参勤交代が集めた日本最大の帯刀人口が江戸にあった。御用鍛冶康継は茎に葵紋を許され、虎徹の刀は截断銘の金象嵌を帯びる。この町では、証こそが物を言った。
美術*刀剣*専門*オークション!マイページログイン初めての方はこちらお知らせWINNERSガイドトップ>日本刀>脇差・短刀このオークションは成立しませんでした。脇差【長曽祢乕徹入道興里】寛文九年二月吉日・豪華 五三桐家紋尽し一作 拵え入り・研磨済み・虎徹登録証都道府県長崎県発行年度昭和32年種別わきざし長さ1尺2寸9分反り3分目釘穴1個銘文表:長曽祢乕徹入道興里裏:寛文九年二月吉日備考現在価格:-入札総数:-現在の権利者: (詳細な残り時間)終了予定時刻:03/29 21:22開始価格:-即決価格:-(この金額で落札できます)落札下限価格:-自動延長:設定あり商品に関するQ&AオークションID:WA00111896出品者情報(artsword1)出品者の評価を見る (192)出品中の商品一覧を見る取引方法(支払い方法)銀行振込確認後に商品発送ジャパンネット銀行対応ゆうちょ銀行郵便振替確認後に商品発送その他購入者が負担する手数料銀行振込確認後に商品発送の場合→振込手数料郵便振替確認後に商品発送の場合→払込料金送料落札額に含む脇差【長曽祢乕徹入道興里】寛文九年二月吉日・豪華 五三桐家紋尽し一作 拵え入り・研磨済み・虎徹◎脇差◇銘文:表:長曽祢乕徹入道興里裏:寛文九年二月吉日◇刃長:39cm(一尺二寸九分)◇元幅:2.45cm・先幅:2cm◇元重:0.5cm・先重:0.48cm◇反り:0.9cm◇地鉄:小板目よく詰み、精美、精良、地景入る。◇刃文:直刃・小沸良く付き匂い口深く明るい。◇刃中:金線、砂流しかかる。刃味冴えて鋭い。◇帽子:掃きかけ・切先延び心。◇研磨済み◇茎:生ぶ◇目釘穴1個◇重量:約340g◇時代:寛文◇鑑定書無し(未鑑定)◎拵え:全長67cm◇柄(本鮫皮):約16.5cm◇柄巻金茶◇縁・頭:赤銅魚々子地 金色絵 五三桐家紋図◇目貫:桐紋図◇鐺:赤銅魚々子地 金色絵 五三桐家紋図◇鍔:赤銅魚々子地 金色絵 五三桐家紋図・6.1cm×5.4cm×0.4cm◇ハバキ:銀一重◇鞘:茶漆磯草塗・小柄櫃有り・約50cm※両面所々疵、擦れ在り。◇下げ緒:黒、綿【状態】◎刀身・表側:特に気になる疵無し。・裏側:特に気になる疵無し。・棟:特に気になる疵無し。・その他:所々点程の微細疵在り。・茎:生ぶ。◎拵え・柄:柄巻、鮫皮時代の汚れ有り。・金具類:時代の薄汚れ有るも気になる疵、欠損無し。・家紋:外周部分の縁に数個欠損有り。・鞘:表、裏面に多く疵有り、一部塗装欠損。☆=付属品=☆1、登録証2、所有者変更届出書3、教育委員会に書類を提出する際の特定記録封筒(切手貼り済み)4、所有者変更届けに必要な教育委員会の所在地一覧表5、「刀剣の取り扱い方・手入れと保存法」説明書7、金襴拵え袋☆登録証の名義変更手続きは簡単です。ご購入後詳細をお知らせ申し上げます。※本刀は終了直前都合によりキャンセルする事がございます事を予めご了承ください。■ご注意!!・新規の御方の入札はお断り致します!評価の悪い御方の入札は、こちらの独断で入札を取り消させて頂きます事をご了承ください。・1ご落札後、落札日を含め「3日以内」にご連絡頂けない場合には「落札者都合により削除」させて頂きます事をご了承ください。・2ご連絡頂き後、連絡日を含め「2日以内」にご入金が無き場合には「落札者都合により削除」させて頂きます事をご了承ください。■警告!画像、記事の無断使用、無断販売禁止!!§商品は「ゆうパック」にてお届けさせて頂きます。・代金引換えは致しません。☆商品は迅速に発送申し上げます。・休日(土、日曜、祝日)※領収書の発行はいたしておりません。☆=営業許可免許【古物商許可証 美術品商 沖縄県公安委員会 第971010000594号】=☆トップページ|新規会員登録|会員規約|運営会社情報|プライバシーポリシー|サイトマップ|システム利用料|お問い合わせcopyright WINNERS 2012.




