応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
日本刀 脇差 銘 加州金沢住勝家(特別保存刀剣鑑定書付) 【解説】 本作は、銘に「加州金沢住勝家」と切られた一振りです。加州とは現在の石川県にあたる加賀国の別称であり、金沢はその中心地です。銘文からは、勝家が当時の加賀国金沢に居住し、作刀していたことが分かります。 「勝家」の名は、室町中期から江戸初期(1450年代〜1650年代)にかけて数代にわたり受け継がれました。本作の銘振りから、盛広という人物の注文により打たれたものと推測されます。 初代勝家は、日本刀の五ヶ伝の一つ「美濃伝」で知られる美濃国(現在の岐阜県)の出身です。室町中期の宝徳年間(1450年代)に門弟と共に加賀国へ移住し、寺院の抱え鍛冶として「陀羅尼(だらに)派」を興しました。二代目以降は加賀藩主・前田家に仕え、代々お抱え鍛冶として作刀に励みました。大名家に専属で仕えることは、当時の刀工にとって極めて名誉なことでした。 本作を鑑定した日本美術刀剣保存協会(NBTHK)によれば、その作域から室町時代末期の製作とされています。まさに群雄割拠の戦国時代真っ只中に打たれた一振りであり、激動の時代を生き抜いて現代に伝わった歴史の重みを感じさせます。 (前田家について) 前田家はもともと尾張国(現在の愛知県名古屋周辺)の織田氏の家臣でした。初代・前田利家公は、織田信長公や豊臣秀吉公と深く関わりながら出世を遂げ、加賀国の領主となりました。後に「加賀百万石」と称される広大な所領を築き上げ、侍の歴史において屈指の権勢を誇った名門です。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に認定されています。これは真作であることはもちろん、保存状態が極めて良好で、かつ美術品としての価値が特に高い刀剣にのみ与えられる格付けです。 【法量・形状】 長さ(刃長):35.9 cm 反り:0.6 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる、粒子が織りなす美しい文様 地鉄(肌):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様 茎(なかご):刀身の柄に収まる部分。 日本の刀工は、柄内部の赤錆を防ぐために茎に「黒錆」を残しました。この錆の色付き(経年変化)は、専門家が製作年代を特定する際の重要な指標となります。 【外装(拵)】 拵(こしらえ)とは、鞘、柄、鍔などの外装一式を指します。 縁頭(ふちがしら):柄の両端を保護する一対の金具。 本作の縁頭は、石目地(いしめじ)風の素朴な趣を湛えています。華美な装飾を排した実戦的な仕上がりであり、金銀の象嵌がない分、銅本来の渋い色合いと質感を直接愉しむことができます。 柄・目貫(めぬき): 柄の左右には「猿」を象った目貫が配されています。一方の猿は何事かを差し出し、もう一方は口を大きく開けて何かを食べようとしているような、躍動感あふれる姿が描かれています。古来より猿は人間に最も近い動物として親しまれてきました。























山城伝 · 加賀 · 1394-1428頃
刀剣大鑑 上位49%
現在1点販売中
山城伝 · 加賀
現在19点販売中
藤島派は加賀国藤島の地に興り、北陸道にあって数代を重ねた一門である。その祖にして代表工が友重で、名跡は南北朝末から室町を経て近世にまで及び、現存する年紀作のうち最も古いものは応永二年の短刀である。構成員の解説はいずれも、初代を山城の来国俊の門人、あるいは同国真景の門とする古伝を載せながらこれを疑い、作風の上で来国俊に結ばれず、年代の上で真景にも肯定し難いとして、茎仕立と地刃よりすればむしろ大和物の系統、大和尻懸の手に近いものと判ずる。南北朝期を遡る作はみないとされ、初代は建武の頃、二代は貞治、三代は応永と伝える説もあるが、構成員はおおむね各作を一個人の経歴にではなく、固定した同派の特質に照らして鑑する。北陸の地にあって、同派は越中・越前の工と気脈を通じ、美濃と大和の風を受けた古刀の一門として立つ。 