宗忠は古一文字、すなわち鎌倉時代初期の備前に興った福岡一文字派の最初期の世代の工の一人である。剣書は本工を福岡一文字、建暦の頃に置き、ある重要美術品はこれを銘鑑に同じ年代、おおよそ一二一一年から一三年に記される宗忠に該当するものとする。則宗・助真・吉房らによる一門の大いなる開花、大模様の丁子を焼く鎌倉中期の最盛期に先立つ世代であり、助宗・尚宗・宗吉・成宗・重久・貞真らと共に剣書が古一文字と呼ぶ初期の手に数えられる。説明書はその典型の姿を一種に限り、はっきりとこう記す。「太刀姿は細身で、小鋒のつまった古香あるものに限られている」と。
その手は、まずこの姿と、その下に横たわる古備前の地に読まれる。板目に杢目を交えて総体に肌立つ地鉄に、地沸つき地景入り、その上に古備前の鉄の映りが立つ。最も詳しく記された太刀では、その映りが地斑映りとなって現われ、説明書はとりわけこの点を重んじる。すなわち暗帯部が「確実に鎬を越えて高く現われている」処である。これは装飾ではなく年代の見どころであり、判者が鎌倉初期の年代を首肯させる根拠そのものである。鍛えが小板目につまれば映りはいよいよ冴え、戦前に記された磨上の太刀では、地はうるみごころの板目に鮮やかな乱れ映りが立つ。
刃文は初期一派の静かな範囲にとどまる。本工の刃は小丁子に小互の目・小乱れごころを交えた、最盛期の大きな房ではなく古一文字の小模様の丁子である。物打以上は直ぐ調に締まり、足・葉が入り、匂深く小沸よくつき、処々に金筋・砂流しがかかる。帽子は浅くのたれ込んで小丸となり、細身の在銘太刀では直ぐに小丸となる。最も賑わうところでも刃は匂と小沸に保たれ、その働きは大きな房ではなく足・葉に托される、説明書が後の華麗さと分かつ静かな作域である。
これほど僅かな現存作のうちにも、判者は一手の担う二つの作域を読む。一つは華やかなもので、「やや房の大きめな丁子の目立つ」ものとして際立ち、「華やかな出来口」と評される。説明書はこうした作風が古一文字に時折認められるものとし、特別重要刀剣指定の重久の太刀を一例に挙げる。いま一つは、より細身の在銘作に見る、匂深く小沸のついた静かな直刃調の小乱れである。両者は同じ古備前の地、いずれの刃を向けても年代を定める鎬を越える地斑映りによって繋がれる。ある重要美術品の太刀は「前掲(重美番号四五七番)の宗忠と同作である」と記され、本工の二口を相並べ得る数少ない例の一つである。
その両隣から本工を分かつのは、まさに極めの言うところである。一派鎌倉中期最盛期の大模様の華やかな丁子乱れとは、丁子の小ささと細身・小鋒の姿によって分かたれ、福岡の盛りの身幅広く猪首ごころの姿ではない。より素朴な古備前の工とは、刃に集まる丁子と、明るく高く立つ地斑映りによって分けられる。彼は備前最も輝かしき伝統の敷居に立ち、やがて福岡・吉岡・片山に育つ静かな根として、なお古色を遺しつつ、一門がその高みへ運ぶ丁子を既に集め始めている。
収集の観点では、稀な初期の名である。藤代の極めは上々作、刀工大鑑の評価も上位に位置する。国宝はなく、説明書は「宗忠有銘確実なものは現存二三口にとどまり」と記し、その銘振りを頗るよいとする。その記録は重要文化財一口、特別重要刀剣一口、重要刀剣一口を通じ、三口の在銘太刀が戦前に重要美術品に指定された。判者はある磨上の在銘太刀を「優れた出来を示した宗忠の秀作」と称える。その作は自らの来歴を負う。一口は島津家に伝わり、いま一口は西郷隆盛と親交のあった庄内藩士菅実秀の愛刀であった。特別重要刀剣・重要刀剣の級にはわずかに二口があるのみで、在銘の古一文字宗忠が世に出ることは稀であり、私蔵の一口は収集家にとって注目すべきもの、一文字いかに始まったかを語る証である。