Kotetsu school (Edo Shinto) · 武蔵 · 1644-1677頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位3%
現在3点販売中
「長曽祢虎徹は元、越前の甲冑師であり、明暦二年頃、彼が五十歳位の時江戸に出て刀鍛冶に転じた」[[c:23]]。説明書がほぼ一口ごとに誦するこの一文が伝記の背骨である。通称は三之丞と伝え、興里と名乗り、入道して虎徹入道と号した。年紀作は明暦二年(一六五六)に始まり、歿する前年の延宝五年(一六七七)に終わる。名声の由来も説明は具体的に記す。「甲冑師としての鉄処理の巧みさがあり、彫刻を得意として、数珠刃という斬新な刃文を創意工夫したことから名声をはせた」[[c:24]]。現代の説明はこれを「新刀随一の人気工」[[c:3]]と呼ぶ。
作風の定位は一文に尽きる。「彼の作風は地鉄が強く、地刃が明るく冴えるのが特色」[[c:4]]であり、「その作刀の多くに焼出しがあり」[[c:5]]、後期には「数珠刃と呼ばれる独得の互の目乱れ」[[c:25]]、すなわち焼頭の丸い互の目がほぼ一直線に連れる刃文を本領とした。足太く頻りに入り、匂深く、小沸が厚くつき、金筋・砂流しが細かにかかり、匂口は明るく冴える。帽子は直ぐに小丸を常とし、後期にはしばしば「横手を互の目で焼き込む乕徹独特の所作が看て取れる」[[c:26]]。
地鉄は甲冑師の遺産である。明暦二、三年頃の初期作について説明は「地鉄の鍛は同作中でもよく、よくねれて極めて強い」[[c:9]]と記し、中程に大肌が現われ、いわゆるテコ鉄が地に交じる。大成期には小板目肌が最もよくつみ、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、かねが冴え、処々に地斑が残る。彫物は自身彫で、倶利迦羅を見事な欄間透にあらわした初期作には記内彫の特色が読まれ、「同作彫之」の添銘は後に「彫物同作」となり、選ばれた作には「真鍛作」が加わる。
編年はほぼ銘振りそのものである。初め「古鉄」の字を用い、後に虎徹の文字をあて、寛文四年(一六六四)八月からは乕徹の字を使用し、同月には両様が併存する。前期には「瓢箪刃と称される浅い互の目が二つずつ連れた刃」[[c:10]]を焼き、それは「万治の末年乃至寛文初年頃に多くみられる刃文」[[c:11]]と編年される。後期の数珠刃は「いわゆる寛文新刀の典型的な姿」[[c:12]]の上に載る。「虎徹は寛文十年以後、延宝二、三年頃までがその大成期である」[[c:13]]が、寛文八年頃の作も「多く匂口の締つたものであり、華麗さは乏しくとも堅実なものが多い」[[c:27]]とされ、延宝三・四年頃の最晩年作は「全く円熟の作である」[[c:28]]と評される。直刃は稀で、「同工がこの種の作柄を手懸けた場合、匂口がしまりごころとなるのが通例」[[c:29]]とされ、短刀は「極めて少なく恐らく十口に及ばない」[[c:30]]。短刀では地斑が目立ち、相州伝が強く感じられ、その狙いは江辺かと読まれる。
截断銘はいま一つの銘である。指定品の多くに山野加右衛門永久・山野勘十郎久英の金象嵌截断銘が入り、貳ツ胴・三ツ胴の試しが日付まで刻まれる。これは銘ではなく利刃の証明であって、自身の銘と並んで茎に共存する。刀より脇指が多いのは「武士の注文よりも富商の注文が多かったが為であろう」[[c:20]]と読まれる。重要美術品の解説には本間順治の定位が残る。「東の虎徹と西の助広並びに真改とともに第一人者であることは無論である」[[c:21]]。同文は「その市価が古名刀を凌駕する」[[c:22]]現状を不当とも断ずる。門下には養子で二代虎徹を継いだ興正のほか興直・興久があり、興直は師の存命中の代作の手と読まれる。