作風の眼目はその地鉄にある。板目に杢を交え、流れごころに肌立って、地沸つき地景入り、かねは際立って黒みをおびる。構成員はこれを同派一番の見どころとして、地鉄が肌立ちごころで黒みを帯びることを北国物の徴とし、ある作には白気映りが淡く立つと記す。山城のようなつんだ小板目には締まらず、槍・薙刀や磨上の太刀では柾目に寄った肌となって、その地に大和を素直に示す。刃文はこの地に応えて自らの混在を示し、互の目乱れを基調に、箱がかった刃・尖り刃・角ばる刃をのたれ・小のたれとともに交える。これを構成員は備前気質と美濃風が混在した感のある乱れ刃と呼び、足やや長く入り、総体に沸づいて砂流しかかり金筋入り、処々に飛焼や二重刃を交え、帽子は直ぐまたは乱れ込んで小丸となり、しばしば掃きかける。短刀ではこの手が穏やかになり、鍛えは小板目につみ、焼刃は細直刃あるいは低い小のたれ・小互の目に小沸を交え、匂口はうるんでほつれ・湯走りを交えて、同派の大和の素地が最も素直に現れる。 鑑定の勘所は、大和を素地とする黒く肌立つかねの上に、備前・美濃を想わせる躁ぎ立つ焼刃を置くという取り合わせにある。互の目と長い足は備前の作に似るが、箱がかった刃と尖り刃、肌立つ黒い地、絶えずかかる砂流しが素直な備前丁子からこれを引き離し、柾に寄る地と黒いかねが真の山城・純然たる大和の作からもこれを隔てる。同派は売立や商家に時に現れる重要刀剣を遺し、銘はほぼ在銘で、藤嶋友重の四字銘が最も多く、友重の二字銘がこれに次ぎ、生ぶ茎の作が大半を占める。藤代は同工を中上作、あるいは古刀の中位に位置づける。中心となるのは応永頃の友重で、室町から後代にかけての作が最も多く現存する。白眉として、三鈷剣と妙見大菩薩の神号を彫った大身槍を同時代を代表する名槍とする評があり、太刀の遺例は数少なく取り立てられる。伝来は稲葉家に伝わった刀や皇室の御物に列する短刀があり、市場の品ではなく長く家に伝えられた重宝を含む。一口の黒いかねの作が北国一派の総体をその地に湛えるところに、同派の値はある。 詳しく見る →
応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 脇差 銘 加州金沢住勝家(特別保存刀剣鑑定書付) 【解説】 本作は、銘に「加州金沢住勝家」と切られた一振りです。加州とは現在の石川県にあたる加賀国の別称であり、金沢はその中心地です。銘文からは、勝家が当時の加賀国金沢に居住し、作刀していたことが分かります。 「勝家」の名は、室町中期から江戸初期(1450年代〜1650年代)にかけて数代にわたり受け継がれました。本作の銘振りから、盛広という人物の注文により打たれたものと推測されます。 初代勝家は、日本刀の五ヶ伝の一つ「美濃伝」で知られる美濃国(現在の岐阜県)の出身です。室町中期の宝徳年間(1450年代)に門弟と共に加賀国へ移住し、寺院の抱え鍛冶として「陀羅尼(だらに)派」を興しました。二代目以降は加賀藩主・前田家に仕え、代々お抱え鍛冶として作刀に励みました。大名家に専属で仕えることは、当時の刀工にとって極めて名誉なことでした。 本作を鑑定した日本美術刀剣保存協会(NBTHK)によれば、その作域から室町時代末期の製作とされています。まさに群雄割拠の戦国時代真っ只中に打たれた一振りであり、激動の時代を生き抜いて現代に伝わった歴史の重みを感じさせます。 (前田家について) 前田家はもともと尾張国(現在の愛知県名古屋周辺)の織田氏の家臣でした。初代・前田利家公は、織田信長公や豊臣秀吉公と深く関わりながら出世を遂げ、加賀国の領主となりました。後に「加賀百万石」と称される広大な所領を築き上げ、侍の歴史において屈指の権勢を誇った名門です。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に認定されています。これは真作であることはもちろん、保存状態が極めて良好で、かつ美術品としての価値が特に高い刀剣にのみ与えられる格付けです。 【法量・形状】 長さ(刃長):35.9 cm 反り:0.6 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる、粒子が織りなす美しい文様 地鉄(肌):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様 茎(なかご):刀身の柄に収まる部分。 