寄りに太鏨の五字銘がある。説明大和守吉道は、大阪初代丹波守吉道の次男で三品宇右衛門と言い、万治・寛文の頃に活躍している。作風は中河内風の丁子乱れが多く、時には僅かに家伝の簾刃が交じりものもある。また稀に濤瀾風の作を見ることがあるが、濤瀾の中に丁子を交じえて一竿子風の作域を示している。この刀は同作中、出色の出来であり、中河内に比すとやや沸が強い。 なお同作には大阪初二代丹波守吉道、二代河内守国助との合作があり、これらの刀工の交流関係を知ることが出来る。白鞘、金着せ二重はばき、第24回重要刀剣鑑定書。

Katana [Yamatonokami Yoshimichi][N.B.T.H.K] Jyuyo Token
売切れ
Jūyō売切れ

Katana [Yamatonokami Yoshimichi][N.B.T.H.K] Jyuyo Token

売却済

世界76社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

75.8 cm

反り

1.4 cm

元幅

3.15 cm

先幅

2.2 cm

作者について

Mishina Yoshimichi吉道

2 御物4 重要刀剣

吉道は三品派の最も著名な名跡で、関兼道の子に始まる京を本拠とする新刀の一派である。初代丹波守吉道とその兄弟、伊賀守金道・越中守正俊は説明に並んで「三品系の巨匠」と称され、三品の作を江戸初期の上位へと押し上げた三工である。本記録はその名跡の大坂の系統を収める。中心に立つのは初代大坂丹波守吉道で、慶長三年に生まれて「三品金右衛門」と称し、京初代の次男として大坂に移住し大坂丹波の祖となった工であり、その周囲に、三品宇右衛門と呼ばれた子の大和守吉道と、説明が二代に極める一口が置かれる。兄金道・弟正俊が多岐な作風を見せたのに対し、吉道は一つの本領の銘に拠り、一派はその本領で記憶される。 その本領が簾刃である。のたれ・互の目の乱れに砂流しと金筋を幾重にも通し、簾の如く平行に縞がかるまで焼くもので、説明はこれを一派の代名詞と呼び、大坂丹波が他のいかなる作風よりも頻りに且つ巧みに焼いたとする。幅広く、やや寸延び、重ね厚い慶長新刀の体配の平造脇指に、初代は腰元へ直ぐの焼出しを長く取り、その上で焼幅を一段と広げ、小のたれを基調に互の目を交えて大きく華やかに乱れる。湯走りが長くさかんに通り、砂流しが二重・三重と重なって縞がかり簾刃となり、足が入り、沸が強くついて処々むらづき、金筋が部分的に長く入り、棟焼・飛焼を交える。帽子は浅く尖って突き上げ、頻りに掃きかけて火焰風となり、長く焼き下げる。説明はこれを常にも増して華やかで放胆な様と読み、お家芸の作域でありながら「京初代丹波守吉道を髣髴とさせるものがあり」と評する。 地鉄が刃を支える。初代の脇指の鍛えは杢を交えた小板目がつみ、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、流れて柾がかり処々肌立つ。焼出しそれ自体が一個の見どころである。説明は初代の直ぐの簾刃の焼出しを、上へ広まる大坂焼出しと区別し、ここでは上に行っても焼幅が均一の幅を保つ点を記す。大坂丹波の手の内の判別である。二代に極める細身の刀は同じ語彙を低く見せ、流れごころの板目に地沸つき、砂流し・互の目・足を交えた大乱れが簾刃となり、帽子は浅く濡れて大丸、先掃きかける。刃文が常で、体配と沸の強弱が、ここに収めた諸手の間の変数である。 名跡は単一の編年ではなく手と銘で読まれる。初代大坂丹波が簾刃の本領の手であり、子の大和守吉道は時代を並行する対照の一手をなす。元先の幅差つく幅広の鎬造の刀に、大和守は家の簾刃ではなく説明のいう「中河内風の丁子乱れ」を焼き、足繁く入り、小沸つき、砂流し処々かかり、帽子は僅かに湾れて先小丸とし、時に僅かに家伝の刃を交え、稀に瀾の中に丁子を交えた一竿子風の濤瀾を見せる。説明はこの刀を同作中の出色とし、中河内に比してやや沸が強いとし、大坂初・二代丹波守吉道、二代河内守国助との合作を記して、これら大坂の刀工の交流を辿らせる。二代の一口が継承を閉じる。説明は「同工の特色ある簾刃を焼いて」賤しからず、細身ながら出来がよいと記す。 一派の中では、この系統はその銘によって最もよく位置づけられる。初代の簾刃は「一派のお家芸である簾刃を最も得意としており」、直ぐで均一の焼出しと尖って掃きかける帽子が、近隣の上へ広まる大坂焼出しからも、子の好んだ丁子からも、その手を分かつ。京初代とは最も混同されやすく、最も注意して分けられる。大坂は菊紋をきらず京は二代以降これをきるため、説明は銘の「守」の字を決め手とし、ウ冠の下の「寸」を大坂は真っすぐ、京は斜に打つとする。説明は後代の歩みにも率直で、「代が下るに従って」作風が一層技巧的で一律となり、刃文が一つの型へ落ち着いて祖の個性が薄れたと観る。 初代大坂は藤代の上作に位し、本記録ではこれら四口が重要刀剣の列にあって、それ以上の指定はない。伝来は僅かながら名誉あるもので、一口は皇室の蔵に伝わる――売買されるよりも護られる類の伝来であり――いま一口にも伝来の記録がある。本記録には国宝・重要文化財と呼べるものはなく、所在も数少ないため、指定を受けた大坂丹波吉道はしばしば現れる刀ではない。現れるとすれば多くは平造の慶長新刀の体配の重要の脇指または刀であり、個人の蔵へ来るのは折にふれ、忍耐を以てである。一つの銘を数代が継いだ名にあって、遺る指定作は各々が線上の記された一点であって通例ではなく、健全な刀に焼かれた簾刃が、三品派のこの大坂の系統を知る最も確かな標である。

刀剣商

銀座誠友堂

world-seiyudo.com

売切れ