藤代の格付は最上作。指定を受けた作は一二九口、うち重要文化財五口、特別重要刀剣十口、重要刀剣百二口(特重・重要で計一一二口)、戦前の重要美術品十口を数える。在銘一一五口に対し無銘は僅か一口で、銘の編年がそのまま鑑定の地図となる。伝来は肥前鍋島家・島津家・小田原大久保家・宇和島伊達家・加賀前田家・皇室を貫き、山田朝右衛門家所持の一口があり、戦前に宰相を務めた犬養木堂は延宝五年頃の風神雷神彫の脇指を所持し、寛文元年紀の一口は塚本美術館に蔵される。重要文化財は文化財として市場の外に保たれ、その余の大半は特重・重要の指定の下に永く私蔵される。真の虎徹が市に現れることは稀であり、現れれば市場の頂点に立つ。寛文新刀の姿に数珠刃、強く明るい地鉄とくれば、銘を見る前に虎徹と読まれる。
虎徹の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 武蔵
現在4点販売中
長曽祢虎徹興里は元々越前の甲冑師であり、明暦二年頃、五十歳ばかりの頃に江戸へ出て刀鍛冶へ転じたと伝える。通称を三之丞と称し、興里と名乗ったが、入道して「こてつ入道」といい、初めは「古鉄」の字を用い、後に「虎徹」、さらに寛文四年八月からは「乕徹」「馬徹」の字を使用している。年紀のある作では明暦二年が最初期、延宝五年がその下限とされ、武蔵国江戸の東叡山忍岡辺に住したことが住居地銘にうかがえる。その系では、通説に虎徹の門に学んで後に養子となり二代目を継承したと伝える長曽祢興正があり、経眼される年紀は寛文十三年から元禄三年に及ぶ。興正の技倆は師に次いで巧みで、虎徹晩年の作のうちには興正の代作が含まれていると考えられている。江戸中期、寛文を中心とする新刀の只中に立ち、甲冑師の出という異色の経歴から鍛刀の名門が興った。 作風は地鉄が強く、地刃の匂口が明るく冴えるのを特色とし、作刀の多くに焼出しを伴う。鍛えは小板目肌がよくつんで杢を交え、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、腰元には梃子鉄と称する大肌や地斑状の肌合を交えることがあり、かねが冴える。刃文は前期には瓢箪刃と称される大小の互の目が繋がって出入りのある乱れを焼き、後期には焼の出入りに変化の少ない、頭の丸い互の目の連れた、いわゆる数珠刃と呼ばれる独特の互の目乱れを焼く。これに伴い銘も前期の「はね虎」から寛文四年に「はこ虎」へ改まり、作域の推移と対応する。足が太く頻りに入り、匂深く小沸が厚くつき、金筋・砂流しのかかるものが多い。帽子は直ぐに小丸とし、横手を互の目で跨ぐいわゆる乕徹帽子を見せるのが見分けの要となる。姿は元先の幅差がつき反り浅く中鋒のつまる寛文新刀の体配で、手持ちの重い頑健なものが多く、梵字・三鈷剣・倶利迦羅などの彫物を自身彫として添えた作も知られる。興正は師ゆずりの数珠刃を継ぎつつ、匂深く沸の覇気ある刃を焼き、互の目丁子を交えるなど独自を追った持ち味を示す。 虎徹が収集家に重んじられるのは、地刃の冴えと数珠刃の見どころに加え、記録された截断の評による。寛文五年三月の貳ツ胴切落、同年十一月の両車切落、寛文元年の三ツ胴截断など、山野勘十郎久英・山野加右衛門永久らによる金象嵌截断銘が遺り、その切れ味の高さを今に伝える。截断は必ずしも直ちに象嵌されたものではなく、後日まとめて施された例もこれらの銘から知られる。伝来の確かな作も尊ばれ、肥前国鍋島家に伝わって佐藤寒山博士の鞘書に鍋島虎徹の異名を記すものがある。鑑定の要点は、明るく冴える地刃、前期の瓢箪刃と後期の数珠刃という時期による作域の違い、乕徹帽子の所作、銘振りの推移にあり、年紀を欠く作でも銘と作域から制作期を推し量ることができる。短刀は作例が極めて少なく、相州伝の趣を強く感じさせるものが知られる。甲冑師から転じて一代で名を成し、後継の興正へと技を伝えたこの系は、江戸新刀を代表する一門として確固たる位置を占めている。 詳しく見る →
参勤交代が集めた日本最大の帯刀人口が江戸にあった。御用鍛冶康継は茎に葵紋を許され、虎徹の刀は截断銘の金象嵌を帯びる。この町では、証こそが物を言った。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