日本の刀工は、柄内部の赤錆を防ぐために茎に「黒錆」を残しました。この錆の色付き(経年変化)は、専門家が製作年代を特定する際の重要な指標となります。 【外装(拵)】 拵(こしらえ)とは、鞘、柄、鍔などの外装一式を指します。 縁頭(ふちがしら):柄の両端を保護する一対の金具。 本作の縁頭は、石目地(いしめじ)風の素朴な趣を湛えています。華美な装飾を排した実戦的な仕上がりであり、金銀の象嵌がない分、銅本来の渋い色合いと質感を直接愉しむことができます。 柄・目貫(めぬき): 柄の左右には「猿」を象った目貫が配されています。一方の猿は何事かを差し出し、もう一方は口を大きく開けて何かを食べようとしているような、躍動感あふれる姿が描かれています。古来より猿は人間に最も近い動物として親しまれてきました。























山城伝 · 加賀 · 1394-1428頃
刀剣大鑑 上位49%
現在1点販売中
山城伝 · 加賀
現在19点販売中
藤島派は加賀国藤島の地に興り、北陸道にあって数代を重ねた一門である。その祖にして代表工が友重で、名跡は南北朝末から室町を経て近世にまで及び、現存する年紀作のうち最も古いものは応永二年の短刀である。構成員の解説はいずれも、初代を山城の来国俊の門人、あるいは同国真景の門とする古伝を載せながらこれを疑い、作風の上で来国俊に結ばれず、年代の上で真景にも肯定し難いとして、茎仕立と地刃よりすればむしろ大和物の系統、大和尻懸の手に近いものと判ずる。南北朝期を遡る作はみないとされ、初代は建武の頃、二代は貞治、三代は応永と伝える説もあるが、構成員はおおむね各作を一個人の経歴にではなく、固定した同派の特質に照らして鑑する。北陸の地にあって、同派は越中・越前の工と気脈を通じ、美濃と大和の風を受けた古刀の一門として立つ。 作風の眼目はその地鉄にある。板目に杢を交え、流れごころに肌立って、地沸つき地景入り、かねは際立って黒みをおびる。構成員はこれを同派一番の見どころとして、地鉄が肌立ちごころで黒みを帯びることを北国物の徴とし、ある作には白気映りが淡く立つと記す。山城のようなつんだ小板目には締まらず、槍・薙刀や磨上の太刀では柾目に寄った肌となって、その地に大和を素直に示す。刃文はこの地に応えて自らの混在を示し、互の目乱れを基調に、箱がかった刃・尖り刃・角ばる刃をのたれ・小のたれとともに交える。これを構成員は備前気質と美濃風が混在した感のある乱れ刃と呼び、足やや長く入り、総体に沸づいて砂流しかかり金筋入り、処々に飛焼や二重刃を交え、帽子は直ぐまたは乱れ込んで小丸となり、しばしば掃きかける。短刀ではこの手が穏やかになり、鍛えは小板目につみ、焼刃は細直刃あるいは低い小のたれ・小互の目に小沸を交え、匂口はうるんでほつれ・湯走りを交えて、同派の大和の素地が最も素直に現れる。 鑑定の勘所は、大和を素地とする黒く肌立つかねの上に、備前・美濃を想わせる躁ぎ立つ焼刃を置くという取り合わせにある。互の目と長い足は備前の作に似るが、箱がかった刃と尖り刃、肌立つ黒い地、絶えずかかる砂流しが素直な備前丁子からこれを引き離し、柾に寄る地と黒いかねが真の山城・純然たる大和の作からもこれを隔てる。同派は売立や商家に時に現れる重要刀剣を遺し、銘はほぼ在銘で、藤嶋友重の四字銘が最も多く、友重の二字銘がこれに次ぎ、生ぶ茎の作が大半を占める。藤代は同工を中上作、あるいは古刀の中位に位置づける。中心となるのは応永頃の友重で、室町から後代にかけての作が最も多く現存する。白眉として、三鈷剣と妙見大菩薩の神号を彫った大身槍を同時代を代表する名槍とする評があり、太刀の遺例は数少なく取り立てられる。伝来は稲葉家に伝わった刀や皇室の御物に列する短刀があり、市場の品ではなく長く家に伝えられた重宝を含む。一口の黒いかねの作が北国一派の総体をその地に湛えるところに、同派の値はある。 詳しく見る →
応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.