貞真は備前一文字派の最も初期に属する刀工で、鎌倉時代前期、宝治(一二四七~九)頃の作と伝える。「銘鑑」は福岡一文字宗忠の子とし、説明書もその伝を作刀の解説に繰り返すが、別伝として古備前高綱の子とするものもある。説明書は出自の伝と現存作とを引き比べ、両者が合わぬことを記す。すなわち現存する太刀は、よく沸づく小乱れを焼いて地に映りの目立たぬものが多く、「宗忠よりもむしろ古調に見える」というのである。それゆえ一文字ではなく古備前の工とみるべきかとする見方もあり、いずれの派に鑑するかという問いが本工の作を貫いている。この点を決したのは実見であった。参考書は本間の談を伝えて、二字銘の上に「一」の字を冠する作を経眼し、「古一文字に相違ない」とし、貞真を一派の冒頭に据える。
本工の典型は、説明書が常態とみる静かな古調の手である。よくつんだ小板目の地に、直刃を基調とした小乱れに小丁子を交え、足・葉しきりに入り、匂口明るく、小沸つき、金筋・砂流しがかかり、帽子は先小丸あるいは焼詰めと静かに結ぶ。本工を分かつのは、むしろ無いものである。一文字の常が地に乱れ映りを鮮やかに立てるのに対し、説明書は貞真について映りが目立たぬと記す。ある重要刀剣の説明はその対照を本工の個性として描き、古一文字は映りの立つものが多い中、「同工には映りの目立たぬ作が多く」、そこから個性が窺知しうるとする。小乱れの下の直刃基調、刃の抑制、そして華やかな映りの不在こそ、説明書が本工の典型として立ち返る見どころである。
地鉄はもう一方の見どころである。鍛えは小板目、ときに肌立ちごころに流れを交えた板目で、よくつみ、地沸が微塵に厚くつき、地景が入る。その地に説明書は地斑を繰り返し認める。古備前・青江の斑な鉄であり、ある特別重要刀剣の太刀では、板目肌立ちごころに地沸が厚くつき、「一見青江を想わせるような地斑」が交じると記す。福岡・片山の華やかな手に乏しいこの斑の鉄は、本工の地にあって最も個性的なものである。つみのよい作では同じ特色が淡い地斑調の映りとして現われ、立ちはすれど後の一文字の鮮明な乱れ映りには至らない。
本工の作は一つの手の二様に分かれる。典型は右の穏やかな小乱れである。少数の太刀はやや華やかな手を示し、説明書はその差を明記する。乱れ映りが立ち丁子に互の目を交えたある重要刀剣の太刀を、「貞真の中ではやや華やか」と評する。同じく強く出した別の特別重要刀剣の太刀については、「古備前の作風を継承して、更に新味を加えている」と記し、そこに古一文字派の見どころが窺知されるとする。銘振りもまた本工を特徴づける。銘は棟寄りに大振りに切られた細鏨の「貞真」二字であり、説明書はこの「細鏨で大振り」の二字銘を同工の特徴の一つに挙げ、在銘の少ない本工の極めの助けとする。
本工の位置を定める難所はこの同名にある。説明書は「古備前派及び古一文字に同名があり、しかも作風、銘振ともによく似て、俄かに決し難い」と記し、作ごとにいずれかに鑑せられる。重要刀剣の太刀のうちには古備前の作と鑑するものもあり、明らかに古一文字とみるものもある。本間の経眼した「一」を冠する作が一文字の側を繋ぎ止める。説明書はその抑制を、火の乏しさではなく一派の徳とみて、ある太刀について、地味なのは独り貞真の特色ではなくこの時代の一派の作風であり、「すべて地味であるのも見どころ」と記す。本工は古備前から一文字へと移る境に立ち、その古調の小乱れは吉房の福岡丁子・則房の片山の手に先行する。その作は一派の最も初期の資料として貴ばれる。
貞真は藤代の極めで上作、刀工大鑑の評価は一二〇万円である。現存の作はほとんどが在銘で、これほど初期の備前の名工にあっては異例であり、指定品の二字銘十二口に対し無銘の極めは一口にとどまる。指定は特別重要刀剣四口・重要刀剣七口、特別重要・重要の級に十一口を数え、うち重要文化財一口を戴く。最も古い一口は昭和十四年に重要美術品の認定を受けた太刀で、参考書が本間の「一」字の談に引くものであり、新潟の風間要吉の所有であった。重要刀剣のうち説明書はある一口を「重要刀剣指定の古一文字中の右翼と目される」とし、屈指の重要刀剣の太刀を「在銘が少ない本工にあってその実力を識る貴重な一振り」と称する。所在の知られる作は徳川美術館・東京国立博物館・静嘉堂文庫美術館に蔵され、他は永く私家に蔵される。重要文化財一口は文化財として永く伝えられて市に出ることなく、市にかかるのは特別重要刀剣・重要刀剣の太刀の僅かであって、在銘の貞真が世に現われることは稀であり、現われればそれは最初期一文字の貴重な記録である。