落札決定後のキャンセルは一切認められません。一度落札が決定しますと、落札者には商品購入の義務が生じます。
美術*刀剣*専門*オークション!マイページログイン初めての方はこちらお知らせWINNERSガイドトップ>日本刀>脇差・短刀このオークションは成立しませんでした。脇差【長曽祢乕徹入道興里】寛文九年二月吉日・豪華 五三桐家紋尽し一作 拵え入り・研磨済み・虎徹登録証都道府県長崎県発行年度昭和32年種別わきざし長さ1尺2寸9分反り3分目釘穴1個銘文表:長曽祢乕徹入道興里裏:寛文九年二月吉日備考現在価格:-入札総数:-現在の権利者: (詳細な残り時間)終了予定時刻:03/29 21:22開始価格:-即決価格:-(この金額で落札できます)落札下限価格:-自動延長:設定あり商品に関するQ&AオークションID:WA00111896出品者情報(artsword1)出品者の評価を見る (192)出品中の商品一覧を見る取引方法(支払い方法)銀行振込確認後に商品発送ジャパンネット銀行対応ゆうちょ銀行郵便振替確認後に商品発送その他購入者が負担する手数料銀行振込確認後に商品発送の場合→振込手数料郵便振替確認後に商品発送の場合→払込料金送料落札額に含む脇差【長曽祢乕徹入道興里】寛文九年二月吉日・豪華 五三桐家紋尽し一作 拵え入り・研磨済み・虎徹◎脇差◇銘文:表:長曽祢乕徹入道興里裏:寛文九年二月吉日◇刃長:39cm(一尺二寸九分)◇元幅:2.45cm・先幅:2cm◇元重:0.5cm・先重:0.48cm◇反り:0.9cm◇地鉄:小板目よく詰み、精美、精良、地景入る。◇刃文:直刃・小沸良く付き匂い口深く明るい。◇刃中:金線、砂流しかかる。刃味冴えて鋭い。◇帽子:掃きかけ・切先延び心。◇研磨済み◇茎:生ぶ◇目釘穴1個◇重量:約340g◇時代:寛文◇鑑定書無し(未鑑定)◎拵え:全長67cm◇柄(本鮫皮):約16.5cm◇柄巻金茶◇縁・頭:赤銅魚々子地 金色絵 五三桐家紋図◇目貫:桐紋図◇鐺:赤銅魚々子地 金色絵 五三桐家紋図◇鍔:赤銅魚々子地 金色絵 五三桐家紋図・6.1cm×5.4cm×0.4cm◇ハバキ:銀一重◇鞘:茶漆磯草塗・小柄櫃有り・約50cm※両面所々疵、擦れ在り。◇下げ緒:黒、綿【状態】◎刀身・表側:特に気になる疵無し。・裏側:特に気になる疵無し。・棟:特に気になる疵無し。・その他:所々点程の微細疵在り。・茎:生ぶ。◎拵え・柄:柄巻、鮫皮時代の汚れ有り。・金具類:時代の薄汚れ有るも気になる疵、欠損無し。・家紋:外周部分の縁に数個欠損有り。・鞘:表、裏面に多く疵有り、一部塗装欠損。☆=付属品=☆1、登録証2、所有者変更届出書3、教育委員会に書類を提出する際の特定記録封筒(切手貼り済み)4、所有者変更届けに必要な教育委員会の所在地一覧表5、「刀剣の取り扱い方・手入れと保存法」説明書7、金襴拵え袋☆登録証の名義変更手続きは簡単です。ご購入後詳細をお知らせ申し上げます。※本刀は終了直前都合によりキャンセルする事がございます事を予めご了承ください。■ご注意!!・新規の御方の入札はお断り致します!評価の悪い御方の入札は、こちらの独断で入札を取り消させて頂きます事をご了承ください。・1ご落札後、落札日を含め「3日以内」にご連絡頂けない場合には「落札者都合により削除」させて頂きます事をご了承ください。・2ご連絡頂き後、連絡日を含め「2日以内」にご入金が無き場合には「落札者都合により削除」させて頂きます事をご了承ください。■警告!画像、記事の無断使用、無断販売禁止!!§商品は「ゆうパック」にてお届けさせて頂きます。・代金引換えは致しません。☆商品は迅速に発送申し上げます。・休日(土、日曜、祝日)※領収書の発行はいたしておりません。☆=営業許可免許【古物商許可証 美術品商 沖縄県公安委員会 第971010000594号】=☆トップページ|新規会員登録|会員規約|運営会社情報|プライバシーポリシー|サイトマップ|システム利用料|お問い合わせcopyright WINNERS 2012.




Kotetsu school (Edo Shinto) · 武蔵 · 1644-1677頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位3%
現在3点販売中
「長曽祢虎徹は元、越前の甲冑師であり、明暦二年頃、彼が五十歳位の時江戸に出て刀鍛冶に転じた」[[c:23]]。説明書がほぼ一口ごとに誦するこの一文が伝記の背骨である。通称は三之丞と伝え、興里と名乗り、入道して虎徹入道と号した。年紀作は明暦二年(一六五六)に始まり、歿する前年の延宝五年(一六七七)に終わる。名声の由来も説明は具体的に記す。「甲冑師としての鉄処理の巧みさがあり、彫刻を得意として、数珠刃という斬新な刃文を創意工夫したことから名声をはせた」[[c:24]]。現代の説明はこれを「新刀随一の人気工」[[c:3]]と呼ぶ。
作風の定位は一文に尽きる。「彼の作風は地鉄が強く、地刃が明るく冴えるのが特色」[[c:4]]であり、「その作刀の多くに焼出しがあり」[[c:5]]、後期には「数珠刃と呼ばれる独得の互の目乱れ」[[c:25]]、すなわち焼頭の丸い互の目がほぼ一直線に連れる刃文を本領とした。足太く頻りに入り、匂深く、小沸が厚くつき、金筋・砂流しが細かにかかり、匂口は明るく冴える。帽子は直ぐに小丸を常とし、後期にはしばしば「横手を互の目で焼き込む乕徹独特の所作が看て取れる」[[c:26]]。
地鉄は甲冑師の遺産である。明暦二、三年頃の初期作について説明は「地鉄の鍛は同作中でもよく、よくねれて極めて強い」[[c:9]]と記し、中程に大肌が現われ、いわゆるテコ鉄が地に交じる。大成期には小板目肌が最もよくつみ、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、かねが冴え、処々に地斑が残る。彫物は自身彫で、倶利迦羅を見事な欄間透にあらわした初期作には記内彫の特色が読まれ、「同作彫之」の添銘は後に「彫物同作」となり、選ばれた作には「真鍛作」が加わる。
編年はほぼ銘振りそのものである。初め「古鉄」の字を用い、後に虎徹の文字をあて、寛文四年(一六六四)八月からは乕徹の字を使用し、同月には両様が併存する。前期には「瓢箪刃と称される浅い互の目が二つずつ連れた刃」[[c:10]]を焼き、それは「万治の末年乃至寛文初年頃に多くみられる刃文」[[c:11]]と編年される。後期の数珠刃は「いわゆる寛文新刀の典型的な姿」[[c:12]]の上に載る。「虎徹は寛文十年以後、延宝二、三年頃までがその大成期である」[[c:13]]が、寛文八年頃の作も「多く匂口の締つたものであり、華麗さは乏しくとも堅実なものが多い」[[c:27]]とされ、延宝三・四年頃の最晩年作は「全く円熟の作である」[[c:28]]と評される。直刃は稀で、「同工がこの種の作柄を手懸けた場合、匂口がしまりごころとなるのが通例」[[c:29]]とされ、短刀は「極めて少なく恐らく十口に及ばない」[[c:30]]。短刀では地斑が目立ち、相州伝が強く感じられ、その狙いは江辺かと読まれる。
截断銘はいま一つの銘である。指定品の多くに山野加右衛門永久・山野勘十郎久英の金象嵌截断銘が入り、貳ツ胴・三ツ胴の試しが日付まで刻まれる。これは銘ではなく利刃の証明であって、自身の銘と並んで茎に共存する。刀より脇指が多いのは「武士の注文よりも富商の注文が多かったが為であろう」[[c:20]]と読まれる。重要美術品の解説には本間順治の定位が残る。「東の虎徹と西の助広並びに真改とともに第一人者であることは無論である」[[c:21]]。同文は「その市価が古名刀を凌駕する」[[c:22]]現状を不当とも断ずる。門下には養子で二代虎徹を継いだ興正のほか興直・興久があり、興直は師の存命中の代作の手と読まれる。
藤代の格付は最上作。指定を受けた作は一二九口、うち重要文化財五口、特別重要刀剣十口、重要刀剣百二口(特重・重要で計一一二口)、戦前の重要美術品十口を数える。在銘一一五口に対し無銘は僅か一口で、銘の編年がそのまま鑑定の地図となる。伝来は肥前鍋島家・島津家・小田原大久保家・宇和島伊達家・加賀前田家・皇室を貫き、山田朝右衛門家所持の一口があり、戦前に宰相を務めた犬養木堂は延宝五年頃の風神雷神彫の脇指を所持し、寛文元年紀の一口は塚本美術館に蔵される。重要文化財は文化財として市場の外に保たれ、その余の大半は特重・重要の指定の下に永く私蔵される。真の虎徹が市に現れることは稀であり、現れれば市場の頂点に立つ。寛文新刀の姿に数珠刃、強く明るい地鉄とくれば、銘を見る前に虎徹と読まれる。
虎徹の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 武蔵
現在4点販売中
長曽祢虎徹興里は元々越前の甲冑師であり、明暦二年頃、五十歳ばかりの頃に江戸へ出て刀鍛冶へ転じたと伝える。通称を三之丞と称し、興里と名乗ったが、入道して「こてつ入道」といい、初めは「古鉄」の字を用い、後に「虎徹」、さらに寛文四年八月からは「乕徹」「馬徹」の字を使用している。年紀のある作では明暦二年が最初期、延宝五年がその下限とされ、武蔵国江戸の東叡山忍岡辺に住したことが住居地銘にうかがえる。その系では、通説に虎徹の門に学んで後に養子となり二代目を継承したと伝える長曽祢興正があり、経眼される年紀は寛文十三年から元禄三年に及ぶ。興正の技倆は師に次いで巧みで、虎徹晩年の作のうちには興正の代作が含まれていると考えられている。江戸中期、寛文を中心とする新刀の只中に立ち、甲冑師の出という異色の経歴から鍛刀の名門が興った。 作風は地鉄が強く、地刃の匂口が明るく冴えるのを特色とし、作刀の多くに焼出しを伴う。鍛えは小板目肌がよくつんで杢を交え、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、腰元には梃子鉄と称する大肌や地斑状の肌合を交えることがあり、かねが冴える。刃文は前期には瓢箪刃と称される大小の互の目が繋がって出入りのある乱れを焼き、後期には焼の出入りに変化の少ない、頭の丸い互の目の連れた、いわゆる数珠刃と呼ばれる独特の互の目乱れを焼く。これに伴い銘も前期の「はね虎」から寛文四年に「はこ虎」へ改まり、作域の推移と対応する。足が太く頻りに入り、匂深く小沸が厚くつき、金筋・砂流しのかかるものが多い。帽子は直ぐに小丸とし、横手を互の目で跨ぐいわゆる乕徹帽子を見せるのが見分けの要となる。姿は元先の幅差がつき反り浅く中鋒のつまる寛文新刀の体配で、手持ちの重い頑健なものが多く、梵字・三鈷剣・倶利迦羅などの彫物を自身彫として添えた作も知られる。興正は師ゆずりの数珠刃を継ぎつつ、匂深く沸の覇気ある刃を焼き、互の目丁子を交えるなど独自を追った持ち味を示す。 虎徹が収集家に重んじられるのは、地刃の冴えと数珠刃の見どころに加え、記録された截断の評による。寛文五年三月の貳ツ胴切落、同年十一月の両車切落、寛文元年の三ツ胴截断など、山野勘十郎久英・山野加右衛門永久らによる金象嵌截断銘が遺り、その切れ味の高さを今に伝える。截断は必ずしも直ちに象嵌されたものではなく、後日まとめて施された例もこれらの銘から知られる。伝来の確かな作も尊ばれ、肥前国鍋島家に伝わって佐藤寒山博士の鞘書に鍋島虎徹の異名を記すものがある。鑑定の要点は、明るく冴える地刃、前期の瓢箪刃と後期の数珠刃という時期による作域の違い、乕徹帽子の所作、銘振りの推移にあり、年紀を欠く作でも銘と作域から制作期を推し量ることができる。短刀は作例が極めて少なく、相州伝の趣を強く感じさせるものが知られる。甲冑師から転じて一代で名を成し、後継の興正へと技を伝えたこの系は、江戸新刀を代表する一門として確固たる位置を占めている。 詳しく見る →
参勤交代が集めた日本最大の帯刀人口が江戸にあった。御用鍛冶康継は茎に葵紋を許され、虎徹の刀は截断銘の金象嵌を帯びる。この町では、証こそが物を言った。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
落札決定後のキャンセルは一切認められません。一度落札が決定しますと、落札者には商品購入の義務が生じます。